ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

問題児から牧師、そして教誨師へ

2006-05-09 | 番組ゲストのお話
◆5月号◆ 問題児から牧師、そして教誨師へ
熊本ハーベストチャーチ 牧師 中村 陽志 氏


・タダのコーヒー
 それは寒い一月のある日の出来事でした。中学一年になっていた私は、家の鍵を忘れ、雑餉隈という町をぶらぶらとしていました。前日は友達と朝まで遊び歩き、昼過ぎに家に帰ったのです。裏路地から表通りに出る時、一人の男性から声をかけられました。その人は、目の前にある喫茶店でキリスト教会の集会があると言って、私を誘ったのです。キリスト教には興味はなかったのですが、コーヒーがタダならという気軽な気持ちで、付いていくことにしました。そこで初めてイエス・キリストの話を聞きました。イエス・キリストが私の罪のために十字架に死んでくださったこと、三日目に甦って今日も生きておられること、信じる者に永遠の命と将来を与えてくださるということなどを、私は単純に信じる決心をしました。というのも、その頃の私は、将来に対する不安、死に対する恐れを持っていたからです。

・母の死と父の蒸発
 私の母は、私が小学校5年生の時に、36歳の若さで胃がんで亡くなりました。苦しみながら死んでいく母の姿が目に焼きつき、死んだら人間はどうなるのか、私も母のように早くに死んでしまうのではないかと、死に対する恐れに束縛されるようになりました。
 また将来に対する不安もありました。父は小さな建設会社をやっていたのですが、母の死後、会社は傾き始め、私が中学に入った頃には会社が倒産しました。ある朝、一人暮らしをしていた姉が家に来て、父が夜逃げをしたことを私たち兄弟三人に告げました。その日から借金取りが家に来るようになりました。私たちは泣く泣く家を処分し、姉の住んでいた1DKのアパートに兄弟四人で住むようになりました。それからというもの、家に帰っても面白くなく、部活をしていても充実感がなく、夜な夜な友達と遊び歩く生活が始まりました。喫茶店での集会に誘われたのはそんな時でした。

・洗礼
 単純にイエス様を救い主として受け入れた私は、その日の内に教会に行き、洗礼を受けました。教会を出て家に帰る時、すべてが変わったことを実感しました。死に対する恐れと将来に対する不安から解放され、私の心には喜びが溢れました。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました』(第一コリント5・17)。
 しかし教会に行き始めたからといって、生活環境が一変したのではありません。両親がいないということもあり、弟や妹は非行に走ってしまいました。ある事件を通して、妹は更生施設のお世話になるようになりました。面会のためにその施設に立ち寄った際に、私は初めて教誨師という働きがあることを知りました(教誨師とは、宗教教誨を担うボランティアのことで、それぞれの宗教的な背景を用いて、受刑者の方々の更生のためにさまざまな学びや個人的カウンセリングを行なう人のことです)。更生施設の職員の方が、「彼女達は何らかの事件や非行に関わり、この施設に来ているのですが、本当は無邪気でかわいい人たちばかりです。しかし社会復帰すると、ほとんどの人が元の生活に帰っていってしまいます。帰る温かい家庭がないことが多いのです」とお話してくださったことが今でも心に残っています。将来の進路のことを考えていた私は、もし神様が牧師として私を召しておられるなら、教誨師となって福音を届ける働きをさせていただきたいと祈りました。

・教誨師への道
 高校卒業後、教会で牧師になるための学びと訓練を受け、23歳の時に伝道師となりました。働きに関しては、特にティーンエージャーとの関わりが多く、数名の暴走族の青年たちが教会に来るようになり、救われていきました。献身した時から、私の中には教会開拓のビジョンがありました。三十歳の時に、神様は私たち夫婦を熊本に教会開拓のために押し出してくださいました。母教会の主任牧師や兄弟姉妹の支えは、私たち夫婦にとって大きな励ましとなりました。
 開拓をスタートした翌年の新年聖会で、30年以上教誨師をしておられるある牧師の説教を聴きました。その説教によって、私のうちに与えられていたビジョンがもう一度燃え上がるのを感じました。その牧師から指導を受け、教誨師となる準備を始めましたが、すぐには門が開かれませんでした。それからしばらくして、熊本市在住のある牧師から、教誨師にならないかとの打診を受けました。神様からの祈りの答えに驚かされました。その後、教誨師として奉仕させていただくようになり、今では隔月のグループ教誨(約十五名のクラス)で、『アルファ・コース(聖書の学び)』を教えています。さらに毎月、2~4名の個人教誨を通して、受刑者の方と関わらせていただいています。昨年はその中から3名の方が明確にイエス様に出会われ、刑務所内で洗礼を受けました。

・教会へのチャレンジ
 日本は今、犯罪の凶悪化、低年齢化、再犯者の増加など多くの問題を抱えています。解決策の一つとして、欧米などでよく見られるような聖書的価値観に基づく更生のプログラムを実施することが急務だと感じています。そのための施設の設立も必要です。今年の五月から施行される監獄法の改正で、教育面の充実が図られようとしています。しかし、一般教養や職業訓練などの教育が施されても、心の闇に対するケアがなされないなら、出所後に社会復帰できずに再び罪を犯してしまう人が多く出ることでしょう。今こそ日本の教会が立ち上がり、このことに対してチャレンジする時ではないでしょうか。