A Diary

本と音楽についてのメモ

An Obituary - スタニスワフ・レムを追悼して

2006-03-31 16:54:58 | その他の読書
いずれこの日が来るとは思っていたが、ついに、ポーランド文学界の大巨匠、スタニスワフ・レムが亡くなった。ロイターの報道によれば、彼の作品は40ヶ国語以上に翻訳され、2700万も部販売されたという。アメリカやイギリスといったSF出版業界の中心からは離れた環境にありながら、世界中にこれだけ読者を獲得したことは、やはり彼の作品の魅力と実力を証明するものだ。この高い知名度は、二度制作された映画『ソラリス』の影響も確かにある。(一度目は1971年、ソ連の巨匠、アンドレイ・タルコフスキー監督によって。二度目は2002年、スティーヴン・ソダーバーグ監督、ジョージ・クルーニー主演。)レム自身は、この二回の映画化に関しては、その出来栄えについて、必ずしも満足していない旨のコメントを残しているが、二度も映画になったこと自体が原作『ソラリス』の完成度の高さを示しているのだろう。

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レムの作品のおもしろさは何か。「レムの作品」といっても、その内容は多岐にわたる。まず、レムといえば誰もが思い出すような、『ソラリス』(1961)を代表とするSF長編小説がある。『エデン』(1959)や、『砂漠の惑星』(1964)などがこの分野に該当する。これらの三作品は、人間が他の知性体の住む惑星を訪れる設定になっているが、レムの場合のポイントは、この知性体が非常にユニークであることだろう。

今まで数多くのSFが創りだされ、数多くの「エイリアン」が想像されたが、それらはみな、どんなにグロテスクであったとしても、人間の形状に類似しているか、あるいは、地球上の生物を髣髴とさせるものが一般的なパターンだ(映画『エイリアン』に登場する生物も口や手、顔、足を持っている)。しかしどうだろう、考えてみれば、全く異なる進化発展をたどってきたエイリアンが、人間、あるいは他の動植物のような姿をしているはずがあるわけないではないか。さらに一歩進めて考えると、人類が有しているような理性や判断力を、その知性体も持っていると言えるだろうか。むしろ、外見的にも精神的にも共通点を持っていないほうが、ありえるのではないだろうか。

そして、何の共通点も持たないような、そういう未知の生命体に遭遇するとき、人間はどう対処するのか。これが、これら長編SFの中心的なテーマになっていると言える。レムは、『ソラリス』のロシア語版序文で次のように述べている:

「相互理解の成立は類似というものの存在を前提とする。しかし、その類似というものが存在しなかったらどうなるか?・・・私はこの問題をもっと広い立場から解明したいと思った。そのことは、ある特殊な文明を具体的に示すことよりはむしろ、「未知のもの」をそのもの自体として示すことのほうが私にとって重要であったということを意味する。私はその「未知のもの」を一定の物質的現象として、物質の未知の形態以上のものとして、人間のある種の観点から見れば、生物学的なもの、あるいは、心理学的なものを想起させるほどの組織と形態を持ちながらも、人間の予想や仮定や期待を完全に超えるものとして描きたかったのである」
(『ソラリスの陽のもとに』ハヤカワ文庫より)

だから仮に、ある惑星で人間とまったく同じような姿の「未知のもの」が現れたとしても、それが、人間が予測し、仮定し、期待するように行動するとは言えないのだ。むしろ、そういう人間の期待通りに振る舞わないほうが、可能性としては高いだろう。あくまでもそれは「人間」ではないのだから。こうしてみると、人間が宇宙の森羅万象を理解できるとか、そういう「未知のもの」と理解しあえるという発想は間違っているに違いない。人間中心の絶対的な世界観とは距離をおき、人間の理解と可能性の限界を指摘する、このような「相対主義」とでも言うべきレムの価値観こそ、彼の作品を印象深いものにしている。

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次に、SFでも短編で、風刺とユーモアをねらった寓話風の作品群がある。『泰平ヨンの航星日記』(1957)と、これに続く「泰平ヨン」シリーズ(レムのファンの間では、「ヨン様」といえば、当然、泰平ヨンを指す)や、『宇宙創世記ロボットの旅』(1965)など。これらの作品では、レムの諧謔精神が爆発する。

たとえば、『泰平ヨンの回想録』(1971)に収められた二大洗濯機メーカー「ヌードドレッグ社」と「スノッドグラス社」の競争エピソードはかなり風刺がきいている。まず、ヌードドレッグ社がアイロンがけや刺繍までできる洗濯機を開発すると、スノッドグラス社は、自ら四行詩を作詩してそれを縫い付けることができる洗濯機を開発する。次にヌードドレッグ社はソネットを作詩できる洗濯機を開発し、スノッドグラス社は家族団欒の会話に参加できる洗濯機で対抗する。

この洗濯機開発競争(狂騒)はさらに続く。スノッドグラス社は「水で洗って絞り、石鹸をぬり、頑固な汚れをこすり落とし、濯ぎ、アイロンをかけ、縫いものや編物をやりながら話をし、そうしたことを全部やりながら、しかもなおかつ、子供に代わって宿題をかたづけ、その家の主のために星占いで経済予測をたて、頼まないでもフロイド心理学で夢判断をやり、そくざに老人喰い症(ゲロントファジー)や親殺し症(パトリツィジウム)をも含むコンプレックスをすっかり解消してくれる洗濯機」を開発する。ところがその後、逆にヌードドレッグ社が新機種を開発する一方、スノッドグラス社は商品開発に失敗してしまい、売上高が35パーセント近くも急落。こうした局面でスノッドグラス社が開発した新機種はすごい:

「市場調査をやったところ、ヌードドレッグ社がダンスをやる洗濯機を開発中であることがわかったので、差し迫っている破局を乗りきるために、まったく革命的な処置をとることにした。そこで総額35万ドルにのぼる必要な特許権と使用権を関係者から買いとり、有名なセックス爆弾形をした、プラチナ色の独身男性用洗濯機、マイン・ジャンスフィールドと、もう一種、フィーレイ・マックファイン型の黒い洗濯機を開発したのだ。たちまち売上高はほぼ87パーセント増大した」
(『泰平ヨンの回想録』第五話より)

こういう「洗濯機」には、ハンカチとか枕カバーとか、ちょっとしたものしか洗濯できず、むしろ洗濯とはぜんぜん関係のないメカニズムが本体の中で幅を利かせているという。こんな短編には、レムの才気煥発という感じがして、読んでいて楽しい。

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70年代に入り、二つのメタフィクション的な作品『完全な真空』(1971)と、『虚数』(1973)が発表され、レムの文学活動は新局面を迎えることになる。前者は書籍の序文を集めたという体裁の短編集で、それらの書籍はすべて架空のもの、つまりレムの想像上のものだ。一方の『虚数』は、『完全な真空』と同じく架空の書籍についての短編集だが、今度は序文ばかりを集めたものになっている。その後1984年には『挑発』が出版され、ここでは架空の書籍(ドイツの歴史家による歴史哲学書)への書評が創り出されている。いずれの作品でも、レムの幅広い知識が縦横無尽に活用されていて、まさに博覧強記という印象だ。

このようなポスト・ボルヘス的とも言うべきメタフィクションへの流れだが、レム自身は次のように説明している。これは「偶然と秩序の間で」という自伝的エッセイで語っているところだが、まず「第一段階で書いていたのは二流の作品ばかりだった」(オプティミスティックな初期作『金星応答なし』(1951)、『マゼラン星雲』(1955)を指している)。次に『ソラリス』や『砂漠の惑星』といった作品を書く「第二段階」に入り、この段階では、一般的なSFというジャンルの「領土の果てにまで達した」と考えた。そこでさらに新しい領域を開拓するために、このようなメタフィクション的な領域に踏み込んだと語っている。

なぜこのような「序文」や「書評」なのか。レムも『天の声』(1968)では、まだ、アイデアを一冊の長編作品にまで仕上げることができた。この作品はある数学者の回想録という体裁を取っており、その架空の「回想録」には二つの「序文」までがついている。このようにメタフィクションの色彩が濃厚な作品だが、『天の声』は序文だけで終わることなく、本文も一応最後まで完成している。一方、その後の『完全な真空』などでは、架空の書籍の本文は描かれることはない。つまり、このようなタイトルで、このような内容の書物が将来存在するだろうと予見はするが、本文は実現することができない。

この、本文実現不可能性の理由を『虚数』の中の一部分から類推することができる。『虚数』には未来の架空の百科事典の紹介があるが、その中の「PROGNOLINGUISTICS(プログノリングイスティク=予知言語学)」という項目から、以下は、GOLEMという未来のコンピューターが使う第三次元のメタ言語(メタゲン3)を説明している部分:

「そんなわけで、主にGOLEMが用いる言語であるメタゲン3による、例えば「乗り込みいれられた窒息マチックは宇宙屋でプレンティックanトレンティックをフィータする」といった文があったとしても、これを人間の民族語(ゼロゲン)に訳することはできない。というのも、これに対応する発話をゼロゲンで組み立てたとすると、それに要する時間は人間の寿命よりも長いものになってしまうからだ(ツヴィブリンの見積もりによれば、この発話には人間の単位でおよそ135年〔±4年〕かかるという)」
(『虚数』から「ヴェストランド・エクスペディア」より)

レムが『完全な真空』や『虚数』で行っているのも、一種のメタ化だ。だから、これを実際の「書籍」という体裁に還元する(つまり、人間が普通に読書できる本に戻す)には、実現不可能なくらい膨大な時間がかかってしまうということを意味している。レム自身、「私はそれらを書き上げるために、メトセラよりも長生きしなければならないだろう」と述べている(エッセイ『偶然と秩序の間で』)。だから、このような時間的・空間的制約のため、発表されるのは架空の書籍の「本文」そのものではなく、「序文」や「書評」のみになってしまう。

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ただし、このような実在しない書物をあれこれ述べるという点については、レムの愛読者にとっては目新しいことではなかった。『ソラリス』ではその惑星ステーション内に図書室があり、「ソラリス学」とでも呼ぶべき架空の書物が紹介されている。『浴槽で発見された手記』(1961)でも、主人公は迷宮のような軍関係の庁舎の中をさまよい歩きながら、やがて図書室に到達し、そこでやはり架空の書籍の数々と遭遇する。このペダンチックなまでの書物への深い執着に、どこまでついていけるかという程度こそ、レムをどこまで好きになれるかという程度を決定すると言ってよさそうだ。

さらに、『ソラリス』その他に見られるような、相対主義的な人間観に賛同できるかどうかもポイントになるだろう。また、レムの才気煥発・博覧強記ぶりや、辛辣な諧謔精神を愛せるかどうかも、レムを好きになれるかどうかのポイントになると思う。どの作品でもいいから読むとわかるが、とにかく知性の塊のような人だ。エッセイ『偶然と秩序の間で』の中で、レムは中等学校時代、知能指数が180に達し、南ポーランドで一番頭のいい生徒だったと書いているが、これもあながち間違いではないだろうなと感じてしまう。レムは晩年、未来に関してあれこれ思索を深めていたようだが、いったいどのくらい将来まで見通していたのか。『虚数』で示されたGOLEMコンピュータ出現は2027年。レムの知性と戯れていられる時間はまだしばらく残っている。

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スタニスワフ・レム:1921年、当時のポーランド領リヴォフ(現在はウクライナ領)生まれ。戦後、ポーランドのクラクフに住み医学を専攻。1950年代より本格的に作家デビュー。2006年3月27日心不全にて死去。84歳。

<主な作品>

『金星応答なし』1951
『マゼラン星雲』1955
『変身病棟』1955
『泰平ヨンの航星日記』1957
『対話』1957
『エデン』1959
『捜査』1959
『ソラリス』1961
『浴槽で発見された手記』1961
『星からの帰還』1961
『砂漠の惑星』1964
『ロボット物語』1964
『技術大全』1964
『宇宙創世記ロボットの旅』1965
『高い城』1966
『天の声』1968
『宇宙飛行士ピルクスの物語』1968
『SFと未来学』1970
『完全な真空』1971
『虚数』1973
『枯草熱』1976
『泰平ヨンの現場検証』1982
『泰平ヨンの未来学会議』1983
『挑戦』1984
『大失敗』1987
『地上の平和』1987

ロンドンで本を買う

2006-03-23 13:52:10 | 日々のこと
本好きは本屋に集う。本屋を見かけると中に入ってみたくなる。東京だろうとニューヨークだろうと、それはどこでも同じ。最近は書店も(というか、出版業界が)売上至上主義になっているので、小さな本屋さんではベストセラーばかりしかなく、満足できるような本を見つけたいと思ったら、ちょっと大きい本屋さんに出向く必要がある。たとえば、池袋のジュンク堂書店とか。ちなみに、ここで手に入らない本は(中古を除く)、基本的に日本ではもう手に入らないと考えていい、というくらい充実した在庫だったりする。

小さな書店だと「売れ筋」しか扱っていないのは、イギリスでも同じ。もうとっくに書籍の再販制度は廃止されている。また、日本で紀伊国屋書店とか、丸善とか、そういう有名な本屋さんが全国チェーンになっているように、イギリスでも同じく「WHスミス」とか、「ウォーターストーンズ」とか、そういう全国展開の書店チェーンが目立っている。だからロンドンに行って、ちょっと興味ある分野の本を探そうと思っても、街角のWHスミスの小さな本屋さんなんかに入ったところで、お目当てのものには出くわさない。では、僕ならどこに行くか。

もし勝手にお勧め順位をつけるなら、第一位は「ブラックウェルズ」(Blackwell's)だろう。場所はチャリングクロス・ロードにある。この通りはトラファルガー・スクエアからオクスフォード・ストリートを結んでいて、飲食店や映画館、ミュージカル劇場などが立ち並び、ロンドンで一番賑やかな一角のひとつ。でも、この通りは昔ながらの書店街でもある。東京でたとえるなら神田神保町のようなところだ(ただし、あんなふうに本屋がたくさんあるわけではない)。その中にブラックウェルズもあるのだが、この書店の中は、なかなか広くて大きい。もともとオクスフォード発祥の書店チェーンで、大学都市出身であるせいか、若干アカデミックな感じの方面の書籍がとても充実している。極端に専門書ばかり集めるのではなく普通の本もたくさんあるが、こういう知的な品揃えの方向性がとても好感を持てる本屋さん。いいお店だと思う。ただし、ちょっと地味な感じかな。

第二位は「ウォーターストーンズ」(Waterstone's)のピカデリー店。ウォーターストーンズは全国のあちこちに店を構えるチェーン店で、そういう意味ではなんとなく期待のできない感じがしてしまうのだが、このピカデリー店は絶対に訪れるべきだろう。(というか、ウォーターストーンズはここだけ行けばいい。)これまたロンドンの「へそ」とでも言うべき中心地ピカデリー・サーカスからすぐのところに、この店はある。そして何といっても特色は広いこと。日本の大書店を見慣れてしまうと大したことがないようにも思えなくもないが、全部で六フロアーもあって、イギリスにはこんな大きな本屋さん、他にはない。もともとはシンプソンズという名前のデパートだった由緒ある建物で、内装も大変上品。なんとも優雅な大理石の階段が中にあるのだが、永年の使用で美しくすり減っているという、そんな味わいのある場所でもある。地下には「レッド・ルーム」という名前のレストラン(その名のとおり、赤色のインテリアだった)まであって、僕も確か一度食べに行ったが、おいしかった。本の品揃えについては、たくさんあるフロアーを埋めるくらいだから、満足できるレベル。僕の職場がすぐ近くだったせいもあるが、買い物した回数で言えば、僕はこの書店が一番多かったと思う。

本屋に行くとき、必ずしも一人で行くわけではない。自分だけ本をずっと探してて、連れはほたっらかし、というわけにもいかない。そういうときには、「ボーダーズ」(Borders)がいいかもしれない。言わずと知れたアメリカ有名ブックチェーンだが、店内が明るくてきれいで、CDなんかも売っていたりして、本屋さんであれこれ見て楽しく過ごす、なんていうときにはいいと思う。僕はチャリングクロス・ロードのボーダーズにときどき立ち寄った(オクスフォード・ストリートにもある)。それなりに大きくて、チャリングクロス・ロードでも一際目立っているお店だけれども、品揃えは普通。あまり専門的なものは無さそう。

ロンドンの本屋さんを紹介するとき、きっと「フォイルズ」と「ハッチャーズ」は忘れてはいけないのだろう。でも実際に買い物をするかというと、ちょっと微妙なのだ。どちらかというと、観光気分でこの二店は見に行けばいいと思う。

まず、フォイルズ(Foyle's)だが、この店もまたチャリングクロス・ロードにある。支店を持たずに、頑固にここだけで商売をしている書店。ウォーターズトーンズのピカデリー店ができる前は、ここが一番面積の広い本屋さんだった。在庫のタイトル数もかなり多い。実際、ロンドンの名物書店で、昔ながらの感じがするお店。でも、なぜお勧めの一位になれないのか。まず、店内がなんだかちょっとごちゃごちゃしている。迷路みたいで、慣れないとあの店内で本を探すのは難しそうだ。また、なんとなく暗くてきれいじゃない感じも良くない。近くにある「ボーダーズ」と比較すればわかるが、やっぱりお店はきれいで明るいほうがいいと思う。本屋さんにこういう清潔感は別に求められないかもしれないが、古本屋さんじゃないのだから、多少はこういう方面での配慮も必要かと。でもまあ、一見の価値はある本屋さんであるのは確か。ちなみに、英語学習書関係の充実は有名らしく、この日記ブログの1月11日に紹介した参考書は、だいたいすべてフォイルズで買ったもの。

ハッチャーズ(Hatchards)は、1797年創業という、おそらく一番由緒正しい本屋さん。大通りのピカデリーに面していて、フォートナム・アンド・メイソンの隣にある。古風な店構えには、看板に王室御用達のマーク(Royal Warrantと呼ぶ)が掲げてられていて、その格式の高さを裏付けている。こんな店だが、勤務先の近くにあったにもかかわらず、一度も入ったことがない。理由は簡単。同じピカデリーにあるウォーターストーンズのほうに行ってしまうから。どちらが使いやすいかといえば、誰もがウォーターストーンズのほうを挙げるのではないだろうか。

最後にちょっと変わったお店として、地図専門の書店「スタンフォーズ」(Stanfords)を紹介しておきたい。チャリングクロス・ロードのレスター・スクエア駅とコヴェント・ガーデンとを結んでいる「ロング・エイカー」という、これまた賑やかな通りにある(「Long Acre」と綴る・・・最初はなんと発音するんだろうと思った)。個人的には地図を眺めるが好きなので、この店にも何度も足を運んだ。今、家にある大きく広げて見るタイプのイギリスの地図はここで買ったもの。地図だけではなく、地球儀とか旅行ガイドもたくさん売っていて、中を見て回るだけでも面白いお店。

思い出しながらこんなふうに書いていると、なんだかロンドンに行きたくなってきた。以下は各書店のサイト:

■ブラックウェルズ:www.bookshop.blackwell.co.uk

■フォイルズ:www.foyles.co.uk

■ハッチャーズ:www.hatchards.co.uk

■スタンフォーズ:www.stanfords.co.uk

以下の書店のサイトはアマゾンと共同になっている。恐るべきアマゾンの攻勢。というかちょっと目障り。

■ボーダーズ:www.borders.co.uk

■ウォーターストーンズ:www.waterstones.co.uk

今、こんなふうに各書店のサイトを見比べてわかったのだが、カズオ・イシグロの小説『Never Let Me Go』(ペイパーバック版)が売れ行きランキングの上位に入っている(本日現在)。ウォーターストーンズだと1位。ブラックウェルズだと4位。フォイルズだと6位。きっとおもしろいに違いない。あと、ブラックウェルズで1位になっているロジャー・ペンローズの本には興味を引かれる(ただし、英語で読むのは僕には難儀そうだが)。というか、この人の本が1位になるとは・・・。ブラックウェルズの顧客層がわかるというもの。

デイヴィッド・ホックニー

2006-03-19 13:27:46 | 日々のこと
ロンドンの中心、コヴェント・ガーデン広場には、主に観光客相手のマーケットがあって、週末はもちろん、平日でもけっこう賑わっている。いろいろお店が出ていて、ぐるっと見て回るだけでもなかなか楽しい。

その広場の片隅に、イギリスで一番敷居の高い(と、僕は感じる)オペラ劇場、ロイヤルオペラハウスの入り口がある。1999年にリニューアルオープンしたばかりなので、この手の建物としてはとても新しく美しい。入ってみればわかるが、そのチケット代金にふさわしく(・・・とは言っても、東京の法外なチケット料金に比べればリーズナブル)、かなり高級で洗練された劇場だ。ロンドンはいろいろな側面を持つ都市だけれども、上品で、文化的で、ちょっとスノッブな雰囲気を味わいたいのならば、このロイヤルオペラハウスに出向いてオペラやバレーの公演を楽しむのも一つの方法だろう。

こういうニュアンスでご理解いただけると思うが、この劇場は、どちらかというとエスタブリッシュたちが集う保守的な場所だ。1999年という、ごく最近に全面改装されたにもかかわらず、外観、内装にはほとんど前衛的なところがなく、奇をてらったようなところがない。シンプルにクラシックに美しく仕上がっている。でも、こういうコンサバティブな場所で、僕はデイヴィッド・ホックニー(David Hockney)の絵を見つけた。

それはたしか、上のほうの階のホワイエだったと思う。幕間の休憩時間に、座って疲れた足を伸ばしたり、軽く飲んだり食べたりする場所。演技がどうだったとか、なんだかんだおしゃべりする場所でもある。そのホワイエの壁に、ホックニーの油絵がさりげなく飾られていた。オペラ劇場という、こういう保守的な場所には、ターナーとかコンスタブルとか、いかにもクラシックな作品を飾るのが一番似合うような感じがするものだ。でもそこには、ホックニーという現代アーティストの作品が選ばれていて、実際とても雰囲気にマッチしていた。

僕はホックニーの絵に出合うたびに、いつもいいなあと思う。好きな作家の一人だから。色鮮やかな画風もあって、ちょっとポップで軽薄なアーティストだと思われがちだが、それはそれで彼らしくていい。僕の好みは1960年代初めのころの暗くて、ちょっと殺伐としているような、とんがっている頃の作品で、これらには特別に惹かれるものがある。その後ロサンゼルスに移住してから、画風が明るくシンプルに変化するが(1970年代半ばくらいまでの作品)、これもまたとてもいい。ロイヤルオペラハウスに飾られていたのも、この頃の作品だと思う。

イングランド北部ブラッドフォード出身の彼も、今や誰もが認める世界的巨匠の一人。そういう意味では、ホックニーは十分エスタブリッシュだし、彼の作品がイギリス最高級の劇場で、ホワイエの壁面に掲げられるのは、もはや違和感ないとも言える。実際、ホックニーが舞台美術を手がけたことも過去に何回かあるので、そういうつながりもあるのだろう。ただこのように、古くて伝統のあるものと、新しくて良いものを、さりげなく融合させるのがイギリス人はなかなか上手い。古くなった発電所の建物をそのまま生かして、現代芸術の美術館にしたり(テイト・モダン美術館)、19世紀につくられた国会議事堂(House of Parliament・・・「House」は日本語の「ハウス」の語感とはちょっと違う)の向かいに、でっかい観覧車を作ってみたり(ロンドン・アイ)。オペラハウスの中のホックニーの作品も、そんな一例に思える。

ホックニーは1937年生まれ。僕が「いいなあ」と感じる彼の作品は、主に1960年代初頭から70年代半ばにかけて制作されたもの。ということは、彼が20歳代前半から40歳くらいまでの間に作られたものということだ。これはつまり、ちょうど現在の自分と同じ年齢の頃ということ。僕は自分自身をホックニーのような天才と同一視するつもりは、もちろん、毛頭無い。でも感じてしまうことがある。それは、自分がささいなことであれ何をするにせよ、今この現在という時間が、感性的にはかけがえのない貴重なものだということ。

■テイト・モダン美術館(ホックニーの作品を鑑賞できるところ):
http://www.tate.org.uk/modern/

■東京都現代美術館(日本でホックニーを鑑賞するなら):
http://www.mot-art-museum.jp/

■ロイヤルオペラハウス
http://www.royalopera.org/

突然放たれた鳥のように

2006-03-17 01:32:13 | 日々のこと
せっかくこのブログに来ていただいた奇特な方には申し訳ないのだけれども、今晩はもうあまり元気もない。深夜一時。明日もまた普通に早起き(朝六時半←そんなに早くはないか・・・)。ただ、あまりブログを放置してしまってもなあと思うので、最近の心境を少しばかり。

朝八時には家を出て、夜十時半くらいに帰宅するのが僕の一般的な一日。サラリーマンとしては、まあ、普通だろう。この十四時間半は、通勤時間も含まれてはいるが、仕事に振り充てられた時間ということになる。一日の半分以上を割いているのだから、何か書こうとしても考えつく話題は、おのずと仕事の話になってしまう傾向がある。

上司が新しく変わったことはどこかで書いた。以前の上司は「あれをしてください」「これをしてください」などなど、指令の数がものすごく多くて大変だった。それをひとつひとつ実行していくのが僕の役割で、もちろん全てを僕自身でこなせるわけはないから、後輩たちにも仕事を分担させていく。といっても、その分担も、僕はちゃんと上司にお伺いを立てて、了承を得てから進めていた。

ところが新しい上司は、ご自分自身の仕事のことで忙殺されており(成果主義なので、とりあえず個人プレーで結果を出してみたいらしい)、僕たちの所属する部署の瑣末な事象にはまったく関与してこない。というか、職場の滞在時間がものすごく短いのだ(成果主義なので、結果が出せれば別に職場に出勤しなくても、まあ良いのだろう)。上司は不在がち・・・その結果、僕は突然、あれやこれやの物事を判断する立場になってしまった。

以前だったら絶対自分では決めなかったような事柄を、つまり、必ず上司の意向を確認していたことを、僕自身で決める必要に迫られている。たとえば仕事の分担のこと。どんなに公平にとは思っても、実際には完全に仕事量を平等にはできない。でも、これを決めなくては仕事は動かない。上司に決めてもらいたくても上司は不在。次席の責任者は僕。しょうがないから、もう僕自身でみんな決めてしまうことにした。

こういう立場になってみて初めてわかったのだけれども、ある意味どうでもいいような瑣末なことも、誰かが決めていかなくてはならないことが多い。みんな「どうしましょうか」と尋ねてくる。僕はそれに答えなくてならない。「所属長の認印が必要」と書いてある社内書類も、差し支えなさそうなものは、上司の到着を待っていられないから、僕が自分のはんこを代理として押してしまう。全社的な告知事項も、本来なら責任者から説明・発表をお願いしたいのだが、朝礼・夕礼時にご不在なので、面倒だけれども僕が説明してしまう。

クレームが発生しても僕自身で解決の方策を決めてしまう。クレームなのだ、「責任者に確認してから・・・」などと悠長なことは言ってられない。上司には後で話せるタイミングがあるときに内容を報告するくらい。

こんな日々が始まって気がついた。人から指示されるというのは、なんと簡単なことだったのだろう、ということを。上司の意向を伺うというのは、結局、僕の責任逃れだったのだ。「私は指示されたとおりに仕事をしただけですから」という言い訳ができたのだから。「どうしますか」と意向を尋ね、「こうして」と言われたことを、言われたとおりにこなしていく、僕はそういう仕事をしていた。もちろん、こんな極端に機械的なやりかたではなかったが、突き詰めればそういうことだった。言われたとおりにするのは楽なのだ。

そして今、判断を下し、決定する人がいなくなった。確かに僕は最終的な責任者ではないけれども、実際のところ、いろいろな責任が僕に生じている・・・この組織がうまくいくかどうか、仕事分担はうまく回るかどうか、僕の押したはんこが、ちゃんと通用するかどうか。今までは、オリの中で言われたとおりにして、おとなしくいい子にしていればよかった。飼われた鳥のように。ところがオリの扉は突然開け放たれて、僕は自力で飛ばなくてはならなくなった。どこに向かって飛べばいいのか・・・そう、どこでもいいのだ、良いと思う方角を自分で定めながら。

『現代イギリス社会史1950-2000』

2006-03-13 18:21:44 | その他の読書
■アンドリュー・ローゼン『現代イギリス社会史1950-2000』
(川北稔訳、岩波書店2005)

映画『リトル・ダンサー』(イギリスではタイトルが『ビリー・エリオット』だった)を観た感想の話をしていたとき、その場にいたイギリスの友人は、サッチャー政権下での労働組合いじめを思い出す、と語っていた。この映画には、当時の炭鉱労働者のストライキをめぐる場面があって、彼はそのことを言っていたのだ。これは実際にはどのようなできごとだったのか。

近年のブッカー賞受賞者には、非白人の作家も目立つようになった。有名どころでは、1971年『自由の国にて』で受賞したV.S.ナイポール、1981年『真夜中の子供たち』のサルマン・ラシュディー、そして1989年のカズオ・イシグロ(『日の名残り』)。こういうマルチ・レイシャルな社会は、戦後から徐々に顕著になってきたが、それにはどのような事情があったのだろうか。

デイヴィッド・ロッジのどの小説だったか忘れてしまったが、登場するその大学はもともと「ポリテクニク」で、それが大学に昇格したものだ・・・という記述が出てくる箇所があった。この「ポリテクニク」とはどのようなものだったのか。またそれが大学になった経緯は?

イギリスに旅行すると、日曜日も商店が営業しているのに気がつく。ただし営業時間は六時間のみだ(たとえば、午前10時から午後4時まで、とか)。本来、日曜日は安息日であるはずだが、近年、人々の宗教への態度はどう変化しているのか。

この本の訳者は、あとがきで次のように述べている:「昨今のわが国では、イギリスについては、王室や紅茶やパブにまつわるような『アングロ・マニアック』な記述が巷に氾濫している一方、冷静な現代社会の分析はひどく欠落している・・・」ほんとうにその通りだと思う。読んでみたが、この本は特別なことを書いているわけでもないし、細かい点を除けば目新しい発見があったわけでもない。でも、僕自身の滞英経験や、イギリス戦後作家の読書経験で、感じたり、気がついたりしたことがきちんと説明されている。

以前、ロンドンに住んでた頃の日記に、イギリスの中等教育の事情にちょっと触れたこともあるが、そういうコンプリヘンシブ・スクールとか、インディペンデント・スクールという学校への教育行政の変化も、読んでみて納得することができた。イートン校やウィンチェスター校といった有名パブリック・スクールと、オクスフォード・ケンブリッジの両大学についての本はたくさんある。でも、数では圧倒的な普通のイギリスの教育事情を知るには、こういう本に接するしかない。

個人的には、この本で言及されている他の細かいトピックについても、あれこれ思いついてしまう。ブルーウォーターやブレント・クロス(この二つが何のことだかわかりますか)、M1やM25といった道路のこと、テイト・モダンやロンドン・アイ・・・羅列していくときりがない。こうやって、いろいろ感想を言いたいことが出てくるというのは、内容がしっかりしている本である証拠だろうか。みんなこの日記のネタになりそうだけど、とくに、公営高層住宅のことと、ミレニアム・ドームについては、また別の機会に書きたい。

話題の人

2006-03-11 11:01:09 | 日々のこと
別にこんなところで書くまでもないことだが、最近話題の人を実際に見かける機会があったので。

これはつまり、あの荒川静香さんで、テレビで拝見する風貌同様にきれいな感じの人だった。よく有名人には、テレビで見る印象と実物とが違うなんてことが結構あるものだが、今回はそんなことはなかった。あのままの印象と思っていただいて正しい。誰もが口をそろえて「きれいだね」と言っていた。

僕がとくに気になったことがあったのだが、それは彼女が人前ではずっと微笑んでいるという点。彼女はそれなりの時間その場に滞在していたが、けっして笑みを絶やさなかった。これだけあれこれ騒がれて、ストレスがたまることも多いだろうと想像するが、果たして微笑んでばかりで大丈夫なのかなと思ってしまう(余計なお世話だとは思うが)。こういうふうに機会のあるたびに大勢の人の前に現れること自体が、今や彼女の仕事のひとつになっているのだろう。荒川選手の存在自体でみんなが喜ぶ。だから、皇室の人々同様、彼女にとっても笑顔が重要な商売道具であるのは確かだ。

僕も接客の仕事をするので、笑顔が重要な商売道具ではあるが、あれをずっと続けるのは大変だ。みなさんも試しにやってみるといいと思う。だんだん顔がひきつって、無理して笑顔を作っている状態になっていく。僕も無理してることを自覚しながらお客さんと話していることが、往々にしてある。そんなときは口元は笑顔でも、目が笑っていないはずだ。もちろんこれではよろしくないので、そういうときは休憩するとか、気分転換をして、心から気分良く話ができるようにしないといけない。

なんといっても、オリンピックの金メダリストなのだ。みんな好意的に彼女を見ているし、そして彼女ほうもそれに応える必要、つまり、みんなから好かれるように振舞う必要がある。だから、あんなふうに笑顔を絶やさずにいるのだろう。でも、万人から好かれるなんて無理なことだ。そして、荒川選手にだって好き嫌いがある。何にでも笑顔というわけにはいくまい。心から笑える楽しいこともあれば、うんざりしてしまうこともあるはず。そういう心境の表出も、たまにはあってもいいかもしれないと思うのだが。

『日々の非常口』

2006-03-09 23:19:43 | 日々のこと
朝日新聞の木曜日の夕刊には、アメリカ出身の詩人、アーサー・ビナードさんによるコラム『日々の非常口』が掲載されている。朝日新聞には、朝刊も含めると他にもいろいろなコラムがあって、たとえば丸谷才一のもの(月に一回)とか、三谷幸喜のもの(週一回)とかもおもしろいけど、個人的にはこの『日々の非常口』が一番すぐれていると思う。

何がすぐれている点なのか。平たく言えば、「おもしろくて、ためになる」というところか。そして時事問題への言及も頻繁にあって、そういうところはなかなか鋭い指摘もする。また、ご本人が詩人だけに「ことば」へのこだわりが随所に出てきて、そのあたりも興味深い。たとえば、今日の夕刊に載ったコラムだと、「満載喫水線」という言葉からストーリーは始まる。この言葉、英語だと「Plimsoll line」となるが、この「Plimsoll」って一体何だろう、ということを紹介してくれるのだ。それもただ紹介するだけだと、普通の英語コラムになってしまうけど、ちゃんと時事問題に話を収斂させている。いつも思うのだが、ぜんぜん関係のない英単語の話がちゃんと時事問題への言及にまとまってしまう、このビナードさんのテクニックはなかなかのものだ。

いつだったか、しばらく前のことだけど、英語の「数」の単語には普通に一、二、三、と数えていくものだけではなく、日本語には見られない特殊なものがあることを紹介している回があった。特殊な数の単語と言われて思いつくのは、十二を表す「dozen(ダース)」とか、二週間を表す「fortnight」とかだけれども、このとき紹介されていたのは「score」。今ではあまり使う人はいないが、これは二十という数を意味している。(もちろん、「得点」という意味のほうでは今でも普通に使われる。)リンカーンのあまりにも有名な演説「ゲティスバーグ演説」は、「87年前、われわれの祖先はこの大陸に渡り・・・」というふうに始まるが、この冒頭の「87年前」は原文だと、「Four score and seven years ago」なのだ。間違っても「Eighty-seven years ago」ではない。

この「score」が、どのように時事ネタと結びつくのか、わかるだろうか。そう、「フランス語ではまともに数を勘定できないから国際語として失格」と語った、あの東京都知事の話にからんでくる。都知事が言うには、フランス語では91を「4つの20と11(4x20+11)」というふうに表現するが、こういうのは「やっぱり困るんじゃないの」という考え方だったのだ。でも、国際語の英語にだって、歴史的には20を一つのまとまりとして数える方法もあるのだ。ビナードさんが指摘していたのは、だいたいこんなところ。

さて、今日の夕刊の「Plimsoll」だけど、これは19世紀のイギリス人、サミュエル・プリムソルに由来する、とのこと。彼は当時の貨物船に横行していた過積載を止めさせるため、国会議員になり、そのための法律「商船法」を成立させた。当時、利益の追求ばかりを狙った貨物の積み過ぎは、往々にして海難事故の原因ともなり、多くの船員たちの命が失われた。満載喫水線「プリムソル・ライン」は、こうした人命軽視の態度を見るに見かねて命がけで規制強化の活動した彼の名前にちなむ。

で、この話がどのように時事問題の話題とつながっていくのか。ビナードさんは続ける:
「『規制緩和』という日本語は、なんとなく優しく響く。まるでその先に、いろいろいいことが待っているみたいな明るい雰囲気だ。しかし、規制が緩められた社会では、一般市民が危険にさらされ、犠牲になる実態もある。プリムソル氏の規制強化で、どれほどの人命が救われたことか」

この意見に賛成か反対かという点については、読者それぞれに意見があっていいと思う。僕がいつも感心してしまうのは、このように広い知識に裏付けられた、ビナードさんの優雅な主張の展開のしかたにある。知的興味で引き寄せながら読ませる書きかたで、うまいなあ、と毎回感じている。

スーパーチラシの美的検証

2006-03-08 12:03:28 | 日々のこと
我が家の周辺はスーパー激戦区なのだろうか。毎朝の新聞にはスーパーのチラシ広告がいくつも挟まれている。比較的郊外で自動車を持っている人も多いせいか、電車ではわざわざ行かないようなところのもある。いくつ入ってくるだろう・・・マルエツ、ハローマート、ベルクス、サミット、ダイエー、イトーヨーカドー、Dマート、いなげや・・・すぐに思いつくだけでも八つはある。どこに住んでも、このくらいは普通なのだろうか。ちなみに、僕が普段買い物で使うのは、このうち、最初の二つだけだ。

比較的自分で料理をするのでスーパー利用頻度は高いのだが、このたくさんのチラシをじっくり比較検討して、どこが最安値か情報収集に努める・・・なんてことはしない。毎日これだけの商品情報が提供されて、研究材料は十分すぎるくらい揃っているのだが、あいにく、そういうプロ主婦レベルには達していない。修行が足りないのか、そんなヒマはないのか。むしろ僕が楽しむのは、その広告のデザインのほうだ。

いつも割合こぎれいなチラシ紙面を作ってくるのはイトーヨーカドー。ちなみに、僕がきれいと感じるポイントは、①上品な色使い、②余白が多いこと、③金額の数字が小さいこと、の三点。これら三つの要素を完全に遂行すると、一ランク上がって、デパートのチラシになる。イトーヨーカドーのチラシは、この三点の達成度が他社に比べ高い。かなり美しく見える。こういう上質なイメージを企業イメージにしたいと考えているのだろう。反面、安い!とか、お買い得!というインパクトに欠けてしまうのも確か。上品に構えていて、元気がないように思えなくもない。

イトーヨーカドーのチラシの美的検証として、ぜひ取り上げなくてはならないのは、あの大変なじみある鳥マークから、セブンイレブンみたいな、奇妙な7とIのロゴマークが、最近幅を利かせてチラシ前面に出ていること。これはよろしくないと思う。大減点だ。なぜか。まず、見た目が美しくない。衣類も扱っているのだから、ああいうセンスの無いマークを使う会社は、その商品もセンスレスに思えていしまう。さらに僕は、いいですか、とイトーヨーカドーに言いたい。みなさんは生活の支える上質なスーパーであって、コンビニエンスストアとは違うんですよ。それなのに、あんなコンビニじみた軽薄なロゴマークを使っていいんですか、と。

会社のマークが変わったといえば、ダイエー。去年から「ごはんがおいしくなるスーパー」と銘打って、新しいロゴになった。それに伴い、チラシのデザインも一新。それまでのコテコテのスーパーチラシから、イトーヨーカドーのような上品路線になった。ダイエーらしくないなあ、というくらい。しかし、今朝の朝刊の経済面にも載っていたが、今期のダイエーの収支は赤字転落とのこと。外見を目新しくしても、その効果は長続きしないといういい例だ。(スーパーに限らず、よく、リニューアルオープン、とか、店内新装記念、とか、そういう売り出しがなされるが、その「改装効果」は昨今ものすごく短命だ。せいぜい1、2ヶ月しか売上への効果がない、という話を聞いたことがある。)新聞でも指摘されていたが、ダイエーはさらに800人の従業員を出向させる計画だそうだが、こういう話は働く人のやる気をなくさせるだろうな、とも思う。

ぜんぜん買い物で使ったこともないのに(自宅からはちょっと離れたところにあるので)、毎回必ずチェックしてしまうのが、サミットのチラシ。理由は簡単、四コママンガが載っているのだ。それも素人のいい加減なマンガではない。プロ漫画家みつはしちかこさんによる『週刊アララさん』。朝日新聞を購読していた人なら、みんな日曜版に載っていた(1980年から2002年まで続いていた)、みつはしさんの『ハーイあっこです』を読んでいたはずだから、彼女の絵にはなじみがある。

サミットは大したものだなあと思うのだけど、まず第一に、貴重な紙面の一部を商品の宣伝ではなく、売上には直接繋がらないマンガに割いていること。もしマンガの部分がなければ、もっと商品を紹介できるはずなのだ。これは、利益のみ追求する態度ではできない立派なところ。もうひとつはもちろん、ちゃんとしたマンガ家の作品を載せていること。作品への報酬だってばかにならないはずだ。でも、こうした利益至上主義ではできない余裕ある方針のおかげで、僕のようなサミットで買い物をしない人まで、サミットのチラシを楽しみにしている。直接の儲けには繋がらなくても、会社の知名度を上げる効果は抜群に高い。

というわけで、毎週『アララさん』を楽しみに読んでいるのだが(普段マンガはぜんぜん読まないので、これと新聞の四コママンガだけが僕の楽しみ)、作家みつはしさんが、内容に苦慮している様子が伺えるのもおもしろい。つまり、スーパーの宣伝の内容といっしょだと、なんかグルになって宣伝しているみたいで、サミットのまわし者みたいになってしまう。かと言って、ぜんぜん関係ないことを書くのもおかしいし、ましてや、チラシの内容と矛盾することも書けない。たとえば、チラシ本体で「ファミリーパーティーの素材特集」をやっているのに、マンガでは、「ファミリーパーティーは退屈だ」みたいないことを書くわけにもいくまい。そのあたりの匙加減が、傍で見ていておもしろい。

いまどきのスーパーのチラシは、みんなインターネットで見られる。だから新聞を取っていなかったり、チラシを読まないで片付けてしまっても、後からチェックできるようになっている。ヒマな人は、こちらをどうぞ。イトーヨーカドー:http://www.itoyokado.co.jp/ ダイエー:http://www.daiei.co.jp/  サミット:http://www.summitstore.co.jp/←マンガも読めます。

ウィリアム・ゴールディング『特命使節』

2006-03-06 00:04:14 | イギリスの小説
■ウィリアム・ゴールディング『特命使節』
(宇野利泰訳、『ありえざる伝説』ハヤカワ文庫1983より)

古代ローマ帝政時代に、もし、蒸気機関と火薬と印刷術が出現していたら・・・というゴールディングによる短編小説。

古代帝政の最盛期、皇帝とその孫アミリウスは離宮でアンニュイな日々を送っている。そこにギリシア人の技術者パノクレスが現れ、皇帝に蒸気船と大砲の発明を説明し、実際に作り上げる。しかし、それらの発明品が帝位をめぐる争いを引き起こし、騒動となってしまう。混乱は収まったものの、皇帝はパノクレスに対し、二度とこれらを建造させるつもりがないこと、ただし発明への恩賞として、中国への「特命使節」に任ずることを伝えて物語は終わる。

ゴールディングといえば、人間の心に住まう「悪」とか、行き過ぎた科学技術に対する警告とかを、寓話の形式で描き出す作家、というのが一般的な印象だと思う。どの小説でも何らかの形で、現代社会やそこに生きる人間の問題点を掘り下げようとする態度が見え隠れする。この短編小説『特命使節』でも、皇帝はパノクレスに対して、技術万能の態度を警告する場面がある。パノクレスのような熱心な自然科学者によって生み出された技術が、当初はその意図がなかったとしても、「大地から生命を絶滅させることにならぬともかぎらない」という可能性を指摘している。これは明らかに、後世の科学者たちによって、当初は純粋に科学的な意図であった原子力の研究から、やがて核兵器が生み出されてしまったことを意識したせりふだ。

この短編小説は作法の面でも、いつものゴールディングのパターンが出ている。たとえば、この小説の終わりかた。もしゴールディングの言いたいことが、このような人間による際限ない技術力という問題であるならば、ローマ帝国での仮想のエピソードだけではなく、実際に火薬が中国を発端として悪用されていく過程も取り上げてよかったはずだ。でも、ゴールディングはそれを描かない。ただ、パノクレスが中国に向かうことを示しただけで、あとは読者の想像に任してしまう。小説本文は、ただエピソードを提示するだけで、本質的なところは読者が読み終わってから考えなくてはいけない。

ゴールディングの処女作『蝿の王』(1954)では、孤島に取り残された子供たちのエピソードが描かれるが、この小説も本文だけではゴールディングの意図を理解したことにはならない。子供が孤島から救出されるところで小説自体は終わるが、今度は戦争の続く現実世界で、彼らは生き延びていかなくてなならないのだから。でも、その部分は読者が読後に考えるしかない。また、遺作となったゴールディング最後の作品『二枚舌』(1995)でも、小説内では語られない世界が読後に広がっている。主人公である古代ギリシアの巫女は、アテネの街に「まだ見ぬ神へ」という銘を彫らせた碑を建てさせるが、読者はこの言葉が聖書の一節だとわかる。でも小説はここで終わってしまう。古代の神々の宗教から、現在も世界を大きく支配するキリスト教へ、時代がシフトすることをゴールディングは暗示するが、それがどういう意味かは、やっぱり読者が考える役割のようだ。

こういう作風だから、ゴールディングは読者に歴史の知識を期待している。たとえば今回の『特命使節』であれば、火薬や印刷術が史実としては中国の発明であることを読者が知っていることを前提としている。もちろん知らなくてもとりあえず読むことはできるだろうが、ゴールディングの本来の意図は、やはり歴史を知っていないと理解できない。第二作目の作品『後継者たち』(1955)でも、ネアンデルタール人がホモ・サピエンス(つまり、私たちのこと)に滅ぼされる知識が前提となっている。ブッカー賞を得た『通過儀礼』(1980)でも、小説の舞台は19世紀初頭の、植民地へと向かう帆船内に設定されている。このように、自らの「寓話」を完成させるために、小説内でのエピソートだけでなく、歴史というコンテクストをも使ってしまうのがゴールディングの重要なポイントだと僕は思う。

ところで『特命使節』には、ゴールディングのギリシア・ローマ文化の愛好とその知識が遺憾なく発揮されている。パノクレスの造る船の名前は「アムピトリーテ」、パノクレスの妹の名前は「エウプロシュネー」・・・こういう固有名詞の由来を調べるだけでも、ギリシア神話のいい勉強になりそうだ。とくに「モスクス、エリンナ、ミムネルムス等の諸詩人」という箇所は、文脈上マニアックな人々を選んでいて笑ってしまう。

最後に、ここまでまあまあ真面目に書いてきたが、上に「笑ってしまう」と書いたとおり、この短編小説がかなりコミカルであることも付け加えておきたい。ゴールディングは明らかに「うけ」を狙って、かなり楽しんで書いている。だから、ゴールディングだからといってあまりかしこまらず、僕たちも楽しく読んでいいはず。

続・「差し違え」の覚悟

2006-03-05 11:58:21 | 日々のこと
昨日4日、朝日新聞生活面に載ったカルロス・ゴーンさんの文章から。

「あらゆる課題に対し、チームの全員がまったく意見を戦わせることなく賛同する。これは果たして『完璧な和』を成していると、あなたは思いますか。恐らく違うでしょう。そのような状況は、問題をはらんでいる可能性があります。メンバーに多様性がないか、異論を唱えるのを恐れているのか」

前回、3月3日の日記には、「言いたいことは我慢する」みたいな趣旨のことを僕は書いたかもしれない。サラリーマン生活を10年くらいしてきて、本当にこれは痛切に感じている。余計なことは言わない。言いたいことを感じても、ぐっと腹におさめる、僕はこういう態度で過ごしてきた。この10年のサラリーマン生活で学んだきたのだ。もちろん、各人それぞれに、上司に対する接し方があるだろうが、僕にとってはこれが一番楽だ。安泰だ。余計なことを言って、無用な摩擦を引き起こすようなことはしたいと思わない。

「和を重んじ、権力に従う文化の日本で、私は率直な意見を周囲に求めています。これは大きな課題です。どうしたら角を立てずに、強い主張ができるのか。迷わず賛同するのと、沈黙するのと論争するのとの、適切なバランスとは。簡単ではありません」

「僕はこうだと思います!」みたいな強い主張をすると、必ず角が立ってしまう。それを聞くほうも素直に聞けないし(生意気、目立とうとしている、経験がないのにわかったようなことを言う・・・などの感情が生じやすい)、その主張に反論すると、ビジネス上の議論であるのに、その人の人格や能力まで否定されているように受け取られてしまう。

これは、日本で議論や討議をするという文化がないこと、また、学校時代にこのための訓練がなされないことに原因があるだろう。ちょっと話がずれてしまうが、某テレビ局でかつて深夜にやっていた討論番組でも(今もやっているのだろうか)、議論と言うよりは喧嘩みたいになってしまうことがあった。また、教育テレビで若者たちが(「若者たち」という表現に、自分の年齢を感じる・・・)あるテーマの下に討論する番組もやっているが、これを観ていても、話し合ってコンセンサスを得ることの難しさがわかる。

「イエスマンやおべっか使いは自己満足と慢心のみを助長しがちですが、疑う者は、新しい価値を生み出せます」

おべっか使い、で思い出すが、僕は実際に、良い情報しか聞きたくないという上司を見たことがある。こういう人の場合、たとえば、「現在は厳しい状況です」「売上の見通しは厳しい」とか、「厳しい」という表現は禁物だ。こういうことを言うと怒られて、何やっているんだ!と言われてしまう。すると、どうなるか。みんな怒られたくはない。だから、そう、誰もがその上司には、耳に快い情報しか報告しなくなるのだ。売上の見通しも、なんでもかんでも、過大に楽観的な数字ばかり報告する。あたかもうまくいっているかのように表現してしまう(ものは言いようだから)。そしてその結果は・・・第二次世界大戦で日本が敗戦したのと同じことだ。伝えられる戦果はすべて架空のもので、実際の戦力は壊滅状態。全てが行き詰まり、やがて組織は崩壊する。どの時代にも独裁者は存在してきた。古今東西、歴史を振り返れば、こうした事例には事欠かないのだが。

「グローバル経済の中で働いていると、日本人の先輩と欧米のやり方に板ばさみになることもあるでしょう。心配無用です。それはむしろ、チャンスです。それぞれに長所と短所があるのです。両方の最良を組み合わせられたとき、大きな価値を生み出すことができるでしょう」

なんだか、うまくまとめられてしまった・・・という感じがする。楽観的で前向きな考え方。正論だし、おっしゃるとおりです、としか言えない。でもやはり「上司に異を唱える→退職か異動になる」という経緯を見てきた人間としては、やはり会社では当分大人しくしてよう、と思ってしまうわけなのだ。「和をもって尊しとなす」と、誰かも言っていたではないか。

保身だ、とか、臆病者と言われるのは構わないと思っている。僕はこういう態度こそ「したたかさ」だと思うから。言いたいことを言わないでおく代わりに、こういうインターネット上で自己表現をしながら、精神のバランスは保たれるのかもしれない。

「刺し違え」の覚悟

2006-03-03 12:58:57 | 日々のこと
最近、日本航空社内の経営をめぐる騒動がニュースになっている。現在の社長に不満のある上級社員たちが、社長の退任を求めて行動を起こしたという出来事。不満を持つメンバーたちの署名入り文書を作成したらしい。まさに「連判状」。最終的には、当初辞めるつもりはないという態度だった現社長も、六月で辞任することになったそうだ。

部外者としては、なんとも見苦しい話だなあと思うわけだが、実際にはこういう内紛はどこでも起こっている。ただ、JALは大会社なのでニュースになってしまっただけのこと。ということで、今日は僕の勤める職場でのケース。まだこうやって文字として記すことがためらわれるくらい最近の、僕にとっては生々しい出来事。

まず、自分の職場を説明しておくと、社員は部署長以下十人から構成されていて、他に派遣社員を二人お願いしている。僕は所属長に次ぐ立場。同僚はほとんど女性。比較的人事異動も少なく平穏に推移してきた環境だったが、昨年夏、それまでの男性の所属長が異動になり、新たに女性の上司が赴任してきてから、大きく動揺し始めた。

この新しい上司は、仕事の進め方を大きく変えた。僕の立場からすれば、そのやり方が「良い」のか「悪い」のかはわからない。会社という利潤追求の組織であるから、その最終的な利潤という目標を実現できるのならば、どんなやり方であれ「良い」も「悪い」もないだろうから。結果がすべてなのだ。もちろん、同じように利益を得るにしても、近道や遠回りといった違いはある。結果を得るための効率の違いだ。今考えると、この点で、この新しい上司には課題があったのかもしれない。

この女性上司が赴任して、新しい考え方での指揮が始まると、それまで前の上司の下で働いていたスタッフ、とくに女性のスタッフは一斉に反発した。「やってられない」と。もちろん、表立って声を上げるなんてありえなかった。上司としては「私がこうすると決めたのだから、当然従ってください」という絶対的立場。彼女の出す指示はみな、ある意味、正論というか、建前としては間違っていないので、「それは間違っています」と言えないのだ。

問題は僕の態度なのだけれども、みんなのこういう反発する気持ちはよくわかっていた。だから、意見をうまく代弁して、もっと彼女に伝えるべきだったかもしれない。でも、ここは会社なのだ。上司が「こう」と決めたら、それが正しかろうと間違っていようと、それを遂行するしかない。組織というのは、そういうふうにして動いていくと僕は考えている。みんなが自分の都合で好き勝手をしていたら、組織としての仕事はできなくなる。でも、部下たちの気持ちも理解できるから、所属長から「みんなに、こうしてもらうよう指示してください」などと指令がでると、どうしようかなあって思ってしまう。きっとみんな嫌がるだろうなあ、と想像する。でもそれを伝えなくては、その仕事が始まらない。結局こんなふうに言う:「大変になるのは申し訳ないけど、○○さん(所属長)はこういう希望なので、その通りお願いします」

こんな状況がしばらく続いた。みんなストレスが溜まっていたに違いない。嫌々やらされる仕事。後輩たちは僕にも質問してきた:「どうして平気なんですか」「僕も大変だとは思うけど、世の中にはいろいろな人がいて、いろいろなやり方があるから。上司もいろいろだし、それをいちいち気にしていられない。長くて三年くらいで上司なんて変わるのだから、もし仮に大変だと思っても、頭を低くして嵐を避けて、じっとしてやり過ごせばいいんだよ」

当然のことだが、こういう環境では仕事の中身にも影響が出る。士気が上がらない。もちろん、サボタージュなどしているわけではない。でも、売上が上がらない。取引先ともなぜかうまく物事が進まない。

そしてスタッフたちは最終手段を行使し始めた、つまり、みんな次々にこの職場を去っていった。慣れた仕事と慣れたメンバーでやってきた仕事だが、こういう環境に変わってしまっては、嫌々無理して続ける意味がない、と考えたのだった。まず、この人は男性だったのだけれども、一人が社内募集による異動で職場を去った。次に今年の一月、一人退職した。そして二月、社員一名、派遣社員一名が退職した。さらに、今月いっぱいでさらに社員一人と派遣社員一人が辞めてしまう。また、今月から社員二人に対し異動の辞令が交付された。少なくともその一人は、異動の希望を出していたようだ。

このような人材流出の事態となると、所属長の資質が疑問視されてくる。そして、これは本人はしばらく前から決めていたようだが、上司も退職することになった。

もちろんみんな、上司自身も含めて、辞職の理由を「職場の人間関係が嫌になったから」などとは言わない。健康上の理由、家の都合などを挙げて退職する。でも、会社だって鈍感ではない。こういう内部事情は漏れていてわかっているようだ。先日、なんと、わざわざ社長自身が職場を訪れて、こういう混乱について一種のお詫びをし、新たな上司とともにがんばって欲しいことを述べた。

結果的に、上司は退職というかたちで職場を去った。しかし、不満を持っていたメンバーもまたこの職場を去った。僕はこの経緯を見ていて、「刺し違えた」という言葉を思い出してしまう。会社に対する不平を明らかにするのはかまわない。しかしそのためには、自分自身の現在の地位も捨て去る覚悟が必要だ。相手を切りつけるためには、自分も切られてしまう覚悟がないとできないのだ。JALの経緯を見て欲しい。社長は確かに退任するが、社長退任を要求したメンバーだって必ず配置転換がなされているはずだから。

約半年前にいた十二人のメンバーのうち、今でもいるのは僕を含めて三名のみになる。新入社員が四人配属になり、残りは現在欠員。その新入社員のうち、一人は新しい所属長だ。マネージャー級の資格で先月入社されたばかり。また新しい上司とのお付き合いが始まる。