畠迷惑なBlog

こちらは国内編。国内ネタ無い時は海外編:http://blogs.yahoo.co.jp/roger_hataを書く

Gメン75

2010年07月21日 22時56分16秒 | 日記


Gメン75
1975年から82年ころまで続いたテレビドラマ。
配役に丹波哲郎、若林豪、氾文雀なんて名前、憶えありますか?

無邪気
最近、とんでもない所にラーメン屋がオープンしているのに気付いた。
西道路を北上。泉架橋を登る直前に側道へ。側道は200m足らずで終わり飯坂街道に接続する。
側道右手は架橋の壁。左手にこの店があるのだが、直面する信号を注視しなければならないため、この店の存在を気にする余裕は無い。
更に、この側道を通る人種は限られ、ラーメンを喰いたい人種ではない。

「言っちゃ悪いけど、とんでもない所に出店したもんですね。店の前は歩けない。飯坂街道からも店は見えない。信号待ちで並んだ車の内1台が偶然にみかける程度の店ですよ。」
「なにおっしゃいます。私ら、もっと見えないところで店出してたんですよ。TUF(テレビ局)の裏の裏で。やっと日の目をみたんです。」
「へエー? そんなもんですか? ところで俺、40年ぶりで、ほんとに美味いワンタンメン喰ったです。こんな味、福島では喰えないですよ。」
「ありがとうございます。この味、私ら、横浜で修業して来たんです。」
「横浜?そうですか。40年前のラーメン屋のおやじさんも横浜で修業して来たと言ってました。いやー、この味、俺にとっては幻の味、伝説の味です。」

中町食堂
知ったかぶりが大好きな俺は、ワンタンメン1杯でこの店の奥さんに中町食堂について、延々と講釈をたれたのであります。

中町食堂は、福島県庁に向けて立つ27階建のマンションの背中のほうにあった。
メニューはラーメンとワンタンメンの2つしかなかった(と思う)

どちらも醤油がベースで、知らない客が「あのー 味噌ラーメン」などと注文しようものなら、店主は急に不機嫌になって「そんなの よそへ行け!」って怒鳴る・・・・生意気ラーメン屋だった。

中町食堂は夫婦でやっていて、味に対しては絶対の自信を持ち、生意気ラーメン屋の真骨頂だ。 
この生意気度に憤慨して絶対に行かない人、俺のように優柔不断の者は、怒られないように緊張して入店した。

日生のおばちゃん
お昼ちょうどの中町食堂は日生のおばちゃんで埋っていた。今は生命保険にはネットで加入する。この時代、保険契約は中年女性に格好の職業だった。日生のおばちゃん達は中町食堂で日々情報交換していたようだ。

中町食堂は街の医院よろしく番号札を取らなければならなかった。番号で呼ばれるまではカウンターに行ってはならないのだ。
知らずにカウンター席に座るものなら「札!」って怒鳴られた。「番号札を取って待て」なんてお客を見下すラーメン屋。時代の鏡だったのか。

店の壁には*スターの色紙が誇らしげに掲げてあった。中町食堂の評判は、福島市公会堂にやってくる芸能人達にも知れ渡っていららしい。
うわさを聞いた。中町食堂には息子がいて東京のテレビ局でデレクターをやっている。と。

中町食堂のワンタンメンはホントに美味しかった。1ケ月も食べないでいると
飢餓感に襲われた。この飢餓感は「何か麻薬のようなモノを入れてんじゃねえか?」と言う者までいた。



昭和が平成に変る前に店主が突然死んだ
口の悪い人は「毎日、スープの味見をして塩分を摂り過ぎんだべ」と揶揄した。中町食堂のご夫婦はご近所との仲がすこぶる悪かった。葬式には花環はあがらないだろうな・・・と思っていたらズラリと

     こんな写真、あるわけないでしょ。俺が苦労して作った。
異様な光景だった。花環はGメン75の出演者めんめん。えっ?芸能人が死んだんか?街の人達はそんなふうに思った。息子がいて東京のテレビ局でデレクターをやっている噂は本当だった。


長い旅から戻って来たY君を冒頭の無邪気に連れて行き、ワンタンメンを食べさせた。ヤロは何の感慨もなく喰った。
ワンタンメンに関しては俺は文化を持っている。ヤロは文明だけ。










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バイクが空から降って来た。

2010年07月12日 20時12分10秒 | 日記


パートに行く時
俺の実妹は50ccのスクーターでパートの仕事に通っています。
身分はパートタイマーなれど仕事内容は会社経営、本人の弁。
今朝、農免道路で信号待ち。青に変わった瞬間、スクーターごと転倒。
脱げたヘルメットに手を伸ばす瞬間は後続車に轢かれる恐怖心で何故
こうなったか考える余裕なく。

肘の痛さを感じた時、あて逃げされたらしいと思った。
職場に到着、同僚に話したら「それは絶対あて逃げ、一応、警察に届けるべき」の声が多かった。

会社の近くの福島北警察署に電話してみた。
「あなたでしたか、今、あて逃げの被害者を探していたところなんです。今から現場検証を始めるので直ぐに現場に行って下さい。」
実妹は仕事のほうが重要だったが、警察に促されて転倒現場に行った。

あて逃げ。
信号待ちをしていた時、側にいた軽乗用車が急発進。スクーターを転倒させるも猛ダッシュで直進して行った。これを見た後続の車が追跡。車種と車輌ナンバーを警察に通報。警察は容疑者を確保。転倒現場に連れて来たところ
だった。
通報者も現場に駆り出されてた。
通報者は40歳代の紳士。車は高級車。
一方、あて逃げの容疑者は80過ぎの爺さん。


絶対認めない!
「おら、この交差点は通ったけど、そだバイク、絶対、いねがった。
 おらの車、誰サもぶつけてね。」
(後続車が目撃、追跡したのに)「そだバイク、空から降って来たんだべ。」等々、訳の分らぬことをまくしたてるだけ。
論理が通じない。
警察も困った。
軽乗用車には何かを擦った跡が、スクーターのタイヤの色に通じる。
警察はスクーターのタイヤを少し削り、車の擦り跡と科学的に分析することになった。
 困った爺さんだ。自分の動体視力が衰えたことを知る由もないのだ。


妹は打撲症の診断書を提出しなければならなくなった。
医者にいきさつを説明した。
医者も怒る。
「なんてこった!。私は70歳になった父の運転免許証を返上させたばかりだ。父は返したくないと固執したのをやっと説得したのだ。それなのに80歳にもなって。こいつは事故を振りまくだけだ!

ついでに
俺の長兄78歳。
車の運転歴63年。
2年に一度は、JAFの世話になっている。
2年に一度は、キイを車内に残したままドアをロックしてしまう。
兄の車、キイの電波でドアのロック、アンロックを行うもの。
どうやったらキイを車内に残したままドアをロック出来るのか俺には理解出来ない。 









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ラーメン 永平寺 芦原温泉 QPマヨネーズ

2010年07月10日 18時23分52秒 | 日記
ラーメン
あなたがラーメン屋を開業した場合、1杯500円とした場合、具材費・光熱費を引いたら儲けは1杯100円以下、いや50円以下でしょう。
早晩、同業者が周りに開店、たちまちにして閉店に追い込まれるでしょう。
こんな風景、日本中のいたるところで目にします。

永平寺
永平寺に行って来ました。
定期観光バスを降りる。入り口の自動券売機に500円を入れる。
上がり口のレジ袋を手にし、自分の履物を入れる。
レジ袋を片手に「参拝順路」の標識を見ながら廊下を昇る、下る、行ったり来たりすれば入り口に戻る。


これで500円。
永平寺の何処にも負担をかけなかった。強いて言えば、レジ袋を少し汚したか? 通行整理に雲水(修行僧)が立っていたが、彼の人件費の一部か?

日本は大乗仏教の国
日本人は宗派の違う他派のお寺でもなんでも平気で参拝する。

永平寺への観光客は途切れることなくやって来て俺と同じように帰って行く。
永平寺は何のサービスをしてくれたのだろうか?

1杯500円のラーメンを売る人あわれなり。

芦原温泉
おらほう、福島から福井県は遠い。永平寺、東尋坊をめぐるなら芦原温泉泊まりが一番良い。
若い頃、福井県への先進地視察旅行があった。
職場の仲間5~6名で予算消化のための視察であったと思う。
視察仲間は(芦原温泉さ行ったらストリップ観サ行くべね)暗黙の了解。

俺も思っていました
東京新宿、銀座で観る外人ヌードショー。それはそれは素晴らしい。
踊り子背が高く、出るところみな出て、足長く、肌白く。
映画かミュージカルの舞台をみているよう。

でも一度は日本人の、等身大の踊り子さんのも、拝むべきだ”と。

中居さんも薦めることだし。
「お客さん皆さん、ストリップどうです?」
「えっ?? そんなところ在るんですか?」
「お客さんたち、そのために芦原に来たんでしょ?」
「えーっ? 俺たち、そんな風にみられていたんですかあ? しょうがねぇなあ いくらです?」
「おひとり4千円です。9時にこの旅館に送迎バスが来ますから」
「あーそー はい4千円。あれ?チケットは?」
「あのね、この旅館のドテラを着て、この旅館の下駄を履いてバスに乗っていただければチケットはいらないの」

40人乗りのマイクロバス。各旅館をめぐり9時半にストリップ劇場に着いた。
午後10時、舞台が暗くなり、音楽に乗せて等身大の踊り子さん登場


キューピーさんが出て来たと思った。

蛇足:キューピーマヨネーズって海外で人気らしい。
   どんな料理にも合うので。
   しかも容器から搾り出す方法は驚きのアイデアなのだと。

自分を嗤う
ストリップショーは午前0時に終了。
迎えのバスはマイクロバスでなく、9人乗りワゴン車。
これが最終の車と言われ、おらも必死で乗り込んだ。
助兵衛な男ども悲鳴を上げるほど、20人ほどが詰め込まれた。
ガラス扉に圧迫された俺の顔、通りの窓に映ってヒドかった。

こんな時、大型トラックと衝突して俺、死んだら、
俺が入った棺桶を覗き込んで、妻も子も会葬者も「この馬鹿親父!」って怒るんだろうな。
こんな死に方をしたら、さすがの俺も恥ずかしいくてあの世に行けないだろうな・・・・・
そんなことを思いめぐらしたら、ワゴン車の中でひとり嗤った。










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文化と文明

2010年07月05日 22時56分27秒 | 日記
文化文明の違いを説明できますか?
って問われて、俺、おばかだから答えらんにがった。
そこで識者の言葉を借りると、文化は売り買い出来ない。なるほど、おらが町、福島市文化センターは売ったり買ったり出来ない。

文明と言えば「文明の利器」って呼ばれる物、車、テレビ、みな売り買い出来る。

The Cove(ザ・コーヴ)
7月4日(日)横浜へ。映画ザ・コーヴを観に。
この映画上映開始2日目。東京でも横浜でも1館でしか上映していなかった。上映賛成派、反対派が映画館の前で気勢を上げたため、警察官が警戒するなかの上映となった。テアトル横浜に入館したらスクリーンの側に警察官が立って上映となった。こんな緊迫した映画は初めて。



この映画について少しだけ解説します。
Cove(コーヴ)とは「入り江」。和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を、イルカ保護運動家が、いわば盗撮し、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門賞を受賞した。


60年代、わんぱくフリッパーなるTVドラマがあった。このドラマは”イルカを調教すれば金儲けが出来る”ことを世に教え、世界中の臨海公園でイルカショーが始まった。
映画によると、太地町のイルカ漁獲量、年間2万3千匹。追い込み漁ではイルカショーに使えるモノを選んだ(高額で販売)後は撲殺、入り江を真っ赤に染めて、魚肉は鯨肉として出回る・・・そうだ。

食文化
この映画に関してNetの世界では喧しい。
「鯨やイルカを食うのは日本の食文化だ!」と相変わらず。
でも、映画の中でも言う。日本が限りある資源を無視して乱獲し、食文化論に逃げ込むのはズルイ・・・と。

俺も思った。
鯨肉、イルカ肉を食うのは食文化とは違う。
鯨肉、イルカ肉は売り買いが出来る。
食文明だあ!


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