ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

◆3月号◆ 愛の随想録(26) 「勇敢でありなさい」

2009-03-01 | 愛の随想録
入試ミス次々発掘
 暗いニュースばかりが目につく時代ですが、時には人に勇気を与えてくれるような話題に出会うこともあります。先日、世の中には奇特な人がいるものと感心させられる記事を読みました(朝日09/02/08)。

 福岡在住の金子直樹さん(塾講師、34)は、大学入試の日本史の出題ミスを探し出して大学に指摘するという活動をボランティアで行っているそうです。出題ミスによって不合格になった受験生を救済するため、また、大学側に同じミスの再発防止を求めるためだといいます。その結果、これまでに九州や関東の四つの大学が得点修正に応じ、三九人の不合格者の追加合格が認められました。
 二〇〇八年三月、九州の有名私大が日本史に出題ミスがあったと発表し、全員を正解扱いにしたことがありました。これによって、二一人の追加合格者が生まれました。このミスを指摘したのも、金子さんでした。金子さんは、「ミスで落とされる受験生がいる以上、やめられない」と語っています。
 この記事を読み、次の聖書の箇所を思い浮かべました。
 「幸いなことよ。さばきを守り、正義を常に行う人々は」(詩篇106・3)

 金子さんは、自分の活動が認められるかどうかに関係なしに、このボランティア活動を実践しておられるのです。金子さんのような人が増えれば、今の社会はもっと生きやすいものになるはずです。読みながらチャレンジを受け、本当の勇気とは何かを考えさせられました。


本当の男らしさ
 カリフォルニア州で牧師・著作家として活躍しているマイク・エール(Mike Erre)氏は、勇気について以下のようなことを書いています(When Guys Need God: Harvest House Publishers, 2008)。

 「本当の男らしさを求めてハリウッド映画を観ても、そこには回答はない。映画が勇気ある実在の人物を描いたものであったとしても、観客は『自分もあのように格好よくなりたい』とエゴを膨らませるだけである。勇気というのは、偉大な出来事の中だけでなく、些細なことの中にもある。
 映画館を出て車に乗る時、ドアを開けようとして隣に止まっている車に傷をつけた場合はどうするか。そのまま立ち去るか、名前と住所を書いた紙を残していくかは、決して人生を左右するような大事件ではない。そのことをテーマに映画を作る人などいない。自分がしたことを隠そうと思えば隠せる。しかし、こういう状況こそが私たちの内に勇気と徳とを育ててくれるのである。
 別の例を上げてみよう。映画から家に帰ってきたとする。そこには、夫婦関係を拒む妻、あるいは、いつもイライラしている妻、がみがみ言う妻、だらしない風貌の妻がいる。そのような場合、家庭以外の場所で満足を見出そうとする誘惑は極めて大きい。それは、現実逃避によって満たしを得ようとする誘惑である。その誘惑に正しく対処することは、墜落した飛行機から人々を救出することと同じくらい勇気がいることである。
 真の勇気とは、老年になった両親を見捨てず、彼らを訪問して心配りをすることである。真の勇気とは、誰も見ていなくても、ビジネスの世界で誠実な行いをすることである。また、損になっても約束したことを実行することである。ハリウッド映画は、このような男性的な勇気は描かないものである」

 この一文を読むことは、私にとっては「自省の時」となりました。
 ここに書かれた内容は、多かれ少なかれ、私たちが日々経験することです。日々の小さな選択の積み重ねによって、私たちの人格は磨かれ、完成へと導かれます。大切なことは、些細に思えるような選択が、実は極めて重大な結果をもたらすことを知ることです。その認識が、勇気ある生涯への第一歩となります。


イエスのことば
 では私たちは、いかにして勇気をもってこの時代を生き延びることができるのでしょうか。
 新約聖書(新改訳)の中で「勇敢」という言葉を探してみると、次のイエスのことばに出会います。
 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16・33)

 このことばが語られた背景はこうです。イエスは最後の晩餐の直後に、弟子たちにこう言われました。「しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしを見ます」。これは十字架の死と、三日目の復活を預言したものですが、それが弟子たちを不安にさせたのです。
 イエスは弟子たちを励ますために、新しい時代が来ようとしていることを教え、「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」とお語りになりました。
 イエスのこのことばから、神に信頼して歩む人生の二面性を学ぶことができます。ひとつは、「私たちは世にあっては患難を経験する」ということ、もうひとつは、「しかし、イエスを信じる人には平安が約束されている」ということです。その平安の源は、イエスが三日目に復活し、今も生きておられるという事実です。