はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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No.61 ベルクソンとイマージュ

2008-11-22 20:17:21 | 幻肢痛など

幻肢はデカルト(1596-1650年)が『省察』で取り上げて以来注目されてきました。その後ベルクソン(1859-1941年)が幻肢について言及すると、メルロ・ポンティ(1908-1961年)により幻肢についての詳細な解明が試みられ、現在ではV・S・ラマチャンドラン(1951年‐)などにより科学的に研究されています。


ところで「風雅の誠をせめよ」とは松尾芭蕉(1644-1694年)の言葉です。寺田寅彦(1878-1935年)はそれに対して、それは「私を去った止水明鏡の心をもって物の実相本情に観入し、松のことは松に、竹のことは竹に聞いて、いわゆる格物致知の認識の大道から自然に誠意正心の門に入ることをすすめたもの」であると説明しました。(エッセーNo.56「俳句と日本鍼灸」より)


この文中で使用された「実相本情」というものは、もしかしたら本居宣長(1730-1801年)の言うところの「性質情状(アルカタチ)」と同じものかもしれません。


「この陰陽の理といふことは、いと昔より、世ノ人の心の底に深く染着たることにて、誰も誰も、天地の自然の理にして、あらゆる物も事も、此の理をはなるることなしとぞ思ふめる、そはなほ漢籍説(カラブミゴト)に惑へる心なり、漢籍心を清く洗い去て、よく思へば、天地はただ天地、男女(メオ)はただ男女、水火(ヒミズ)はただ水火にて、おのおのその性質情状はあれども、そはみな神の御所為(ミシワザ)にして、然るゆゑのことわりは、いともいとも奇霊(クスシ)く微妙(タエ)なる物にしあれば、さらに人のよく測知(ハカリシル)べききはにあらず…」(本居宣長『古事記伝』より)


そしてこの「性質情状」というものはベルクソンの言うところの「イマージュ(image)」と同じかもしれません。


観念論にとらわれると見えなくなるものごとがあります。実在論や弁証法的唯物論にとらわれるとまた見えなくなるものごとがあります。同じように陰陽五行論にとらわれると見えなくなるものごとがありますし、また理気二元論や気一元論にとらわれても見えなくなるものごとがあるかもしれません。


ベルクソンは観念と実在の統一をどのように行ったのでしょうか。それは『物質と記憶』に記されていますが非常に難解です(宮本武蔵の『五輪の書』の空の巻では簡単に記されていますが実践することは簡単ではありません)。それはひとまず置いておいて、次回はまた幻肢の考察に戻ろうかと思います。


(ムガク)


No.60 観念論と実在論(その2)

2008-11-11 20:47:05 | 幻肢痛など

このエッセーを記しはじめて早一年。一巡して60段のいわゆる還暦です。やっと「鍼灸はなぜ効果があるのか」という主題に入りそうな気配がしてきました。幻肢痛のことについては一年前からまとめようと何となく思っていましたが、予定通りにはいかないものですね。


さて続きの実在論についてですが、これも観念論と同じくいろいろと種類があるようです。


まず主観の外に実在する物質が規定されているか否かで分類できます。前者は実在する物質は無規定なもので、主観が規定し表象が生じるというというものです。後者は素朴実在論とも呼ばれますが、実在する物質は無規定なものではなく、表象の原型として既に一定の性質(色や音や形など)を持つと考えられるものです。


また普遍的概念が実在するか否かでも分類できます。それが主観の外に実在する場合はプラトンのイデア論になります。それ故イデア論は観念論でもあり、観念の実在論でもあります(実念論とも呼ばれていますが、理気二元論に似ていますね)。またヘーゲルに代表される思想では観念を絶対化しました。この絶対化を行うと観念論も実在論も区別がなくなります。それは陰陽の対立と制約、相互依存の関係と同じものです。


普遍的概念が実在しないとする思想では唯名論があります。唯名論では実在するものは物質のみであり、いろいろな物質に共通な普遍的概念は単に共通なる名称または記号にすぎないと主張しています。


また実在する物質が自己の中に運動の原理を持ち、弁証法的に動いてあらゆる現象を生み出し、意識表象をもうみだすという形の実在論があり、それは弁証法的唯物論と呼ばれています。現代の自然科学(現代医学や脳科学も含めて)はこの思想に基づいています。唯物弁証法は物質的実在から意識をうみだすとする一元論的形而上学です(気一元論によく似ています)。これは上記の思想たちと同じレベルのいわゆる信念のようなものでしたが、自然科学的な物質の研究、技術の発達に大きな成果をあげました。


いろいろ考え方はありますが、簡単に言うとものごとが認識主観の外に実在すると主張する立場を実在論というようです。ちなみにそれぞれの思想につけられた名前は概念の恣意的な切り取り方を示しているだけなので、あまりこだわらなくても良いかもしれません。


観念論と実在論、いわゆる主観の世界と客観の世界が長い年月をかけて分けられてきました。これが科学や哲学の世界である種の成果をあげることを可能としました。しかしこの思想のどちらか一つだけを唯一絶対のものと捉えると不都合が生じます。たとえば唯物論的弁証法の信仰だけしか持ち合わせていないと心の問題の解決が難しくなります。それと同時に病気の治癒にも影響がでてきます。それについては追々まとめてみたいと思っています。


その後、分断されたれた観念と実在の二つを再び統一しようという思想が誕生しました。ありのままのものごとを見つめようとする態度をとった人がでてきましたが、その代表者がアンリ・ベルクソン(1859-1941年)です。


(ムガク)


No.59 観念論と実在論(その1)

2008-11-08 15:25:51 | 幻肢痛など

生命の科学的な研究や医学的な治療法の模索には、行き当たりばったりの経験だけでは不足です。多くの場合はどのように考えるかという思想が重要になってきます。それは医学的な実験方法を論ずるときも、臨床で治療に従事する時も、学会で議論しあう時にも関係してきます。科学の最先端での議論の対立も、意外と思想の根本的な部分の相違が原因である場合が多いようです。


そこでここでは観念論と実在論について簡単にまとめておこうかと思います。


まず観念論ですが、これはアイディアリズム(idealism)とも呼ばれています。それはプラトン(BC427-347年頃)がイデア(idea)という普遍的な概念が人の認識主観の外に実在すると考えたことが由来です。観念論は一つの単純なものではなくいくつか種類があるようです。それはイデア論、主観観念論、先験的観念論、絶対観念論などに大別されるようです。


イデア論とはプラトンの哲学ですが、それは物質的な現実の世界と、イデアと呼ばれる観念の世界を分けたものです。どちらの世界も存在するものですが、物質はイデアの普遍的な設計図により存在すると考えました。それ故、プラトンは形而上的なイデアの方が重要と考え、感覚や経験を軽視しました。


主観観念論とは個人の主観の優位を主張するものです。バークリ(1685-1753年)が代表的ですね。色彩や音や寒熱以外にも、物の形状、大きさ、運動や数といった性質のものも人の心の内に存在するものと考えました。ただしそれは自分が死ぬといわゆる客観的な世界も消滅すると考えるものとは異なります。物質の延長や運動は感覚することなしに想うことはできないという経験から生まれた思想なのですから。(これにはデカルトやロックなどの思想が対立します)


先験的観念論とは優位をしめる主観が単なる個人的なものでははく、あらゆる経験の基礎となるような普遍的主観である場合に成立します。この思想と実在論を混ぜ合わせるとカント(1724-1804年)の理性や判断力の批判哲学が生まれます。


絶対観念論とはカントの思想から実在論を取り除き、主観に絶対的な優位を与えた思想です。ヘーゲル(1770-1831年)やショーペンハウエル(1788-1860年)が代表的ですね。宇宙のあらゆる現象の根源となる普遍的な意志により、物質も生命も存在すると考えました。


このように観念論といっても少しく意味が異なります。しかし非常に大雑把に言えば、主観を重要視する思想が観念論であると言っても良いかもしれません。長くなってしまいましたので、続きの実在論については次回にしたいと思います。


(ムガク)


No.58 幻肢痛と鍼灸(その1)

2008-11-06 20:19:10 | 幻肢痛など

現在の日本の鍼灸教育の基礎は柳谷素霊(1907-1959年)により築かれました。柳谷素霊は鍼灸医学の歴史を素直に見つめようと努力し、また医学が信仰になることに危機感を抱き、鍼灸の科学化について常に真剣に考えていました。残念ながら志なかばにして他界しましたが多くの人がその影響を受けました。


柳谷素霊は晩年にヨーロッパへ行きました。そこでパブロ・ピカソ(1881-1973年)を治療したことが新聞で報道されて知られていますが、幻肢痛の患者も治療したことが伝えられています。存在しない(その患者さん以外には存在しないように見える)腕が痛むという病態に直面した時に思い出したのが『黄帝内経素問』の繆刺論篇であったようです。


繆刺論篇の内容とは簡単に言うと「邪」と呼ばれる何がしかの病原体もしくは病的な状態が身体の右にある時は左を鍼で治療し、左にある時は右を治療するというものです。それ故、柳谷素霊は患者の残っているほうの腕に鍼をすることで幻肢痛を止めたようです。


幻肢痛は以前から知られていたようです。例えばデカルトやニュートンも幻肢の存在を認識していたようです。四肢を切除した人の70%以上が幻肢を経験すると言われていますが、治療しない場合は数ヶ月から数年で消失するようです。また幻肢痛は四肢の切断時に痛みがあった場合に発症するようなので麻酔技術が未発達な時代にはさらに多かったでしょうね。


そもそも痛みというものを突き詰めていくと難しいものです。何しろ他人の真の痛みは分からないのですから。他人の痛みを想像や共感することはできても、本当にそれが相手の痛みと同一であるかは分かりません。PET(陽電子放射断層撮影法)やfMRI(機能的磁気共鳴画像)を使用して脳を調べても、その結果は痛みと同時に存在していた条件にすぎません。


また「痛い」という言葉の定義の問題もあります。ある幼児は「ママ」と「パパ」と「イタイ」という単語だけ使って(何も痛みを感じることがないような時に)会話をしていました。「イタイ」には身体的な苦痛以外の意味が成長の段階で加味されているようです。


『黄帝内経霊枢』の論勇ではどう書かれているかというと、痛みというものは皮膚の厚薄や肌肉の堅脆、張り具合によるもので勇敢だとか臆病だとかの心理的なものから来るのではないとあります。古代中国医学はこういうところが唯物論的ですね。


幻肢痛について続けて考えていく前に、次回は「観念論と実在論」についてまとめておこうかと思います。


(ムガク)