A Diary

本と音楽についてのメモ

突然放たれた鳥のように

2006-03-17 01:32:13 | 日々のこと
せっかくこのブログに来ていただいた奇特な方には申し訳ないのだけれども、今晩はもうあまり元気もない。深夜一時。明日もまた普通に早起き(朝六時半←そんなに早くはないか・・・)。ただ、あまりブログを放置してしまってもなあと思うので、最近の心境を少しばかり。

朝八時には家を出て、夜十時半くらいに帰宅するのが僕の一般的な一日。サラリーマンとしては、まあ、普通だろう。この十四時間半は、通勤時間も含まれてはいるが、仕事に振り充てられた時間ということになる。一日の半分以上を割いているのだから、何か書こうとしても考えつく話題は、おのずと仕事の話になってしまう傾向がある。

上司が新しく変わったことはどこかで書いた。以前の上司は「あれをしてください」「これをしてください」などなど、指令の数がものすごく多くて大変だった。それをひとつひとつ実行していくのが僕の役割で、もちろん全てを僕自身でこなせるわけはないから、後輩たちにも仕事を分担させていく。といっても、その分担も、僕はちゃんと上司にお伺いを立てて、了承を得てから進めていた。

ところが新しい上司は、ご自分自身の仕事のことで忙殺されており(成果主義なので、とりあえず個人プレーで結果を出してみたいらしい)、僕たちの所属する部署の瑣末な事象にはまったく関与してこない。というか、職場の滞在時間がものすごく短いのだ(成果主義なので、結果が出せれば別に職場に出勤しなくても、まあ良いのだろう)。上司は不在がち・・・その結果、僕は突然、あれやこれやの物事を判断する立場になってしまった。

以前だったら絶対自分では決めなかったような事柄を、つまり、必ず上司の意向を確認していたことを、僕自身で決める必要に迫られている。たとえば仕事の分担のこと。どんなに公平にとは思っても、実際には完全に仕事量を平等にはできない。でも、これを決めなくては仕事は動かない。上司に決めてもらいたくても上司は不在。次席の責任者は僕。しょうがないから、もう僕自身でみんな決めてしまうことにした。

こういう立場になってみて初めてわかったのだけれども、ある意味どうでもいいような瑣末なことも、誰かが決めていかなくてはならないことが多い。みんな「どうしましょうか」と尋ねてくる。僕はそれに答えなくてならない。「所属長の認印が必要」と書いてある社内書類も、差し支えなさそうなものは、上司の到着を待っていられないから、僕が自分のはんこを代理として押してしまう。全社的な告知事項も、本来なら責任者から説明・発表をお願いしたいのだが、朝礼・夕礼時にご不在なので、面倒だけれども僕が説明してしまう。

クレームが発生しても僕自身で解決の方策を決めてしまう。クレームなのだ、「責任者に確認してから・・・」などと悠長なことは言ってられない。上司には後で話せるタイミングがあるときに内容を報告するくらい。

こんな日々が始まって気がついた。人から指示されるというのは、なんと簡単なことだったのだろう、ということを。上司の意向を伺うというのは、結局、僕の責任逃れだったのだ。「私は指示されたとおりに仕事をしただけですから」という言い訳ができたのだから。「どうしますか」と意向を尋ね、「こうして」と言われたことを、言われたとおりにこなしていく、僕はそういう仕事をしていた。もちろん、こんな極端に機械的なやりかたではなかったが、突き詰めればそういうことだった。言われたとおりにするのは楽なのだ。

そして今、判断を下し、決定する人がいなくなった。確かに僕は最終的な責任者ではないけれども、実際のところ、いろいろな責任が僕に生じている・・・この組織がうまくいくかどうか、仕事分担はうまく回るかどうか、僕の押したはんこが、ちゃんと通用するかどうか。今までは、オリの中で言われたとおりにして、おとなしくいい子にしていればよかった。飼われた鳥のように。ところがオリの扉は突然開け放たれて、僕は自力で飛ばなくてはならなくなった。どこに向かって飛べばいいのか・・・そう、どこでもいいのだ、良いと思う方角を自分で定めながら。