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A Diary

本と音楽についてのメモ

関係各位

2007-04-06 15:13:39 | 英詩
■サイモン・アーミテージ編 『ショート&スイート 101の超短編詩』
Simon Armitage(ed.) Short and Sweet - 101 Very Short Poems (Faber, 1999)

ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』の舞台はイギリスで、登場する人々は普通に耳にするような英語を話す。しかし「偉大な兄弟」が率いる全体主義政権は、思想統制を進めるために旧来の英語(旧語法…オールド・スピーク)から新しい英語(新語法…ニュー・スピーク)へと言語の改革していることが描かれている。その目的は、全体主義的な発想にそぐわない不必要な語を廃棄すること、つまり、「正義」「自由」「道徳」といった単語を無くすことにあり、さらに、そのような思考や発想そのものさえをも消し去ることにあるという。『一九八四年』の舞台は西暦1984年に設定されているが、新語法は2050年頃の完成にむけて着々と準備が続けれており、今や「新語法こそ年毎に語彙が減っていく世界唯一の言語」なのだと彼らは表明している。

でも、「年毎に単語は漸減していくし、意識の範囲も縮小していくのだ」というふうに、単純にうまくいくものだろうか。語彙が減れば人間の思考範囲も小さくなるという、シンプルな比例関係は成り立たないような気がする。少ない言葉数でも、含蓄に富んだ表現とか、ニュアンスに溢れる表現というものがあったりするのだから。『一九八四年』の全体主義政権は、言葉の持つこのような、微妙な、人間的な部分も抹殺することで、人間の発想とか人間性そのものを抹殺しようとしているが、よく読んでみると、彼らが推し進めるニュー・スピークもまた、こういう「言外の意」みたいなところに依存しているところもある。

言葉の数が少なくても味わいに富んだ表現があるのだということを観察するには、この『ショート&スイート』という詩のアンソロジーを読んでみるのもいいかもしれない。この本は現代イギリスを代表する詩人の一人、サイモン・アーミテージが編んだもの。彼は「very short poems」という基準として、全体で十三行以下と定め、それを、行の多いもの、つまり十三行の詩から順に並べた。だからページが進むにつれてどんどん行の少ない作品となっていく。こういう調子なので、最後から二番目に紹介されているPeter Readingの詩はたった一行になる:

Found

These sleeping tablets may cause drowsiness.

「発見」

この睡眠薬は眠気を引き起こす恐れがあります。


この詩については、なるほど…なんて妙に納得したりしないで、「はぁ~!?」って思う反応が素直ではなかろうか。ボケとツッコミの漫才だったら、ここは思いっきり突っ込まれるところだろう。とまあ、ともかく、日本では俳句や川柳があって、このように短い韻文への抵抗はあんまりないし、理解しやすいのではないかと思う。逆に、長編詩のほうが馴染みがなくて、読むのが大変だったりする。イギリス文学史をたどれば、『ベオウルフ』も『カンタベリー物語』も『失楽園』もみんな韻文の形式なので、「大長編詩」というのは普通なのだろうが、僕にとってはできれば遠慮させていただきたいところ。(これもつきつめれば、ヨーロッパの「古典文学」つまり、ギリシャ・ローマ時代の文学のメインが長編詩だったことに行き着いてしまうけど。)もし日本にも、『万葉集』にあるような「長歌」のジャンルが生き残っていたら、もう少しはこういうものにも親しみが感じられたかもしれない。

* * * * *

To Whom It May Concern

This poem about ice cream
has nothing to do with government,
with riot, with any political scheame.

It is a poem about ice cream. You see?
About how you might stroll into a shop
and ask: One Strawberry Split. One Mivvi.

What did I tell you? No one will die.
No licking tongues will melt like candle wax.
This is a poem about ice cream. Do not cry.

Andrew Motion


「関係各位」

これはアイスクリームについての詩であって
政府、暴動、その他の政治的活動とは
一切関係がありません。

アイスクリームについての詩なんですよ、いいですか。
お店に立ち寄って、どんなふうに注文するかについての。
「イチゴアイスひとつ」とか「ミッヴィーアイスひとつ」とか。

わたしが何と言ったのかって? 誰も死なないのです。
舐める舌は、ロウソクのロウのようには溶けないのです。
これはアイスクリームについての詩なのです。泣かないように。

アンドルー・モーション


収録された作品のひとつ。アンドルー・モーションは現在の桂冠詩人だが、こういう親しみやすい詩を作っている。タイトルの「To Whom It May Concern」というフレーズは、よく、回覧書類の一番上に書いてあったりする決まり文句(うちの会社の文書にも書いてあったような気がする)。なんでこんなタイトルなの?という疑問は、この詩を読むにあたっては、考えるに値するポイントだろう。あと、七行目の「No one will die. 」という部分。誰だっていつかは死ぬという世の中の事実に反している…ということは、作者はどういうつもりで書いているのか。誰か特定の人々が「死なないだろう」という意味なのか。さらに、この詩は「アイスクリームについての詩」と主張しているわりには、アイスクリームとは縁がない「死」とか、「泣くな」なんてこと書いてある。ということは、「アイスクリームの詩」であるという宣言を素直に捉えない読み方をしてもいいかもしれない。

だから仮に、「You see?」なんて確かめられても反発し、この詩にはno、not、 nothingという語が目立つから、そういうところをひねくれて読んでみると、この詩はアイスクリームとは関係なく、むしろ政府や暴動に関係あるのかもしれない。そして、人間はみないずれ死ぬのであり、言葉(tongues=舌)のみが消え去らずに残り、みんな泣け、と語っているのかもしれない。アイスは甘くておいしいが、すぐに溶け出してしまうもろいもの。甘くも短い、はなかない人生の象徴…だろうか。そういえば、このアンソロジーのタイトルは「Short and Sweet」だ。

* * * * *

今回のブログの最後には、101編収められたこの詩集の、101番目、つまり一番最後の詩を紹介したい。Don Patersonによる次のような詩。じっくりご鑑賞いただきたい。ちなみに、どんなに目を凝らしても詩のタイトルだけしか見つからないかもしれないが、別に僕がパソコンに入力し忘れたわけではない。

On Going to Meet a Zen Master in the Kyushu Mountains and Not Finding Him





「禅師を尋ねて九州山脈に行き、その彼が見つからなかったとき」








忙しいときに思い出す詩

2006-12-19 00:43:49 | 英詩
師走。なんともあわただしい季節。忙しいというときの「忙」の字は、「心を亡くす」と書くから云々・・・という説明を何かで読んだことがある。忙しくしていると失われてしまうもの。ウィリアム・ヘンリー・デイヴィスの詩「Leisure」はそのあたりの心情を表現している。

「Leisure」は有名な詩で(1995年のBBCによる人気詩投票だと上位100位中14位、その後のクラシックFMの人気詩投票では、上位100位中11位)、とくに最初のフレーズ(最初の2行)が折々に登場する。

* * * * *

Leisure

What is this life if, full of care,
We have no time to stand and stare?

No time to stand beneath the boughs,
And stare as long as sheep and cows:

No time to see, when woods we pass,
Where squirrels hide their nuts in grass:

No time to see, in broad daylight,
Streams full of stars, like skies at night:

No time to turn at Beauty's glance,
And watch her feet, how they can dance:

No time to wait till her mouth can
Enrich that smile her eyes began?

A poor life this if, full of care,
We have no time to stand and stare

W. H. Davies (1871-1940)


「ゆとりある暮らし」

もし、気にかけることが多すぎて、立ち止まり、じっと見つめていられる時間がなかったら、
この人生はいったい何なのだろう。

木の枝の下に立ち
好きなだけ羊や牛を眺めていられる時間がなかったとしたら。

木々の間を進み
リスが木の実を草に隠すさまに気がつく時間がなかったとしたら。

広々とした太陽の光のもと
夜空に輝く星のような、小川のきらめきに気がつく時間がなかったとしたら。

美しい人の視線に振り返り
その足元と、その踊り動くさまに見とれる時間がなかったとしたら。

彼女の目元の笑みが
その口元へと豊かに広がっていくまで、待っていられる時間がなかったとしたら。

もし、気にかけることが多すぎて、立ち止まり、じっと見つめていられる時間がなかったら、
この人生はきっとつまらないことだろう。

W.H.デイヴィス

* * * * *

詩人W.H.デイヴィスの人生、とくにその前半生は、まさに波乱万丈という表現がふさわしい。ウェールズのニューポート出身で、父親は鉄の鋳型職人。この父親は彼が2歳のときに亡くなり、母親が再婚したため、彼と兄弟たちは祖父母のもとで育てられた。学校を卒業後、額縁作りの職人見習いとなったが、これもしばらく経って辞め、ロンドン、ブリストルと移り住み、1893年にアメリカへ渡った。

幸運を掴むべく渡ったアメリカではあったが、この地では、ほとんど浮浪者同然の生活を送ることになった。短期労働、季節労働に従事する一方、マラリアにかかって死にかけたり、武装した強盗に襲われたこともあった。その後クロンダイクでのゴールドラッシュに参加しようとしたが、列車に飛び乗ろうとして乗りそこねて轢かれてしまい、片足を失ってしまった。

これを転機にイギリスに戻り、ロンドンにて、貧しい人々のための寄宿舎に暮らしながら、詩作と小説執筆を始めた。やがて彼の詩は徐々に注目を集めるようになり、ジョージ・バーナード・ショーやエドワード・トマスらから認められるようになった。

彼は自伝、その名も『Autobiography of a Super-Tramp』(『超放浪生活者の自伝』という感じかな)という本を著している。スーパートランプ・・・超放浪生活者。ただのトランプではなくて、スーパートランプ。ただし、この自伝には多少の誇張があるそうだ。

海への熱い想い

2006-09-11 16:24:50 | 英詩
海への熱い想い・・・こう書くと、なんだか演歌とか、「若大将」と称される歌手及びその歌謡曲とか、そういうイメージがしてしまうが(僕だけ?)、海をあれこれ謳いあげた詩人による、これまたとてもとても有名な詩。声に出して読んでみると気がつくが、リズムがなかなか心地よい。

* * * * *

Sea-Fever

I must go down to the seas again, to the lonely sea and the sky,
And all I ask is a tall ship and a star to steer her by,
And the wheel's kick and the wind's song and the white sail's shaking,
And a gray mist on the sea's face, and a gray dawn breaking.

I must go down to the seas again, for the call of the running tide
Is a wild call and a clear call that may not be denied;
And all I ask is a windy day with the white clouds flying,
And the flung spray and the blown spume, and the sea-gulls crying.

I must go down to the seas again, to the vagrant gypsy life,
To the gull's way and the whale's way, where the wind's like a whetted knife;
And all I ask is a merry yarn from a laughing fellow-rover,
And quiet sleep and a sweet dream when the long trick's over.

John Masefield (1878-1967)


「海への熱き想い」

もういちど海へ行かなくては、あの孤独な海と空のもとへ
一隻の帆船とその舵を操るための星、それだけあればいい
舵輪は跳ね上がり、風は歌いだし、白いセイルがはためく
そして海面には灰色の霧がかかり、灰色の夜明けが始まる

もういちど海へ行かなくては、潮の流れに誘われて
その誘惑は激しくも清澄で、断ち切りようがない
白い雲が空を流れていく風の日、それだけあればいい
はねかかる水しぶきと褐色の泡沫、そしてかもめの鳴き声

もういちど海へ行かなくては、さすらいのジプシーの暮らしへ
かもめの行く道と鯨の進む道へ、そこでは鋭いナイフのような風がふく
愉快な放浪仲間が語るたのしい冒険談、それだけあればいい
長い交代勤務が終われば、あとは静かな眠りと安らかな夢

ジョン・メイスフィールド

* * * * *

ところで、最後の連に「the whale's way」というフレーズが出てくる。ここを読んだとき、なんだかこういう表現とどこかで出会ったなあと思ったのだが、それはかつて勉強させられた古英語のkenning(代称)だった。つまりあのwhale-road(鯨の道)や、 swan-road(白鳥の道)が「海」を表すとかなんとか、ああいうややこしい表現。メイスフィールドがこの辺りを意識しているのかどうかわからない。誰か調べてください。それにしても、Old Englishなんてやむを得ず勉強させられたけど、ちんぷんかんぷんだったなあと思い出す。

あと、最後の行に「the long trick's over」とあるが、この場合の「trick's」は、僕の手元のアンソロジーだと「a seaman's spell of duty」と注が書いてあるので、まあ、そういうことなんだろう。(Macmillan Anthologies of English Literature Vol5 The Twentieth Century, ed. Neil McEwan, Macmillan, 1989・・・学生のときに半ば強制的に買わされた五巻組のアンソロジー。重くて邪魔で、こんなの持って授業に行くの嫌だなと思っていたが、今になって、やっとこうやって役に立つなんてこともある。)

そういえば、僕も高校までは海沿いの街で暮らしていた。家から毎日太平洋を見て育った。(ただし、日焼けした色黒で精悍なイメージとは程遠い。ご承知のとおり文化部系だ。)夏には近くの海水浴場へよく泳ぎに行ったし、父親と一緒に何度も魚釣りに行った。砂浜を歩いて靴に砂が入ってしまう、あの感触。ちょっと懐かしい。

道路A30での瞑想

2006-08-31 22:06:12 | 英詩
最近BBCのRadio4をインターネットで聴いていると(たいてい聴きつつ他のことをしているのだが)、ジョン・ベッチマン(John Betjeman・・・ベッチェマンと書くべき?)の名前が頻出する。注意して聞いていたら、ちょうど生誕100年を迎えるということで、この詩人の特集番組が組まれていたのだった。

BBCのこの特集のウェブサイトで、彼の詩をいくつか聴けるのだが、僕が個人的におもしろいとおもったのがこれ。題して「A30での瞑想」・・・A30とは、道路の番号のこと。イギリスではA1とかA303とか、そういうふうに番号付けされている。ちなみに、B275 とかM25 とか、Bで始まるものと、Mで始まるものもある。BはAよりも交通量の少ない道路のこと。Mは高速道路(motorway)。日本だと国道何号線とか、そういう感じ。だから「国道30号線での瞑想」という具合に意訳したほうが、イメージは伝わりやすいかもしれない。

日本でも国道1号線とか、有名な道路はどこからどっち方面に向かうとか知られている。とくに車を運転する人ならそうだろう。イギリスでも同じで、たとえばM25と言えば、ロンドンの周りを大きくぐるっと一回りしている環状道路のこと。そして、このA30は、ロンドンの南西からずっとソールズベリーとか、エクセターとか、西のほうに向かう道路。一部は高速道路(M)に昇格しているとのこと。

* * * * *

Meditation on the A30

A man on his own in a car
Is revenging himself on his wife;
He open the throttle and bubbles with dottle
and puffs at his pitiful life

She's losing her looks very fast,
she loses her temper all day;
that lorry won't let me get past,
this Mini is blocking my way.

"Why can't you step on it and shift her!
I can't go on crawling like this!
At breakfast she said that she wished I was dead-
Thank heavens we don't have to kiss.

"I'd like a nice blonde on my knee
And one who won't argue or nag.
Who dares to come hooting at me?
I only give way to a Jag.

"You're barmy or plastered, I'll pass you, you bastard-
I will overtake you. I will!"
As he clenches his pipe, his moment is ripe
And the corner's accepting its kill.

John Betjeman(1906-1984)


「道路A30での瞑想」

一人の男が車に乗って
妻に仕返しをしようとしている。
男はスロットルを開き、わずかな吸いさしの残るパイプに
みじめな生活の思いをくゆらせる。

あいつは急にふけこんできたな。
あいつは一日ずっと怒っていやがった。
あのトラックはおれを追い抜かせようとさせないし、
このミニは道をふさぎやがる。

なんでもっと急がないんだ、あいつを出し抜けよ。
こんなチンタラ走っていられないんだよ。
朝メシのとき、あいつ、おれなんか死ねって言ってたな。
おかげでキスをしなくて済んで助かったよ。

金髪のかわいいやつをひざに乗せるんだ、
文句を言ったり、うるさく言うような女はうんざり。
おれさまにクラクションを鳴らすのは誰だ。
おれはジャガーにしか道を譲らないことにしているんだ。

本気か、頭おかしいんじゃないか。抜かしてやる、ばかものめが。
絶対おまえを抜いてみせる、絶対だぞ!
男はパイプをぐっと噛み、彼の機は熟した。
そして、カーブがその死を受け止めることになる。

ジョン・ベッチマン(1906-1984)

* * * * *

日本語訳は、こんな内容の詩なんだね、という参考程度にしていただくこととして、原文の韻のおもしろさを楽しんでもらえればといいと思う。

彼は1972年から亡くなる1984年まで桂冠詩人(Poet Laureate)だった。でも、人気の秘密はどうやらこういう肩書きだけではないらしい。今回のこの詩もそうだけど、まず、こういうユーモアのあるユニークな作風が好まれた。さらに、1960年代からテレビ番組に頻繁に登場していたことから、名前も顔も覚えられて、多くの人に親しまれたことにあるようだ。日本ではあんまり知られていないのと対照的。

※BBC Radio 4のベッチマン特集:
http://www.bbc.co.uk/radio4/arts/betjeman_season.shtml

アドルストロップ駅の鳥たち

2006-08-17 13:01:29 | 英詩
乗っていた電車が突然速度を落とし停まってしまう。それまで鳴り響いていた車輪がレールを走っていく音もやんでしまい、妙な静寂が車内を包みこむ。どうしたんだろう、ここはいったいどこなんだろう・・・僕たちは窓の外に目を向ける。そして、エドワード・トマスもまた外を見て、とある駅名を見つけたのだった。その名前は「アドルストロップ」

* * * * *


ADLESTROP

Yes. I remember Adlestrop —
The name, because one afternoon
Of heat the express-train drew up there
Unwontedly. It was late June.

The steam hissed. Someone cleared his throat.
No one left and no one came
On the bare platform. What I saw
Was Adlestrop — only the name

And willows, willow-herb, and grass,
And meadowsweet, and haycocks dry,
No whit less still and lonely fair
Than the high cloudlets in the sky.

And for that minute a blackbird sang
Close by, and round him, mistier,
Farther and farther, all the birds
Of Oxfordshire and Gloucestershire.

Edward Thomas (1878-1917)


* * * * *

「アドルストロップ」

そう、覚えている、アドルストロップという名前
乗っていた急行列車が、なぜかその駅で停まってしまったから。
六月も終わりの頃の、ある暑い日の午後のこと。

蒸気がしゅーっと音を立てた。誰かが咳払いをした。
がらんとしたプラットフォームには、
降りる人もいなかったし、やってくる人もいなかった。
アドルストロップという名前だけが見えた。

ヤナギやヤナギラン、芝にシモツケソウ、
そして乾いた干草の山。
空高く浮かぶ雲々のように、
すべてが静止した、誰もいない美しい光景。

そのとき、近くにいた一羽の鳥が鳴きだして、
周りの鳥たちも歌いだした。そして、じんわりと、
そのさえずりは、次から次へと広がっていった、
オクスフォードシャーとグロスターシャーの、全ての鳥たちに。

* * * * *

僕の訳は参考程度に(間違っているかもしれないし)。むしろ原文の詩自体をゆっくり、何回も読んで堪能してもらえればいいと思う。先日、イェイツの「イニスフリーの湖島」を取り上げたけれども、これもまた超有名な詩。アドルストロップというのはコッツウォルズのほうにある小さな美しい村。ただし、現在この村に駅はない。もうずっと前に廃駅となったそうだ。鉄道自体は幹線なので残っていて、今では村のはずれをその線路が走っているとのこと。

きっと静かな車内だったのだ。アドルストロップに停まったとき、それまでの走行音がやんでしまったので、その車内の静寂ぶりはますます際立っていたのだろう。蒸気機関車の立てる蒸気の音や、他人の咳払いさえもがはっきり聞こえてくる。窓の外には、田舎の駅の平和な光景。そんな静けさを一羽の鳥のさえずりが破った。そして、鳥の歌声はどんどん広まっていった・・・。ある暑い六月の午後のこと。イギリスで六月と言えば、もう十分に夏という印象。

まず、車内(日本の列車の車内ではなくて、向こうの列車のコンパートメントを想像するべき)という狭い空間があって、そこから、エドワード・トマスは誰もいないのどかな駅の様子を眺めている。やがて、小さな雲の浮かんでいる青空を見上げたあと、鳥の歌声に気がつく。そして、その狭い空間から、トマスの意識はオクスフォードシャーとグロスターシャー全体へとどんどん広がり、高まっていく。こういうふうに、詩の中の世界がどんどん大きく広がっていくところが僕は好きだと思う。声に出して読むと、だんだん高揚していく感じがある。すてきな詩だ。

イニスフリーの湖島

2006-08-08 13:48:56 | 英詩
The Lake Isle of Innisfree

I will arise and go now, and go to Innisfree,
And a small cabin build there, of clay and wattles made;
Nine bean rows will I have there, a hive for the honey bee,
And live alone in the bee-loud glade.

And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow,
Dropping from the veils of the morning to where the cricket sings;
There midnight 's all a glimmer, and noon a purple glow,
And evening full of the linnet's wings.

I will arise and go now, for always night and day
I hear lake water lapping with low sounds by the shore;
While I stand on the roadway, or on the pavements gray,
I hear it in the deep heart's core.

William Butler Yeats

* * * * *

ロンドンに移り住んだイェイツが故郷アイルランドの湖に浮かぶ島を思い出しながら詠みあげた詩。このときイェイツは23歳の頃。イニスフリーとは、彼の故郷スライゴー地方の湖(ロッホ・ギル)に浮かぶ小島。ここに質素な小屋を建てて、ミツバチの羽音を聞きながら暮らしたい、美しい自然に囲まれて平安に暮らしたい・・・そういう気持ちを、ロンドンの街中で思い出しているという詩。あわただしい都会に生活する現代人には、とても共感できるものがあると思う。

大変興味深いことに、この詩はイェイツの肉声で堪能することができる。録音はBBCが1932年に収録したもの。(イェイツは1865年生まれなので、67歳のときの声。)彼自身による詩の簡単な説明のあと、まさに歌うように、朗々とこの詩を読み上げる。ウェブサイトの説明にもあるが、もっと普通の会話のように朗読するのが最近の通例なので、こういう読み方はちょっと違和感があるかもしれない。

また、イェイツがこの詩の中の「purple glow」という部分を親切にも説明してくれている。それによれば、赤紫色の花を咲かせるheatherという野草が湖水に映っている様子、とのことだ。(ただし、heatherはその種の野草の総称。)他にも、ロンドンの繁華街ストランドで、水を噴き上げてボールを浮かせているショーウィンドーを見たとき、この詩の気持ちがわいてきたこととか、作者ならではの説明をしてくれている。

* * * * *

朝の通勤電車に詰め込まれるとき、一時間ばかりの昼休みさえもが楽しみに思えるとき、たった5分電車が遅れただけでイライラしてくるようなとき・・・。スーパーで買い物をして、テレビを観て、ご飯を食べて・・・そういう日常の生活。無理だとわかっていても、晴耕雨読という言葉のような自然に囲まれた生活に憧れてしまう。周囲の人は、軽井沢や佐久にでも引っ越して、新幹線通勤でもしたらと僕に言うが、そういうのもまんざらではないかもと思ってしまう。


※イェイツの肉声が聴けるサイト:
http://www.poetryarchive.org/poetryarchive/singlePoet.do?poetId=1688

イギリスの人気詩上位100選

2006-05-10 20:42:59 | 英詩
■The Nation's Favourite Poems (1996, BBC Worldwide Limited)

BBCがかつて放送していたテレビ番組に「The Bookworm」というのがあったらしい。そしてその番組で自分の好きな詩について人気投票を行い、その結果をまとめたアンソロジーがこの一冊。かつて向こうに住んでいたときに、「どういう詩に人気があるのだろう」という興味で購入したもの。前書きに「the nation's preferred one hundred poems seem a reasonably balanced and representative selection of the best English verse」と書いてあるとおり、イギリスの詩の有名どころが一挙集結という感じの本。ペイパーバックで気軽に楽しめるのがいい。値段も5ポンド99ペンスと、この手の本にしてはまあまあこなれた値段。

人気順位の高かった100の詩のうち、そのほとんどがもう亡くなっている詩人の作品。ちなみに一位はラドヤード・キプリングの「If-」だった。そしてもちろん、テニスンやワーズワース、キーツ、イェイツなど大御所たちはちゃんと入っている。僕がたまたま好きなアンドルー・マーヴェルの有名な詩「To His Coy Mistress」は16位だった。

とても興味深いのは現代の詩人たちの人気について。現在でも存命の詩人の作品で一番人気があったのは、ジェニー・ジョセフの有名な詩。テッド・ヒューズ(71位)やシェイマス・ヒーニー(98位)といった大御所を押しのけて、彼女の「Warning」は堂々の22位。実際、この詩は読んでみるととてもおもいしろい。人気の高いのがよくわかる。

Warning (Jenny Joseph)

When I am an old woman I shall wear purple
With a red hat which doesn't go, and doesn't suit me.
And I shall spend my pension on brandy and summer gloves
And satin sandles, and say we've no money for butter.
I shall sit down on the pavement when I'm tired
And gobble up samples in shops and press alarm bells
And run my stick along the public railings
And make up for the sobriety of my youth.
I shall go out in my slippers in the rain
And pick flowers in other people's gardens
And learn to spit.

You can wear terrible shirts and grow more fat
And eat three pounds of sausages at a go
Or only bread and pickle for a week
And hoard pens and pencils and beermats and things in boxes.

But now we must have clothes that keep us dry
And pay our rent and not swear in the street
And set a good example for the children.
We must have friends to dinner and read the papers.

But maybe I ought to practice a little now?
So people who know me are not too shocked and surprised
When suddenly I am old, and start to wear purple.

紫色とかのけばけばしい服を着て、試食しまくり、他人の庭の花を摘み取るような、そんな老後に備えて、僕も今から少しずつそういう練習をしておいたほうがいいかもしれない。詩にあるとおり、突然そういうことをしだすと周囲の人が驚いてしまうから。

この日記が長くなってしまうからこのくらいで・・・とは思うのだが、どうしても詩をもうひとつ紹介したいという誘惑に勝てない。20世紀の詩の中で、二番目に人気があったのは(子供向けは除く)、ウェンディー・コープの「Bloody Men」だった(50位)。やっぱり読んでみるととてもおもしろい。

Bloody Men (Wendy Cope)

Bloody men are like bloody buses-
You wait for about a year
And as soon as one approaches your stop
Two or three others appear.

You look at them flashing their indicators,
Offering you a ride
You're trying to read the destinations,
You haven't much time to decide.

If you make a mistake, there is no turning back.
Jump off, and you'll stand there and gaze
While the cars and the taxis and lorries go by
And the minutes, the hours, the days.

これは短いから訳せそうだ。でも僕では詩的には翻訳できないので、あしからず。

「ひどい男」

男とはひどいものだ。バスみたいに。
一年間も待ってなくてはならないから。
そしてやっと一台が停留所に近づいてくると、
二台目、三台目が続けて現れる。

バスはウィンカーを点滅させながら、
あなたを乗せようと近づいてくる。
行き先の表示を見ようと、目をこらしてみるが、
どうするか、もう決めかねている時間はない。

もし間違って乗ってしまったら、引き返せなくなる。
さあ始めよう。あなたはそこに立ち、
車やタクシーやトラックが通り過ぎるのをじっと見つめることになる、
何分も、何時間も、何日も。

経歴を見たところ、二人ともオクスフォードのセント・ヒルダ・カレッジ(St Hilda's College・・・数少ない女性のカレッジのひとつ)出身の才媛だった。それにしても現代の人気詩人が二人とも女性であるのは興味深い点。イギリス文学史を勉強した人なら思い返してみるとわかるが、19世紀以前で女性の詩人というのはとても少ない。逆に20世紀以降、とくに戦後、女性詩人の存在感はぐっと増してくる。この傾向は現代のイギリス小説作家に女性が多いのと関係しているのかもしれない。