はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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No.90 ガンジーと伝統医学

2009-09-08 20:02:42 | 医学のはなし

墨家は平和を守るために「非攻」を主張し、もし他国から侵略される国があれば、命をかけてその国を守りに行きました。これは墨守と呼ばれていますが、攻撃に対して武力の防御で対抗することであり、戦争が生じる条件になります(「No.55 クラウゼウィッツと陰陽論(その2)」参照)。しかし防衛にはまた別の手段も存在します。


それはインド建国の父、マハトマ・ガンジー(1869-1948年)の主張した「サティヤグラハ」です。これはサンスクリット語で「真理の把握」を意味しますが、非暴力、非服従運動の中心的思想です。


当時、インドは大英帝国の植民地になっており、差別や抑圧に苦しんでいました。そして独立を望んでいましたが、だれでも思いつく方法が、大英帝国を武力でインドから追い出すというものです。しかしガンジーは、その方法を採用することも、その有効性を信じることもできませんでした。


結果的にガンジーの非暴力、非服従運動はインドの独立において非常に有効な戦略でした。第二次世界大戦が終わり、その2年後にはインドは戦争を起こすよりもはるかに少ない犠牲で独立を勝ち得たのです。


「夫れただ兵は不祥の器、物或に之を悪む」(『老子』三十一章)にあるように戦争は歴史が始まって以来(歴史自体がほとんど戦争の記録ですが)、悲劇を生み出してきました。ガンジーは国家間の闘争を暴力を用いずに解決し、またその闘争に終止符を打つような理想郷を考えだしました。


老子が「小国寡民」を理想の国として考えたように、ガンジーはパンチャーヤットを理想の国(村)として考えました。これは自給自足する完全な自治権をもった村(国)のことです。パンチャーヤットの上にタルカという村の複合組織をがありますが、軍隊もなく強制力もありません。これはそこに住むひとりひとりが「サティヤグラハ」を持つことが条件です。


しかし「サティヤグラハ」を持つには並々ならぬ精神力が必要です。他国から侵略されるかもしれないという不安、それを拭い去るには自国も軍隊、武力(抑止力)を持つ必要がある、という思想をなかなか捨てることはできません。


日本も憲法9条があるにもかかわらず、自衛隊という名前のついた軍隊を持ったように、1948年にガンジーが暗殺されると、インドも普通の軍隊を(核兵器も)持つ国家へと変化していきました。


ちなみに現在の医療界でも同じようなことがあります。感染症に対する非医学的で過剰な防御反応や、生活習慣病や悪性腫瘍などに対する薬物治療など、治療の内容も人々の心の不安から(また資本主義からも)影響を受けているようです。


それはさておき、ガンジーの(暗殺される直前に国民会議に提出された)憲法案には興味深いことが記載されています。衛生や医療制度の項目では公衆衛生や伝染病、公害、飲料水、病院や産婦人科に対する配慮が見られます。また医療費を無料にすることや伝統的療法や自然療法を薦めています。


ここでの伝統的療法とはインドに古代から伝わるアーユルヴェーダ(サンスクリット語で「生命の科学」)のことですが、アーユルヴェーダを広めることを薦めている訳ではありません。その国、その土地の伝統的な自然の医療、漢方でも鍼灸でもホメオパシーでも何でも構わないのです。


それと同じ頃(1949年)、コルチゾンという副腎皮質ステロイドのリウマチに対する実験が行われました。1人の患者に3日間で計300mgのコルチゾンを投与しましたが、その原料は約400kgの牛の副腎でした。いったい何百頭の牛の命が失われたのでしょうか。(現在ではコルチゾンをもっと効率的にメキシコヤムイモという植物から合成できますが…)


また1つの新薬が開発されるまでにも、数えきれないほどのネズミなどの実験動物の命が失われていきます。他の生命を犠牲にする、また自然を破壊する程度が、現代的医療は伝統的医療とは比べ物になりませんね。


とにかく「病気と戦わない」というのも治療の選択肢のひとつになるかもしれません。今まで病気と考えていたつらい症状、それと戦うことを止めた途端に治ってしまう、ということもよくあるのですから。


(ムガク)


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