ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

◆8月号◆ 愛の随想録(31)「経済不況の中で」

2009-08-01 | 愛の随想録
 最近ハーベスト・タイムに、会社のリストラや事業縮小などで職を失った、将来が不安なので祈ってほしいという依頼がよく届くようになった。ある方は、「お祈りももちろんしておりますが、神様の御心がどこにあるのか全く分かりません。このような時、力を与えてくれる御言葉があれば、そしてどのように生きていったらいいのか、是非お教えしていただきたくメールを送らせていただきました。先が見えず、苦しく眠れない毎日を過ごしております」と書いて来られた。先が見えない状態は、だれにとっても苦しいものである。と同時に、試練の中でしか見えてこないものもある。苦しい時は、人生の基本に立ち返る時であろう。

「人生の棚卸し」を実行する
 試練の時こそ、自らの歩みを振り返るチャンスとなる。人は、順風満帆の時には自らを振り返る必要性を感じないで生きている。ところが、逆風が吹いてくるとそうはいかなくなる。日頃の生活を吟味することは、「人生の棚卸し」を行うことと同義である。その棚卸しには、物質的側面と霊的(精神的)側面とがある。先ず、収入の範囲で生活してきたかどうか、また、無駄(浪費)はないか、さらに、将来に向けて備えをしているか、などを点検する必要がある。これらのことをしっかりと点検するなら、自分でも驚くほど生活が簡素化されるはずである。
 さらに、霊的(精神的)点検をする必要がある。自分の心がどこにあったのか、偶像礼拝に陥っていなかったか、日々聖書を読み祈ることを習慣としていたか、などを点検するのである。ちなみに、偶像礼拝とは「神以外のものを第一とすること」である。クリスチャンであっても、この罪に陥っている人は多い。

「感謝の心」を選び取る
 試練の時は、感謝することを忘れがちになる。感謝は、感情から自然に生まれるものではなく、意志によって選び取るものである。すべてがうまく行っている時には、だれでも感謝の思いがわいてくる。しかし、感謝とはいかなる時にも意志をもって選び取る行為である。ダビデは、「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある」(詩篇34・1)と歌っている。この時のダビデの状態を、この詩篇の前書きはこう解説している。「ダビデによる。彼がアビメレクの前で気が違ったかのようにふるまい、彼に追われて去ったとき」。ダビデは、自分の人生を呪ってもおかしくないような状況の中で、神をほめたたえることを選び取ったのである。
 使徒パウロは、キリストの再臨が近いのではないかと浮足立っていたテサロニケのクリスチャンたちに、こう助言している。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケ人への手紙第一5・16~18)
 喜ぶこと、祈ること、感謝することは、すべて意志の力によってなすものである。感謝することを一つ一つ上げていくと、無尽蔵の恵みが湧き出してくる。そして最後には、生かされていること自体が、どれほどの恵みであるかに目が開かれることだろう。神は私のような者を生かし、愛していてくださる。なんと有難いことか。こういう心境になれたなら、自分を取り巻く状況が今までとは違ったものに見え始めるはずである。

「新しい発想」をする
 一つの扉が閉ざされたなら、別の扉が開く。重要なのは、どの扉が開かれたのかを判断する目があるかどうかである。最近次のような実話に触れ、驚いた。日本の教会ではあり得ないような出来事であるが、「新しい発想」を模索するための参考にはなる(Brian Lowery, managing editor,PreachingToday.com)。 
 この話は、テキサス州アーガイルにある「クロス・ティンバーズ・コミュニティ教会」で起こったことである。二〇〇九年に入り、他の多くの教会同様、この教会も経済危機による献金難に陥った。こういう場合、予算縮小に動くのが普通のやり方である。しかし、この教会の牧師であるトビー・スロー師は、新しい発想を模索した。彼は、失業や給与削減などで経済的苦境に立たされている教会員が多くいることに心を痛めた。そして彼は、三月のある日曜日の礼拝で、いつもとは少し違う形で献金の呼びかけをした。彼は、経済的に困っている人は、献金皿からお金を取ってもよいと語ったのだ。その結果、何が起こったか。その日、この教会の九年間の歴史の中で、最も多くの献金が集まった。教会員たちは、困窮している兄弟姉妹たちのために、何かをしたいと思っていた。その結果、皿から溢れるほどの献金がささげられたのだ。
 スロー牧師は、CNN系列の番組で次のように語っている。「こんな経済状況の時には、自分たちの本来の使命(ビジネス)が何であるかを思い出すべきです。私たちのビジネスとは、教会運営ではなく、人を助けることです」。
 この教会は、その日曜日から二カ月間で、五〇万ドル(およそ五千万円)を経済的に困難な中にいる人々のためにささげた。ある日曜日には、五〇ドル紙幣を教会に集っている約千三百の家族に渡し、そのお金を困っている人々に届けようと呼びかけたこともあった。
 ケイティ・ルイスという女性は、クロス・ティンバーズ教会の善意にあずかった一人だ。CNNのインタビューを受けた時、彼女は涙ながらにこう語った。「私は長い間ずっと一人ぼっちでした。思いやりを示されたり、心にかけてもらったり、歓迎されたりするなんて、本当に驚きです」

 試練が来なければ、このような「新しい発想」は生まれない。試練の時こそ、自分を振り返り、すべてに感謝し、新しい道を求める時である。苦難の道を歩んでおられる皆さまに、心からのエールを送らせていただく。
 「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」(ヘブル人への手紙12・11)