ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

◆7月号◆結合双胎児を与えられて

2008-07-10 | 番組ゲストのお話
長野県軽井沢在住 長嶺 聡・栄子

■「産みます」
“結合双胎児”皆さんは、この言葉を聞いたことがあるでしょうか。
 私たち夫婦は、神様の導きにより教会で出会い、二〇〇〇年三月に結婚しました。その後、同年の夏頃に、私(栄子)の体調の悪い日が何日か続き、もしや妊娠したのかもしれない、という喜ばしい期待の中、行った病院の産科の医師から“結合双胎児”という言葉を、初めて聞きました。
 「ベトナムのべトちゃん、ドクちゃんと同じ、体の一部がつながったまま生まれてくる赤ちゃんのことです」。医師はそう説明してくれました。べトちゃん、ドクちゃんは枯れ葉剤の影響でそのようになってしまったのですが、通常の双子でも、細胞分裂をする際に十万分の一の確率で体の一部がつながってしまうことがあるそうで、日本では、妊娠中にそのことが分かった時点で中絶してしまうのがほとんどだということでした。
 私はそのことを聞いたとき、何をどのように考えたらよいのか全く分からず、頭が真っ白になるとはこのようなことだと思いました。
 それから医師は「中絶をいつにしますか」と聞いてきましたが、私はすぐに「産みます」と答えました。
 私の両親はクリスチャンで、私は子どもの頃から聖書の話を聞いて育ちました。
命というのは偶然にできたものではなく、神様が創造された素晴らしいものだということ、そして中絶は神様にとって悲しい選択だということを知っていました。それでどうしたらよいのか分からなかったのですが、とにかく「産みます」と答えたのです。

■双子のための祈り
 その後、「でも、どうしたらいいの…」という想いで頭がいっぱいになっている時、主人(聡)が、「神様は、人間を創ったんだから、二人を離すことも簡単でしょ」と言ってくれました。その一言で、私は目が覚めたというか、想いが晴れたというか…「そうだ、このことは全て神様にゆだねればいいんだ。神様が必ず助けてくださる」という想いに変えられました。
 それから、夫婦で心一つにした祈りが始まり、また友人知人のクリスチャンに祈りをお願いし、多くの方の“双子のための祈り”が始まりました。
 そのような中、私たち夫婦は不思議と心穏やかで、“平安”というものは、神様が与えてくださるものなのだということを知りました。
 そして、当時住んでいた沖縄では結合双胎児の出産に対処できる病院がないということで、医師の協力により対処できる病院を探していただき、私は双子を出産するため、川崎の聖マリアンナ医科大学付属病院に入院することになりました。妊娠七か月の頃です。
■出産と手術
 それからいろんなことがありましたが、二か月後の一月一〇日に、二人で三七二二グラムという女の子たちが生まれました。
 妊娠中は二人がどのようにくっついているのか分からず、初診では「おそらく、心臓も胃も腸も一人分しか無いでしょう」と言われていましたが、生まれてみると、内臓は肝臓だけがくっついており、共有している部分が予想されていたものよりかなり少なかったことで、二か月後の三月に二人の分離手術が行われました。
 結果は、手術も神様により無事成功し、何の障害も残らずに一人一人の姿になることができました。私たち夫婦、また友人知人のクリスチャンたちは、手術の成功と神様の良くしてくださったことに、大きな喜びに包まれました。

■高価で尊い命
 このようにして、無事出産、分離手術ができましたが、この出産には反対意見も強かったのが事実です。
 この世の中は、障害者、奇形児に対する偏見があります。私の両親は聴覚障害者です。私はその両親に育てられ、そういう環境は当たり前のことと思っていましたが、私が成長するにつれ、世の中の目は偏見も多いということを感じ取っていきました。しかし聖書の中で神様は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ43・4)と言ってくださっているのです。どんな命も高価で尊いのです。それは、みな神様に創られたからなのです。
 私は、助け主なる良き神様を知らなければ、この双子を産むという決断はできませんでした。そして、私は確かに助けられ、子どもたちが健康に生まれるようにしていただきました。
 親バカかもしれませんが、この双子たちはとても素晴らしいのです。毎日子どもたちの姿を見るたびに、この子たちに出会えて良かったと思います。この双子の存在は、私たち夫婦にとって大きな喜びなのです。神様にとっては、もっと大きな喜ばしい存在であることでしょう。
 「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです」
(詩編139・13,14)

 双子の娘たちは「栄(さかえ)」と「光(ひかる)」と名付けられました。恩師の福治牧師が、夢の中で神様が二人をそう呼んでいるのを見た、と話してくれたからです。
二人にはその名の通り、神様の栄光をみんなに伝える人になってほしい、命の尊さを訴える存在になってほしいと願っています。