EBMとは「Evidence-based medicine」の省略で日本語では「根拠に基づいた医療」と呼ばれています。どんな根拠かというと、それは生理学や解剖学などによるものではなく、疫学や統計学によるものです。EBMは20世紀末期に現れましたが、しだいに広まりつつあります。
それまでは「私はそれはこう治療している」とか「高血圧の人は脳卒中や心筋梗塞になりやすい。故に降圧薬を使えばそのリスクは減るはずだ」というような、個人的な経験や推測を根拠にして治療するのが主流でした。
しかしEBMが現れると、今まで良いと思われていた治療が広い目でみると逆に死亡率が高く危険であることなどが発見されてきました。数え切れない人々の命や健康がEBMにより救われたことになります。これはたいへん大きな成果ですね。
このEBMを考えると熱力学が思いだされます。一つは医学に関することであり、もう一方は物理学に関することなのになぜなのでしょう。それはどちらも統計に基づくからのようです。量子力学の生みの親であるエルヴィン・シュレディンガー(1887-1961年)はこんなことを言っていました。
「物理法則は原子に関する統計に基づくものであり、近似的なものにすぎない。
…原子はすべて、絶えずまったく無秩序な熱運動をしており、この運動が、いわば原子自身が秩序正しく整然と行動することを妨げ、小数個の原子間に起こる事象が何らかの判然と認められうる法則に従って行われることを許さないからなのです。
莫大な数の原子が互いに一緒になって行動する場合にはじめて、統計的な法則が生まれて、これらの原子「集団」の行動を支配するようになり、その法則の精度は関係する原子の数が増せば増すほど増大します。事象が真に秩序正しい姿を示すようになるのは、実はこのようなふうにして起こるのです。
生物の生活において重要な役割を演ずることの知られている物理的・化学的法則は、すべてこのような統計的な性質のものなのです。…」(シュレディンガー『生命とは何か』岡小天・鎮目恭夫訳)
物理的・化学的法則は原子の集団の法則です。一個の原子の運命をその法則から知ることはできません。同じように臨床の世界でも一人の病に苦しむ患者さんの運命を疫学や統計学により知ることはできません。あくまでも分かるのは集団の傾向なのです。
それなので例えば「あなたの命はあと○カ月です」とか「この病気は治りません」などと患者さんに言うことはできません。それは非人道的なだけではなく非科学的な言動です。悲しいかな、心が弱っている時にそんなこと言われたら、一種の暗示や呪いのように無意識のうちにそれを実現しようとする働きが生まれてしまいますよね。
経験医学であれEBMであれ大切なことは治療後の効果の確認です。過去の別の人の経験や統計どおりに目の前の患者さんが治癒していく保障はないのですから。確率には常に不確実性が付きまとっています。
「待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日 せっせこ 野良かせぎ そこへ兎が飛んで出て ころり ころげた 木のねっこ」(北原白秋『子供の村』より)
この守株(カブヲマモル)のお話は2200年以上前からあるようですね。昔も今と同じ問題があったようです。
EBMと漢方・鍼灸医学のことを書くつもりがだいぶ話題がずれてしまいました。伝統医学についてのエッセーはたぶん次回からまた再開したいと思います。
(ムガク)
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