今年こそ、富士山にと、足慣らしに近くの山に出かけたが、
脹脛が痛くなり、階段も登れず、お盆は一休み。
膝はなんともないのでまだチャンスはありそう。
12日に登った人の話では、朝方頂上の富士山レーダーの傍の石碑で写真を撮る
のに40分待つほど渋滞したそうです。
お盆がくると、いろいろな事を考えた。
「産めよ増やせよ」と国の大号令で生まれた
同い年の人が、空襲や原爆で命をおとしたこと、
父母や弟のこと、二十歳まえに亡くなった同級生のことなど。
先に逝ってしまった人々には、命を大事にするしか浮かばないが。
一人で生まれてくることがあるだろうか?。
大多数の子供は親からも、社会からも次の担い手として祝福と期待で
生まれてくると思う。
独死を考える。
一人で死なないで、皆でしんだほうがもっと怖いのではないかと思う。
ある日突然、一家が、隣近所が、飛行機ごと、村が、町が無くなってしまったら、
知っているだけに、なおさら怖い。
心の問題かもしれない。
同じ墓に入らない人がいる。
その人にとって、別々は抵抗感なく受け入れることができよう。
しかし、
次も一緒なろうと約束して別れる人もいる。
この人に、「独死」とはなんと惨い言葉でしょう。
阿弥陀仏が仲のいいことに嫉妬して、言ったとしか考えられない。
人間の記憶には、「楽しい」ことより
「苦しい」ことのほうが多く残されている。
きっと「悲しい、寂しい」ことを忘れようとするため、
いつまでも思い出してしまうような気がする。
脹脛が痛くなり、階段も登れず、お盆は一休み。
膝はなんともないのでまだチャンスはありそう。
12日に登った人の話では、朝方頂上の富士山レーダーの傍の石碑で写真を撮る
のに40分待つほど渋滞したそうです。
お盆がくると、いろいろな事を考えた。
「産めよ増やせよ」と国の大号令で生まれた
同い年の人が、空襲や原爆で命をおとしたこと、
父母や弟のこと、二十歳まえに亡くなった同級生のことなど。
先に逝ってしまった人々には、命を大事にするしか浮かばないが。
一人で生まれてくることがあるだろうか?。
大多数の子供は親からも、社会からも次の担い手として祝福と期待で
生まれてくると思う。
独死を考える。
一人で死なないで、皆でしんだほうがもっと怖いのではないかと思う。
ある日突然、一家が、隣近所が、飛行機ごと、村が、町が無くなってしまったら、
知っているだけに、なおさら怖い。
心の問題かもしれない。
同じ墓に入らない人がいる。
その人にとって、別々は抵抗感なく受け入れることができよう。
しかし、
次も一緒なろうと約束して別れる人もいる。
この人に、「独死」とはなんと惨い言葉でしょう。
阿弥陀仏が仲のいいことに嫉妬して、言ったとしか考えられない。
人間の記憶には、「楽しい」ことより
「苦しい」ことのほうが多く残されている。
きっと「悲しい、寂しい」ことを忘れようとするため、
いつまでも思い出してしまうような気がする。
私の場合、つい最近の別れ、また、子ども頃に逝ってしまった父のこと、その他、血縁のもの、ご近所の人たち、普段に忘れていたことも、時には思い出してやりなさいと言うことかもしれませんね。
思い出話をして故人をしのぶ八月です。
学生の時に自ら命を絶ってしまいました。
何年かしてお線香をあげにいった時、
厨子の中にお地蔵さんが置かれ、これを拝む母親をみて、命を粗末にした友を恨みました。
今年のお盆はいろいろ考え、更新が疎かになりました。