現在の東洋医学を代表するものの一つに中医学というものがあります。中国政府の積極的な研究奨励、保護、人材育成があり、また世界各地へと輸出され、日本漢方や鍼灸とは比較にならない大きな力を持っています。
この中医学は診療科目が内科、外科、婦人科、小児科など分類されている特徴をもっていますが、それ以上に医学理論が体系だっていることが特徴です。
この中医学に対して批判が存在します。そのうちの一つが、理論どおりそのまま治療を施しても治癒率が高くない。他の種類の治療法に切り替えたら治癒率が上がった。それ故、理論的過ぎる中医学は現実的ではない、というような批判です。さてこのような批判は妥当なものなのでしょうか。
そもそも中医学とは文化大革命以降に新しく創られた(まだ半世紀ほどの)医学です。それは伝統的な中国文明特有の医学をマルクス・レーニン主義の篩を通して創られたものです。その新しく創られた医学理論は正しいと言えるでしょうか。毛沢東(1893-1976年)は以下のように言っています。
「人間の正しい思想は、社会的実践のなかからだけ、くる。…無数の客観外界の現象は、人間の眼・耳・鼻・舌・身という五官をつうじて、自己の頭脳に反映し、はじめは感性認識となる。この感性認識の材料がたくさん蓄積されると、一つの飛躍が生じ、理性認識にかわる。これが思想である。これは一つの認識過程である。
これは認識過程全体の第一の段階、すなわち客観物質から主観精神への段階、存在から思想への段階である。このときの精神・思想(理論・政策・計画・方法をふくむ)が客観外界の法則を正しく反映しているか、どうかは、まだ証明されていないし、正しいかどうかも確定できない。
しかしさらに認識過程の第二の段階、すなわち精神から物質への段階、思想から存在への段階がある。これが、第一の段階で得た認識を社会的実践にもちこみ、これらの理論・政策・計画・方法などが所期の成功をおさめうるかどうかをためすのである。一般的に言って、成功したものは正しく、失敗したものはまちがっている。…人間の認識は実践という試練を経て、さらに一つの飛躍を生む。
…この飛躍だけが、認識の最初の飛躍、すなわち客観外界の反映過程から得た思想・理論・政策・方法などが、けっきょく正しかったか、まちがっていたかを証明でき、これ以外に真理を検証する方法はないからである。」(毛沢東『人間の正しい思想はどこからくるか』安藤彦太郎訳、より)
つまり中医学の理論は、つくられた当初は、正しいか否かは大した問題ではありませんでした。現在は実践を行っている途上のようですね。
「はじめにきめた思想・理論・計画・方策では、部分的にせよ全面的にせよ実際に合わず、部分的にまちがうことも全面的にまちがうこともある、…多くのばあい、何度も失敗をくりかえして、はじめてまちがった認識をただし、客観過程の法則性との合致に到達でき、したがって主観的なものを客観的なものに変える。
すなわち予期された結果を実践のなかで得ることができるようになるものである。だが、いずれにせよ、ここまできたとき、ある発展段階におけるある客観過程についての人間の認識運動は完成したことになるのである。」(毛沢東『実践論』より)
このような思想的背景により生まれた中医学は理論的と批判することは妥当ではないと思います。もし批判するのであれば、適切に実践を行い適切に飛躍をしているか否か、という点になるのでしょうか。それを国家の責任とするか、実践を行う医療者各々の責任とするか、それとも両方であるかは一つの問題です。
ちなみにこの思想(これを唯物論的弁証法と呼びますが)は日本の昭和時代における伝統医学界にも影響を与えました。その影響を受けた一人が鍼灸界の巨人、柳谷素霊です。
(ムガク)
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