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昭和20年代、30年代のある出来事

2013-04-04 06:12:19 | 心に響く言葉・出来事
~昨日の続きです~
学期末の寒い時期、寿子ちゃんは、クラスの女の子だけに声を掛けて冨美子ちゃん救済運動を起こします。
カンパを呼びかけたのです。
寿子ちゃんは、やはり天使か女神です。
しもやけと、ひび割れでひどい状態の富美子ちゃん 一人十円ずつ集めて手袋を買ってあげよう・・・そういう運動です。
女の子だけで、男の子には内緒で集めよう・・・
そう申し合わせ、女の子だけで、互いに内密にお金を集めました。 
その頃六年四組では男の子と女の子とはバトル状態だったのです。
男の子が女の子を訳も分からず何故か、からかったり、チョッカイ出してくるものだから、女の子に反感もたれ、いつしかバトルとなり、終始のつかない状態でした。
正義感の強い寿子ちゃんは、勇敢にもクラスの男の子をバリバリと口でやっつけるものですから、男の子はいつもタジタジで強敵でした。
正義感いっぱいで、男の子に反撃する寿子ちゃん、そんなときは、頼もしい清水の次郎長親分のように思えるのです。
カンパは四、五日うちに340円集まりました。
手袋を買う役目は寿子ちゃん、圭子ちゃん、私の三人でした。
街の小さなお店に行くと、手袋は一番安いものでも390円でした。
手元のお金で買えないと思ってちょっとがっかりして諦めるところでしたが三人でお店のおばさんに交渉する知恵が湧いたのです。
「お友達のしもやけがひどいのをみて、何とか手袋をプレゼントしたいってクラスで寄付を集めたんだけど、お金が足りないんです。だから、安くして欲しいのですが・・・」って、皆で一緒に頭を下げました。
するとお店のおばちゃんは、優しい人で、しっかりと分かってくれて、
「儲けはないけど、あんた達の熱意に負けるよ」って、340円にしてくれたのです。
寿子ちゃんとは高校を卒業すると同時に東京と大阪という離れ離れの生き方になりましたが、やはり、ず~っとボランテイアの人です。
今は、孫に残したいって少女期の話を本にしたいと…
執筆中であるとか。
この手袋ボランテイアの事も書き下ろしているようです。
でも席替えの事は覚えていないらしいです。
きっと私だけ、忘れられない、魂に刻まれた出来事だったと思います。

昭和20年~30年のある出来事で幼い私にスイッチが入った

2013-04-02 23:26:10 | 心に響く言葉・出来事
~昨日のブログの続きです~
私自身の幼い頃の環境(昭和二十年代)と言えば…遊び疲れて家に帰ったら、母の手作りのさつま芋入り蒸しパンがおやつ入れの戸棚にちゃんと入っており、貧しくても親の愛情をいっぱい受けて育った私は幸せ者でした。
二学期の席替えで生涯忘れられない…衝撃の出来事が起こりました。
町田先生の席替えの声に、クラスは一斉にドヤドヤとまるで陣取り合戦、いや、椅子取り合戦のようなさまでした。
富美子ちゃんはいったい誰と座るのだろう?
そのことが気になって、私は富美子ちゃんの姿を探しておりました。
そんな私に二人の級友が駆け寄って来て、
「一緒に座ろう」と、両手は綱引きのようでした。
その時、後ろの方から
「富美子ちゃん、一緒に座ろうよ」という比較的トーンの高い声が聴こえました。
そのハキハキした声は紛れもない、寿子ちゃんの声です。
その声に引かれ、振り向いた時には、寿子ちゃんが富美子ちゃんの手をしっかりと握っており、後ろの座席に一緒に腰掛けたのでした。
寿子ちゃんが、富美子ちゃんと一緒に座ってくれた・・・
という安堵でホッとした私は、手を引っ張ってる奈々子ちゃんのなすがまま、席に着きました。
しかし、寿子ちゃんが率先して冨美子ちゃんと座った!その光景は、私にとってその場だけの衝撃とはならなかったのです。
同い年の勇気ある優しさは、天使の到来であり、生涯忘れることができない自分のテーマとなるのです。
一方では、「好きな人と一緒に座りなさい」・・・
そう指示した町田先生の行為に対しては、「何と残酷な事だろう」ってしばらくの間この思いをぬぐい去ることができませんでした。
この出来事がきっかけで、色々な思考モードにスイッチが入って十二歳なりに、何かの答えを欲しくてしばらく考え込んでおりました。
クラスの全員が全て、自分が一緒に座りたい人を取らんとする陣取り合戦の場となり、過酷なひと時となりました。そんな風景の中、明らかに寿子ちゃんは違っておりました。寿子ちゃんは、自分のことより、富美子ちゃんの事をいの一番に考えたのは確かだ。
もしかしたら、町田先生は、この陣取り合戦で、ひとりひとりの内なるものを計っていたのかもしれない・・・ 後日そうも思えてきました。
いずれにせよ、この時の出来事は私に何かを覚醒させました。12歳の幼心に人には大きな違いがあるものだと…。自分のことしか考えない人と、自分以外のことを常に考える人と…、どうでも良い人と…
寿子ちゃんが、富美子ちゃんと一緒に座ったことから次なるドラマが展開するのでした。
~この続きは後日~


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2013-04-02 23:21:11 | 心に響く言葉・出来事
~昨日のブログの続きです~
私自身の幼い頃の環境(昭和二十年代)と言えば…遊び疲れて家に帰ったら、母の手作りのさつま芋入り蒸しパンがおやつ入れの戸棚にちゃんと入っており、貧しくても親の愛情をいっぱい受けて育った私は幸せ者でした。
二学期の席替えで生涯忘れられない…衝撃の出来事が起こりました。
町田先生の席替えの声に、クラスは一斉にドヤドヤとまるで陣取り合戦、いや、椅子取り合戦のようなさまでした。
富美子ちゃんはいったい誰と座るのだろう?
そのことが気になって、私は富美子ちゃんの姿を探しておりました。
そんな私に二人の級友が駆け寄って来て、
「一緒に座ろう」と、両手は綱引きのようでした。
その時、後ろの方から
「富美子ちゃん、一緒に座ろうよ」という比較的トーンの高い声が聴こえました。
そのハキハキした声は紛れもない、寿子ちゃんの声です。
その声に引かれ、振り向いた時には、寿子ちゃんが富美子ちゃんの手をしっかりと握っており、後ろの座席に一緒に腰掛けたのでした。
寿子ちゃんが、富美子ちゃんと一緒に座ってくれた・・・
という安堵でホッとした私は、手を引っ張ってる奈々子ちゃんのなすがまま、席に着きました。
しかし、寿子ちゃんが率先して冨美子ちゃんと座った!その光景は、私にとってその場だけの衝撃とはならなかったのです。
同い年の勇気ある優しさは、天使の到来であり、生涯忘れることができない自分のテーマとなるのです。
一方では、「好きな人と一緒に座りなさい」・・・
そう指示した町田先生の行為に対しては、「何と残酷な事だろう」ってしばらくの間この思いをぬぐい去ることができませんでした。
この出来事がきっかけで、色々な思考モードにスイッチが入って十二歳なりに、何かの答えを欲しくてしばらく考え込んでおりました。
クラスの全員が全て、自分が一緒に座りたい人を取らんとする陣取り合戦の場となり、過酷なひと時となりました。そんな風景の中、明らかに寿子ちゃんは違っておりました。寿子ちゃんは、自分のことより、富美子ちゃんの事をいの一番に考えたのは確かだ。
もしかしたら、町田先生は、この陣取り合戦で、ひとりひとりの内なるものを計っていたのかもしれない・・・ 後日そうも思えてきました。
いずれにせよ、この時の出来事は私に何かを覚醒させました。12歳の幼心に人には大きな違いがあるものだと…。自分のことしか考えない人と、自分以外のことを常に考える人と…、どうでも良い人と…
寿子ちゃんが、富美子ちゃんと一緒に座ったことから次なるドラマが展開するのでした。
~この続きは後日~


古い話ですが…昭和時代…こんな出来事がありました

2013-03-31 18:07:03 | 心に響く言葉・出来事
戦後間もない頃…昭和20年代は、下駄で小学校に通う時代でした。
満州や台湾から引き上げてきた一家、焼夷弾に焼け出されて生のみ着のまま、田舎に逃れてきた一家、父親が戦死して食事もろくろく出来ない子供たち、裕福な家庭の子は大変少なく、皆がみな、他人どころではない話でした。
お風呂もろくろく入れない子供、青バナを出して、それを袖口でふくので(ハンカチ、ちり紙等ないのだ)袖がテカテカ光ってる子供、まあ、今では考えられないような風景でした。
私が小学校六年生の時、私は町田久子先生のクラスでした。
とてもテキパキと迫力ある教育熱心な先生で、私は大好きでしたが、夏休みが終わって二学期が始まる時、私にとっては衝撃の出来事がありました。
町田先生が始業式を終えるとすぐに、「只今より、席替えをします。今学期はちょっとおもむきを変えます。
自分が一緒に座りたいという人と組んで隣同士で座ってください」
私は咄嗟にドキッとしました。
井上冨美子ちゃんはどうなるのだろう?って。
冨美子ちゃんは、ほとんど誰ともお喋りをしません。
髪も洗ったことがないのか、バサバサに汚れてます。
クラスの誰からも声を掛けられない、自分からも声をかけない、そういう
タイプでした。かと言って、今のようないじめはないのです。
皆がそれぞれの戦争体験を経て、這い上がろうとする中、悲しみや、苦しみ、そして深い傷を負いながら 大人も子供もそれぞれの十字架を背負っての生き方をしていること、それを互いに知っていたから…汚いからといって虐めたりはしません。
むしろ、お互いの傷に触れない思いやりがあったような気がします。
いつも表情の暗い冨美子ちゃんにも何か事情があったのでしょう。
話しかけるのも、躊躇するほどの暗い面持ち、結局、事情に触れる勇気がなかった自分がありました。
一方では、冨美子ちゃんに「遊ぼうよ」と声をかけることがあっても
家の事情で富美子ちゃんは「帰らなければいけないのよ」と ほとんど誰とも一緒に遊ぶことがありませんでした。
~この続きはまた明日~

マハトマ・ガンジー「七つの社会的大罪」

2013-03-31 17:35:11 | 心に響く言葉・出来事
インドは、カースト制という枠の中で国民は歴史を作ってまいりました。
しかも多宗教、多言語…
豊かなのにその貧困から抜け出られません。
特に最近問題になっているのが、女性への虐待事実
集団暴行、強姦…無法地帯となっている。
私は何度もインドに渡印しているが、そんな危険な
国とは思いもしなかった。
確かに、路上に多くの飢餓状態の集団や、物乞いの人々の
多いことに驚いたが…インドの過酷な状況をみることで
私たちは色々と学ぶことが多いのも確かだ。
しかし、ゼロを発見したインドに極めて優れた
人が現れていることも確かだ。
マハトマ・ガンジー
詩聖タゴール
気高く優れた美学の持ち主だ。
第一次大戦、第二次大戦時、日本に大警告を発した聖人である。
武器を捨てることを警告し、日本が今すぐ武器を捨て
戦うことをやめないと滅びる…と警告した二人である。
そして、一躍インドの気高さを世界に広めた二人である。
そんな二人が今後のインドを天国からどう見守るのだろうか?
又、日本にどんなメッセージを送るのであろうか?
マハトマ・ガンジーの言葉を記述する。

マハトマ・ガンジー、「七つの社会的大罪」
理念なき政治、
労働なき富、
良心なき快楽、
人格なき教育、
道徳なき商業、
人間性なき科学、
犠牲なき宗教
Seven Social Sins:
Politics without Principle
Wealth without Work
Pleasure without Conscience
Knowledge without Character
Commerce without Morality
Science without Humanity
Worship without Sacrifice