ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

◆6月号◆キリストの愛に包まれて

2008-06-10 | 番組ゲストのお話
人形作家、タイ宣教師夫人 杉岡 広子

■神様の時■ キリスト教との出会い
 小学生の頃、アメリカからの宣教師一家が我が家の近くで宣教を始めました。私の母は子どもにそこで英語を習わせようと訪ねましたが、子どもたちは毎回宣教師館で家の中をメチャクチャにして遊び回りました。その様子を見た母は申し訳なく思い、償いに礼拝に出席することを決めました。初めて開いた聖書の「誰よりもお前を愛す」という御言葉に目がとまり、夫婦間の問題で悩んでいた母は聖書の学びを始め、数年後洗礼を受けました。
 私はいつも母と共に教会に行きました。元気になっていく母の姿を見ながら、母がキリスト教に出会って本当に良かったと感じていましたが、自分にとってはまだ信仰の必要性を感じていませんでした。教会で大人が「おー神様、助けてください」と大きな声で祈る姿を見るたび、働き盛りの大人がどうして自分の力で頑張らないのだろう、と疑問を感じました。その当時、私にとって神様とは、困った時、苦しい時、自分の力ではどうしようもないような危機的状況にあった時、初めてすがるものだと思っていました。
 私は好きな時に教会に行き、頼まれれば教会学校の手伝いや特別集会の受付もする、そんな教会生活を続けていました。牧師や宣教師は、毎年クリスマスやイースターが近づくと私に洗礼の話をしましたが、私はひたすら拒み続けました。当時の私にとって洗礼を受けるということは、自由を奪われ、花の青春時代を失い、縛られた生活をさせられると思い込んでいました。
 そんな私が教会に行き始めて約二〇年後、ふとしたきっかけで洗礼を受けたのです。何の危機的状況も困難も無い時に、自分でも不思議なほどあっさり決心してしまいました。洗礼を受けた翌年、アメリカで聖書の学びをする機会が与えられました。そこで初めて神様に守られている自分を発見しました。祈ること、委ねること、賛美すること、感謝すること、そして罪についても自然に学びました。その時初めて、本当の自由についても分かった気がします。神様の時というものは人間には計り知れないものです。

■神様の計画■ バイブルドールミニストリーについて
 聖書人形製作は、七年前にCS(教会学校)の御言葉カードのために作ったことがきっかけで始まりました。現在はバンコクの神学校で人形製作を指導したり、CSキャンプで子どもたちと人形を作ったり、クリスマスやイースター礼拝での人形の展示や、今回の「十字架の道行き」人形展など様々な活動を行っております。
 今になって思うと、高校三年の夏、結核性肋膜炎になり進路が絶たれ絶望のどん底の中、仕方なく療養をかねて通った洋裁学校の二年間、その後九年間所属したアマチュア劇団での舞台作りと衣装係の経験、アメリカでの聖書の学び、タイでの宣教活動等すべてのことがこの人形作りに活かされているのです。神様の計画は計り知れない、人生無駄なことなど何ひとつないと実感させられます。
 人形製作は今も試行錯誤の毎日ですが、聖書のひとつひとつの場面を作りながら、その場の空気や風土、人々の生活や気持ちを考えていると、いつのまにか自分がその場面に引き込まれ、そのたびにイエス・キリストの大きな愛を感じ、幸せに包まれ、時間を忘れて夢中で作ってしまいます。ひとつ出来るとまた別の場面が作りたくなり終わりがありません。この活動が引き続き、福音の届きにくい地域や試練の中にある人々にキリストの愛を伝える働きになればと祈っています。

■神様の恵み■ タイでの宣教活動
 私たち家族は現在、宣教師として派遣された夫と共にタイ、バンコクで暮らしています。私はタイに発つ前、「何の特技もない私ですが、神様がこの小さな私をどのように用いてくださるか楽しみです」と言ったことを覚えています。あれから六年、今では家族全員家でゆっくり過ごす時間もないほど、多くの場所で様々な仕事を与えられています。それぞれの働きがいろんな方との出会いから始まり、いろいろな人たちに支えられ、大きな恵みと喜びを与えられています。
 また「十字架の道行き」人形展を通しては、タイ人以外の方々との出会いも与えられました。仕事を求めてやってきたアフリカ人たちや中東の人たち、自国から逃れてきたイラクのクリスチャン、アジアの近隣諸国から出稼ぎに来ている人たち。世界中には迫害を受けながらも自分の信仰を必死で守っているクリスチャンたちが多くいることも初めて実感しました。今まで私たちはタイの中で、スラムの人々、刑務所や少年院の子どもや大人、行き場を失ったシングルマザーたち、十分な教育を受けられない貧しい田舎の人々、エイズの人たち等と関わりを持ってきました。タイという同じアジアの国に派遣されたことで、こんなに多くの人たちとの出会いが与えられ、聖書人形を通して、神様は私に大きな愛を示し、その愛を伝えていく喜びも教えてくださいました。
 これから神様は私にどんな計画を持っていらっしゃるのでしょう。私はただすべてを主に委ね、神様の指令を聞き逃さないように耳を澄ませ、肩の力を抜いて、心を主に向けて歩んでいこうと思います。