畠迷惑なBlog

こちらは国内編。国内ネタ無い時は海外編:http://blogs.yahoo.co.jp/roger_hataを書く

海外旅行の話を聞く

2010年08月31日 21時34分59秒 | 日記

高齢いや恒例により那須の別荘に集いました。
今回は○木氏がヨルダンとシリア、さらにはトルコへ。
□村さんがピースボートで地球一周の船旅から帰国されたのでおみやげ話を聞くために集まりました。

この写真は2日目の朝、那須町の某レストランへ車を走らせ朝食をいただいた時のもの。
このレストランはパン専門店。店の外、林の中にテラスを配置してある。

Blogの話題が枯渇しているので、○木氏、□村さんの体験談をあたかもわしのモノのように取り繕ってみせます。



○木氏が行ったヨルダンのペトラ遺跡(Googleの写真から)



○木氏が行ったヨルダンの死海(Googleの写真から)「視界が良ければ対岸にイスラエルが見えるんだ。」って言ったけど、死海と視界のジョークなのか本当のことなのか我々にはわからない。海の上に寝そべるなんて楽しいことだと思う。けれどもこのようにバランスがとれるまでには簡単ではないと。


アッラーの神とトイレの紙

20年くらい前にNHKテレビで観たのです。
アフリカ沖の日本漁船。♪~アンコー便りは アンコー便りは~♪
 都はるみの演歌が漁船のスピーカーからガンガン鳴らされる。海の上だからなんぼ大きくても良いのだろうが、甲板には作業員が一列に正座して深深と頭をさげ祈っている。船はちょうど網を引き上げたところ、網の中では魚が躍っている。
作業員はイスラム教の人達で、日に何度もメッカに向かって礼拝を行う。仕事の局面がどのような状態にあろうが礼拝が最優先。決して曲げないのだと。

○木氏も、このような光景を目撃してきたそうな。
飛行機の乗客がスチュワーデスに「メッカはどっちだ?」と聞くそうだ。
「あっち!」スチュワーデスは(多分)適当な方角を指指す。
すると尋ねた乗客は飛行機の通路に出てきて足元にゴザだかなんだか敷いて礼拝をするそうだ。

トイレに困った
○木氏はヨルダン、シリアで三つ星、五つ星のホテルに泊まった。
これらのホテルのトイレは水びだしになっていて入れないそうだ。
??どうもイスラム教の人たちはトイレに入った後、身を清める儀式を行っているらしい。巻き取りトイレットペーパーまでもが水びだしなんだって。
アッラーの神は アッラーの紙にしてしまう。機内のトイレも水びだしなのだそうだ。












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冬の夜/終戦記念日/病気は命を救う

2010年08月15日 23時24分14秒 | 日記
暑くて暑くて冬の夜が恋しくなりました

文部省唱歌 冬の夜
 一、
  燈火ちかく衣縫ふ母は 春の遊の樂しさ語る。
  居並ぶ子どもは指を折りつつ、日數かぞへて喜び勇む。
    圍爐裏火はとろとろ、外は吹雪。
 二、
  圍爐裏のはたに繩なふ父は 過ぎしいくさの手柄を語る。
  居並ぶ子どもはねむさ忘れて、耳を傾け、こぶしを握る。
    圍爐裏火はとろとろ、外は吹雪。


どうですか、涼しくなりましたか?
今日は終戦記念日
この唱歌の二番。
圍爐裏のはたに繩なふ父は 過ぎしいくさの手柄を語る。

終戦をもってこの歌詞:過ぎしいくさの手柄は、
           過ぎし昔の思い出語る・・に変更されたのはあまりにも有名。
でも、昔の思い出話をこぶし握って聴くのも変・・とツッコミも入る。

おらの父ちゃんも冬の間は繩をなって過ごしたが、手柄話は語らなかった。
父ちゃんは戦場でなく北海道に送られて炭鉱堀をやらされた。こちらは「休め!」ってのが無く働きずめ、腹も減ってつらかったらしい。


小田原の老人ホームの昼食を食べてきました。



正直言って美味いモノではない。
超高齢になり自分で何も出来なくなったら、これを食べるしかないので食べる。
入所者皆おなじ思いで食べているのだろう。

で、なんで小田原まで行ったのか言いますと、世界一周の船(正確には地球一周と言う)で知り合いとなった戦友ならぬ船友(A氏))が老人ホームに入所しているからです。

私は老人ホームってどんなものを食べるのだろう?と常々思っていたので、
あらかじめ訪問することを伝え、昼食二人前を用意してもらいました。
そして彼と一緒に食べました。⇒向かって右がA氏




A氏の生涯
A氏は90歳になられた。彼の年齢、身内は皆黄泉の国へ。孤独となったので入所した。
A氏のこれまでの人生を聴くと凄いの一言。
世界一周の船のリピーター。北周り、赤道周辺、南周りの3度も乗船。南周りでは南極までも行っていた。
いや、それ以前、外資系医薬品メーカー社員時代、1ドル360円の時代、ジェット機が登場する以前にプロペラ機で世界各地へ出張(本人は遊びと言う)していた。
アメリカ、ニューヨークに出張した時、フロリダへ遊びに行った。ところが全米の飛行機が止まる一大ストライキがあった。「ニューヨークには当分帰えれないよー。」と電話したらニューヨークから専用機が迎えに来てくれた。この電話は一流レストランからした。たまたま日本から大手企業の社長も来ていて社長も帰れなくて困っていた。A氏は迎機に社長も乗せてあげた。

病気は命を救う
この世代は戦争体験を抜きにしては人生を語れない。
南方の戦線に送られた時マラリアに罹かった。
マラリア熱には三日マラリアと五日マラリアがあるそうだ。

三日マラリアは高熱が三日間続き生死をさまよう。五日は五日間さまよう。
A氏は三日マラリアと五日マラリアの両方に罹ってしまった。
要するに戦場にいながらほどんと病床で過ごした。
戦況は悪化、退却につぐ退却。
彼を看てくれる戦友もいなくて隊では遺棄しようと考えた。

でも部隊長は言った「こいつは大学を出ている。本土に帰還させたら何か役に立つこともあるかもしれない。」
彼はその部隊が消滅する半年前に本土に送られ、長野県の山奥の医療施設で
終戦を迎えた。

A氏は病弱だったため、先の大戦を生き延びて他人よりいち早く時代の幸福を享受した。

氏の老人ホームは少し高級。いわゆるセレブだった方々が入所している。
隣室に陸軍大将のお嬢さま(80代)が入所しているのが自慢だ。



















コメント (1)
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熱中症になりました

2010年08月13日 06時47分39秒 | 日記
夜中に
夜中に手足のしびれを感じて目が覚めた。
なんだべ、こんなの初めてだ?
熱帯夜だったので二階に寝ていた。
起きて歩いてみた。 足の指がびりびりして 歩くと違和感があった。これは脳梗塞の前兆か?

脳弱い一家
俺んちは脳弱い一家だ。父親は脳卒中53歳、母親は94まで生きたが、脳卒中、脳梗塞で救急車に4回お世話になった。
実姉(80)次兄(74)は脳梗塞でそれぞれ1ケ月入院した。
実姉、次兄のその時を思い出してみた。

実姉は
老人会、白川郷へ一泊二日のバス旅行。 無口になって帰宅した。
旅先でトラブルでもあったのかと思ったらバスの中で軽い脳梗塞を発症していた。但し、本人は全く気付いていなかった。「どごも悪りぐね!」と強調するのを病院に連れて行きMRI写真で確認、入院させた。けど退院してからも無口は回復しなかった。年齢的には無理なのだ。

次兄は
朝、突然に左腕が”だらり”と。
血圧の薬をもらっているいつもの医院へ行ってみた。「こりゃたいへんだ。紹介状を書くから直ぐ○○病院に行きなさい」
次兄は青くなって自宅へ戻ると、○○病院へ車を走らせた。で、「あれ、ギヤが効がね!」握力ゼロになった左腕でギヤを操作しようとしていた。


○○病院
インターネットで脳神経外科へ診察の予約を入れた。
お笑い芸人くりぃむしちゅーの上田によく似た先生に手足のしびれを訴えた。
「あー それは熱中症ですよ」
「えっ?? だって俺うちは脳梗塞の家系ですよ」
「あのね、脳梗塞だったら指全部がしびれたりしませんから。」
「なあーんだ でも、あんまり嬉しくねえなあ 熱中症になるってことは それだけ老人になった証しだかんね」

「それよりも大事なことは MRIを撮ることですよ。」
「ハイ そのつもりでインターネットか予約させてもらいました。」

MRIの結果はもっと深刻。

脳の写真には梗塞が無かった。・・・この写真はもっと偉大な梗塞の例



けど、脳血管には何か突起物が映っているそうな。


「先生、それがいわゆる脳静脈破裂とかいうやつですか?」
「いや、私も何だか説明できないモノです。ま、それがどうなるかは来年またMRIを撮ってみればわかりますから 次ぎの方どおぞー」
コメント (4)
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