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苦労は美徳か?幸福は忍耐という大地に咲く花であろうか?

2013-03-20 15:55:46 | 修行の為の「縁」
本棚を片付けていると、誰から頂いたのかある宗教団体婦人部総会のスローガンであろう…こんな立派な言葉が突然本の間から目の前に出てきた。
「負けるなよ、強き心に幸福が! 一番苦労した人が、最後は一番幸福を勝ち取れる 幸福は忍耐という大地に咲く花であることを忘れまい」
ある随筆からの抜粋語録であるようだ。

大きな宗教団体の婦人部のスローガンだ。
大変立派な言葉であるが、ふと私はこう思った。
果たして幸福の花は忍耐という地盤に咲くのであろうか?
石川啄木の詩に「働けど働けど、我が暮らし楽にならず…じっと手をみる」
こんな何とも悲しい言葉もあります。

上述の宗教団体の言葉は今頑張っている人、苦労の絶えない人たちに励ましの言葉として或いはエールを送るという意味では素晴らしい言葉だと思うが、実らず終わる人は結構存在するのではないだろうか?
一番苦労した人が、最後は幸福の勝利者であろうか?

本当に苦労した人がどういう一瞬で幸福を得るのかを、追求すると、そこには法則があるとしか思えない…妙宏の幸福論としてお聞き頂きたい。
オリンピック選手にガンバレガンバレという言葉は最近では禁物とされておりますが、その理由は「ガンバレ」に問題があるからです。
「苦労は美徳」という簡単な論は適切な表現ではない。この論に近づけば近づくほど、時には幸福から遠のいて行くのです。

苦労の仕方によっては遠回りし過ぎて気がついたら、幸福へのレールにぺんぺん草が生えて岐路が見えない…そんな終焉が待ち構える恐れもあります。
出来るだけ多くの人に遠回りをして欲しくないことから、妙宏さんは上手な苦労の仕方を今日は書き下ろしたい気分です。

話は飛びますが、私たちの心臓は刻一刻とリズムを刻んております。
それは生命呼吸のリズムでもあり、血液の波動リズムでもあります。
血液のおおもとは水です。
水には「記憶装置」があり、さまざまな波動を記憶しております。
言い換えるとDNAにも結びついております。
一節によると、渡り鳥が何故同じ場所に季節ごとに移動できるかは自分の生態水のメモリー(記憶)によるものだとも言われております。

私たちが、吐く言葉や思いは、血液に記憶されるということを自覚したいものです。
この続きは後日…

親に不満をもつ人間は常に社会のせい、人のせいにする心の癖がある

2013-03-20 05:00:48 | 修行の為の「縁」
昨日の続きです。

M男の心は痛みと虚しさ、悔しさでいっぱいであった。二度と家に戻らない決心、高校も諦める決心…並々ならぬ自分の運命の厳しさを噛み締める一瞬であった。気がついたら裸足であった。自分に日本刀を向けた父親から必死でのがれた…ホウホウの体とはこの事を申すのであろう。
その頃、街にはコーヒールンバの曲と共に、喫茶店が丁度出来始めた頃…M男はコーヒーの香りに惹かれ、仕事としてとある喫茶店を選んだ。「大好きなコーヒー」の仕事に喜びを感じ、又懸命に働いた。働きぶりは模範を示し、店のオーナーからは気に入られ可愛がられた。 喫茶店の経営に夢を馳せた。 懸命に働くM男に店のオーナーは「コーヒーの事を生業にするなら一度はブラジルに行ってみると良い」と勧められ、給料を地道に蓄えた。日本刀で切りつけてきた父親であったが、M男は終始気になっていた。 どういう訳だかブラジルに行くための蓄えであったが貯めたお金を父親に送金した。20万円ほどであった。その後重ねて辛棒しながらブラジル行きのお金を貯めた。ブラジルに渡り、コーヒー豆の研究をした。そのころ日本の喫茶店が何となく暗く、同伴喫茶などという看板も出ていた事から気になっていた。 その青年M男は日本で更に頭角を表し、やがて欧州旅行をした。その折、欧州では気楽にスタンドカフェが安価で利用されているのを参考に、既存の喫茶店をスタンドスタイルにもした。 価格も従来の喫茶店の半額以下と設定した。尚も品質にこだわった。 やがてハワイに数十万坪のコーヒー豆園を作り、自社製品の原料とした。 更にコーヒー豆園を拡大した。
今や日本全国に1300以上ものチェーン店舗数、年商600億円以上を誇るドトールコーヒーの創業者「鳥羽会長」の実話である。

鳥羽会長の奥深さは、一度は自分を殺そうとしたかも知れない父親を恨みも憎むことも無く、親への「愛」を貫いたことにある。だからこそ成就するのである。父親が切りつけた一瞬のドラマが無ければ今のドトールはなかったであろう。
人生の岐路は「魂の向上を目指す己(おのれ)」であるかどうかにより、運をつかむか否か…明暗をはっきりとさせる…それだけは法則、つまり運命のルールであると確信できる。

親のせいで自分はこうなってしまったとか、「あいつのせいでこうなった」というあいだは一向に幸運を掴めないのが法則である。
それが分かるまで同じ運命をたどるわけである。それは今世(今生きる人生)だけではなく、来世にまでつながると覚悟しなくてはならない。
言い換えると過去世(人間の魂は数え切れない程の長い魂の旅をしていると考えることを原則とする)の数千年、或いは数万年の長い歴史の中、己の心の積み重ねは一体何であろうか?と深く洞察すると、「他人のせい」にするなどは一番簡単な解決方法であるから、ついついその心の習慣が積み重なっており、それが汚泥のように心と人生を左右しているのだ。

だからこそ、私たちの人生には「お試し」のドラマは次々と押し寄せてくる。
汚泥を払拭し、清めようとする自然な軌道修正に載せられるのである。
何かがあった時に、親のせい、学校のせい、友達のせい、組織のせい…にするのではなく、自分の奥深く眠る「心の悪い癖や習慣」を改善するための出来事…とそう思える自分になりたいものだ。
その修行の第一歩は家庭にある…そう思うと親への感謝は無条件にあるべきである。