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交通事故の判決がすでに決まった状態である時、これを覆すのはまず100%無理…弁護士は言った

2013-04-07 17:16:26 | 修行の為の「縁」
~昨日の続きです~

勝之には頼りになるおやじはいない。
実際、別れた夫は深酒がたたり、糖尿を患い、既に病床にありとても相談に乗れる様ではなかった。
知人の弁護士が数人いたのでひとりひとり、尋ねた。
同じこたえであった。
「交通事故の判決がすでに決まった状態である時、これを覆すのはまず百%無理」
弁護士は計数人、行政書士にも頼んでみたが、一切受け付けてもらえなかった。
息子の物理的ダメージは、罰金二十万円、相手への賠償金、車の修理・・・これらは保険会社が
まかなう事・・・と一般的に申せば、大難が小難の程度でさほど大きなものではないかもしれない。
けれども、真実を捻じ曲げられたこと、幼い頃から曲がったことの嫌いなまっすぐな勝之の
心の苦痛はお金に変えられないものがあった。
罰金は私が親として支払えばそれで解決する問題でもあったが・・。
オートバイの渡辺運転手も、真実を告白していない恐れがある。
息子の車がのっかり、自分の肋骨が折れたとまで・・・言う。
確かに何かに乗っかったが、と息子は正直だから言う。
後にそれは渡辺運転手のヘルメットであったと判った。

私の「おやじの魂」が、全容解明しようと熱がはいる。
このことはもしかして、大きな社会問題の氷山の一角かも知れない。
品川警察、渡辺運転手・・・嘘をついているのは誰だ!
こうなると社会問題へのメスだ!などと意気が上がる。
奇跡が先ず第一回目起こった。知人が、ある弁護士を紹介してくれた。
引き受けてくれるとのこと。
弁護士を探し、探して一ヶ月掛かったある日のことであった。
この間、息子は何度も「青物横丁交差点」に行って現場の撮影をした。
事故のあった午前六時四〇分にも行って調べてみた。
「おふくろ、意外な事実が判ったよ」
「あの交差点はね、通常の交差点と違う、恐ろしいことが判ったよ。
通常、青から、赤になるとき、交通量の多い交差点では、間に黄色がはいるんだけど、
特に右折の合図、そして赤になるとき、間に黄色がはいるんだけど、あの交差点には黄色がないんだよ。
おれはトラックの後ろについていたから気づかなかったよ」

こちらサイドの弁護士は、「H弁護士」、早速公訴した。
相手側は辣腕女検事。息子は「被告」と呼ばれた!
傍聴席三十人はいつも私の友人たちで満席であった。
友人たちに公判を見てもらいたい旨申し、協力を得た。
マスコミ関係者も呼んだ。合計六回の公判、事故から約一年で判決がおりた。
「無罪」であった。
その時の裁判官は「K裁判官」であった。
前代未聞の無罪、奇跡であった。
~この続きは明日~

昨日の続き~実際にあった交通事故冤罪の話~閉ざされた事故取り扱いの調書作成に思わずハンコを押した

2013-04-06 07:38:49 | 社会問題~実話~
~昨日の続きです~
保険屋さんも、「相手が信号無視で入ってきたのだろうと判断できるから勝之さん、それでも相手は怪我をしているから、こちらサイドも保険金を多少支払わなければならないかもしれませんね」
などと話していた。
その時までは、勝之も、私も同乗していた仲間も勝之が加害者になる立場だとは思ってもいなかった。
品川警察交通課の猪原担当官(仮名)に話すときも、こちらは前を向いて運転していたことから、オートバイがぶつかった死角のことは判らないが、信号に従った自分の運転とその時の判断に非はない、とこう主張した。
しかし、猪原担当官は、途中から口調が変わって来た。
あんたが、車、相手はオートバイ、だからあんたが悪いに決まってる。
「あんたが悪い」の一点張りで話を聞き入れてもらえず、ハンコを押すように強要し始めた。
そのとき、息子が私に相談すれば、私はハンコを押すことあいならぬと強く断言しただろうが、息子は毎日の仕事で疲れていた。
段々猪原担当官の押しの強いペースに巻き込まれてしまった

猪原担当官からは、脅しのことばまで出てきた。
息子はとうとうハンコを押さざるを得なくなった。
「要は自分は悪くなくとも、事を収めるために自分がハンコを押せば、この担当官もこの事故も片付くのだ。ここまで脅されてとんでもないことだが、仕方無い」そういう判断であったと思う。
これに近い冤罪を止むなく被る被害者は、どれだけいるか計り知れないということをその後私は知って驚いた。
特に交通事故は、一旦決まったら、つまりハンコを押したら・・・絶対覆すことは出来ない。
そういう事もわかってきた。
息子勝之と一緒に翌日事故現場の青物横丁交差点に行ってみた。
確かに交通量の多いところである。
その後何度か行き、現場のビデオ撮り、写真撮りをするように息子に申し伝え、多少でも新しい事実を知ろうとした。
この時既に私は、勝之のためにおやじをやろうと決心していた。
社会正義を貫く、おやじの姿こそ大切であると・・・。
~この続きは明日~