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インド ベナレスで見た 「死の館」

2013-03-29 18:50:53 | インド旅行での記憶
 1990年、インドへ行った時に、ベナレスを訪れ、ガンジス河岸辺で「死の館」を見た。
「死の館」とは不気味な言葉だが、インドで古くから伝わる寧ろ上層階級の家族の人々のために作られた館である。
「生きるも死ぬも、地獄の沙たも金次第」とはこのことで、裕福な人たちが出来る儀式である。
「死の館」をきっかけとして、私は日本人の死に対する考えとインド人の考えに相違があることに気が付いて驚いた。

 ベナレスは千二百年前から、「この世とあの世を兼ね備えた聖なる地」として巡礼者が沢山訪れる聖地で、巡礼者は
全行程90㌔メートルを延々と裸足で歩きます。
 一方では、限られた人々ですが、家族の一人が死期を真近にする場合、命の最後を迎える儀式の為に、ガンジス河ほとりにある「死の館」へと家族と共に足を運びます。  
 その大きな目的の一つは、穏やかな死を迎えるために、二つ目は神の元へ行くためでもあり、来世の為でもあります。
 一ヶ月でも、半年でも、その館に来て滞在することが死を迎える人にとっては、最高の儀式なのです。 
 この儀式を出来る家は、長期にわたり家を空ける為、かなり裕福な家柄でないとできないことから、貧しい人々からは「羨ましがれる」儀式でもあります。 カースト制が近代も続くインドでは富と貧困の差は、こういったところにも現れるのです。
さて、インドの人口約12億人のうち、81.4%を占める約8億2千7百万人がヒンドゥー教徒です。
ヒンドゥー教では人は死んだらまた再び生まれ変わるという輪廻転生を教えとしております。 
インドのヒンドゥー教寺院を尋ねると、生まれて死ぬまでの人生と、あの世の修行、そしてまた生まれ変わるまで変わるまでの
過程が絵図で描かれております。
文盲の人も多いインドならですが、絵図はもっとも解り易いのです。
インド滞在中、私はベナレス近隣のインド人や出逢う人ごとに尋ねてみる事にしました。
あなたにとって「死」とは何ですか? という質問でした。
すると驚くべき答えが返ってきたのです。

ある50代の男性の答えです。
「私たちの最も恐れていること、それは母親のお腹に入り、もう一度生まれてこの世に出てくることです」
これには私も驚きました。 
インド人の多くの人たちは、死以上に怖いのが誕生ということなのです。
日本人には考えられませんよね。 

~~この続きは明日~~

3月28日(木)のつぶやき

2013-03-29 05:35:46 | 修行の為の「縁」

昨日のお話の続きです。エデンの園では、アダムが肋骨を犠牲にして、イブを作ったことになってますが、実は逆であったことをお話にしております。三日前のアダムとイブの本当の話から読み返さないと意味不明か... goo.gl/Ag98F



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2013-03-28 05:47:29 | 修行の為の「縁」
昨日の続きです~~

夫のマシュウが更に妻のシンシアに尋ねます。
「人形の説明はそれでつくけど、このびっくりするほどの札束は? この大金はいったいどこからやってきたのだろう?」
「ああ、それはね」妻のシンシアは続けます。
「そのお金はね…、人形を売って稼いだお金よ」
マシュウとシンシアの物語はここで終わります。

つまり、シンシアが五十年もの間夫の我が儘に耐え、怒りを胸におさめ、言いなりになる努力をするたびに
膨大な数の編み人形が増え、それを売りつつ、へそくりを溜め込んだという話なのです。
つまり僅か二個の編み人形ではなかったのです。

私はこの話を聴いて現実的な結末を想像しました。
九万ドル以上ものお金が気になります。
結局シンシアが死んだら、マシュウのために貯めたお金になるのではないだろうか?
それは、ちょっと気に入らない美談です。
マシュウは喜んでシンシアの死後、若い女性と世界一周という豪遊をしたかもしれません。
ストーリーを変えたいのは私だけでしょうか?
いや、強引に変えないと、古代エデンの園のアダムとイブの話も否定されてしまうのです。
  ◇◇◇
以下、私の創作です、
  ◇◇◇
マシュウは、シンシアの苦労を思うと胸の痛くなる思いでした。
思い切りシンシアを抱きしめました。
しかし、マシュウは残されるであろうお金で「俺は舟でも買って老後のんびり過ごそう」といつしか思うようになります。

ところが、ところが、天のお加護か…不思議なことが起こります。
シンシアは奇跡的に、回復するのです。
信じられないほど元気を取り戻すのです。
嘘のように、活き活きとします。

これまで売ってきた手編み人形の人気があがり、あちらこちらへと講師として呼ばれます。
シンシア独自の創作手編み人形の人気はうなぎのぼりで益々売れていきます。

忙しくなったシンシアに驚き、マシュウは妻の多忙ぶりに不満が蔓延し、以前より生活は楽になったにも関わらず
妻に感謝がなく…相変わらず、好き勝手で我儘です。

期が熟して来ました。

シンシアは今やカリスマ人形制作の講師。
感謝のない夫の怠惰やわがままにうんざりしてきました。
心の奥底では、「私はこのままではダメになる。マシュウだって人間的な向上がないわ」
そういう決意で熟年離婚を決心しマシュウに思い切って話をしました。

夫のわがままがゆえに培うことができた腕前、手編み人形のエキスパートとして弟子もでき、稼ぐことができます。
シンシアは内心は夫に感謝しておりました。
マシュウに最後のプレゼントで舟を買って上げました。
「あなたはこの舟に乗って、新しい人生航路を独りで進んでください。その時私はそばには居ないわ」

  ◇◇◇
こんなストーリーどうでしょうか?
これなら、シンシアが多くの人を歓ばせ、人々に感謝され、捨てられた夫も実は、間接的ではありますが。
多くの人々を喜ばせる素晴らしい徳積みをしたことになりますね。


3月27日(水)のつぶやき

2013-03-28 05:11:01 | 修行の為の「縁」

アダムとイブの本当の話…に引き続き現代版アダムとイブを見せてくれる嘘のような本当のような、あるカップルのお話です。あるカップル…夫婦は何でも分かち合い、何でも話し合いました。ふたりの間には秘密は... goo.gl/04PGA



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2013-03-27 06:38:39 | 修行の為の「縁」
前回のアダムとイブの本当の話…に引き続き現代版アダムとイブを見せてくれる嘘のような本当のような、あるカップルの
お話です。

あるカップル(夫マシュウと妻シンシア)が結婚してもう五十年が過ぎようとしていました。
夫婦は何でも分かち合い、何でも話し合いました。
ふたりの間には秘密はありませんでした。
……たったひとつのことを除いては・・・・。

結婚当初若く可愛い妻のシンシアはクローゼットの上に化粧箱を置き、夫マシュウにこうお願いしておりました。
「絶対に中を見たり、それについて尋ねたりしないように」と。
シンシアの言う通り、長年マシュウはその箱について考えもしませんでした。
又見ようとも思いませんでした。

いつしか年月が経ち、二人は老後への準備をしている年齢になりました。
ある時突然、妻のシンシアが病気で倒れました。
医者からは、もう回復するみこみがないと告げられたのです。
マシュウはふたりのさまざまな事柄を整理する決心をしました。

ふと思い出したのは例のクローゼットの上に置かれた化粧箱。
それを丁重に抱えて妻の寝床まで持ってきました。
妻も「箱の中身を説明するときが来た」と思いました。

箱を開けてみると、かぎ針編みで作られた人形が二つと九万五千ドルもの札束が出てきました。
この中身についてマシュウが尋ねると、シンシアはこのように答えました。

「私たちが結婚したとき、祖母から幸福な結婚の秘訣を教えてもらったの。
決して言い争いをしないことだと言われたの。もし、夫に腹が立つときがあっても、言い返さず、
黙って人形を編んでおきなさいとね」
それを聞いたマシュウは心を揺さぶられます。

浮かぶ涙をこらえてもこらえても大粒の涙が出てきます。
貴重な人形が二つ箱にある…。それはつまり、二回腹を立てその時辛抱して創った「忍耐の結集」編み人形なのだ。
この五十年間もの長い間、辛抱して自分に尽くしてきてくれたのだ……と。
胸がいっぱいになり、幸せな気持ちで満たされた夫は、
さらに問いかけました。

この続きは後日…