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A Diary

本と音楽についてのメモ

平均律第二巻第二十二番

2008-11-01 13:06:42 | バッハの音楽
■J.S.バッハ 『平均律クラヴィーア曲集 第二巻』より
第22番 BWV891 変ロ短調


 平均律の演奏は誰がおススメか。いろいろ聴いて自分が好きなものを選べばいいのだけど、一般的にはソ連の名ピアニスト、リヒテルの名前がよく挙がる。でも、彼の演奏は今のところ僕にとってはあまり好きなほうに入らない。しっくりいかない一番の問題は演奏のテンポで、もっと速く演奏すればいいのに!と思ってしまう曲がたびたびある。(でも、一方で超絶的に速く弾きこなしてしまう曲も、もちろんある。彼がその気になったときのスピードは神業に等しい。)

 こんなふうに感じるのは僕がせっかちなせいだろうか。そして今回取り上げた『第二巻』22番のフーガは技巧的にも大変有名なものなのだけど、リヒテルはこれを超安全運転スピードで演奏する。まあ確かに、3/2拍子で一見サラバンドみたいな楽譜だから、スローな曲のように譜面上は感じられなくもないが。でも、じゃんじゃか弾いたほうが絶対にいいと思うのだけど。極端に言えば、この人みたいに:

http://www.youtube.com/watch?v=Q5Mv3T3ANjY

 さすがグレン・グールド。ものすごいスピード。歌っているのも、ここまでくれば素敵だ。

 ところでこの22番はフーガばかり注目が集まりがちだけど、プレリュードもとてもいい曲だ。個人的には超絶フーガよりもプレリュードのほうが味わい深くて聴きがいがあると思う。そして興味深いことに、『第一巻』のほうの22番(つまり同じ変ロ単調)のプレリュードのテーマがそのまま登場する。バッハが第一巻と第二巻をばらばらに書いたのではなく、第二巻を仕上げる際には前者をかなり意識していたことの何よりの証左になっている。そしてフーガもまた、二部音符と四分音符ばかりが目立つ、似たようなテイストで仕上げられていることに気がつく。

 ゆっくり弾きたい気持ちはわからなくもない。深みのある音楽であることは、本当に間違いないのだから。僕もあと何十年かすれば、リヒテルの妙味に目覚めるのかもしれない。

平均律第一巻第八番よりフーガ

2008-10-03 13:32:18 | バッハの音楽
■J.S.バッハ 『平均律クラヴィーア曲集 第一巻』より
第8番 BWV853 嬰ニ短調(変ホ短調)のフーガ


 好きな曲は何回も繰り返し聴いてしまうのだけど、この曲も、本当にもう数え切れないくらい幾度も聴いている一曲。なんといっても、フーガの主題が抜群にいい。格調高く凛とした姿勢を保ちつつも、哀愁とか、ノスタルジックな色調が伴って、何とも深みのあるテーマ。この味わい深い主題が、(フーガなので当然だが)何回も繰り返されていき、美しい高揚感をもたらしながら曲は終わる。

 美しいメロディー主題を純粋に聴き楽しめばいいのだけれど、よくよく聴くとこのフーガは意外と複雑な、フーガとしてはかなり気合の入った構成をしている。まずストレッタ(主題が終わらないうちに、他声部でまた主題が始まること)がある。次に、主題が反行形(上下が転回した形)で現れる。そしてその反行形もストレッタする。さらに二倍の音価に拡げられた拡大形が現れて、それが演奏される間に元の音価の主題が二回繰り返される。

 また、ここまでくるともう楽譜を見ながら聴かないとわからないのだが、主題が変形された状態で演奏される部分がある。具体的には24小節目からと77小節目からの中声部がそうで、さらにこの変形主題が反行形となって現れる箇所もある(47小節目の高声部)。いずれにせよ、美しくメロディー的な主題が、こんなにも複雑に処理された、かなり技巧的なフーガになっていることがわかる。

 しかも、このフーガは四声部ではなく三声部なのだ。こんなにも非常に技巧的なフーガを三声部でやってのけてしまうところがまたすごい。これはつまり、この曲には余計な音符が少ないということでもあって、77小節目からのように高声部で拡大形を、中声部で変形主題を、そして低声部で元々の主題を演奏する――という具合に、フーガのテーマとそのバリエーションだけで十分美しい音楽が成立するように設計されている。

 この曲のしみじみとした趣を感じされる根拠のひとつとして、嬰ニ短調(変ホ短調)というユニークな調性も見逃せない。普段はあまり耳にしない調性だし、黒鍵がたくさん現れて演奏も当然難しくなる。(というか、楽譜が読みづらい。)バッハにとってもこういう調を使って作曲することはあまりなかったようで、このフーガは元々ニ短調(フラット一個)で作曲されたものと言われている。曲全体を半音上げて書き直すことで嬰ニ短調になったわけだが、個人的にはこれは正解だったと思う。家のピアノで試しにニ短調で主題を弾いてみると面白い。とたんに何だかありがちな、世俗的な響きになるのがわかる。たった半音なのに、こんなにも印象が違うのが音楽の興味深いところ。

 バッハのフーガといえば、なんだか宗教的というか、峻厳な倫理観を振りかざすようなイメージの曲が多くて(有名な「小フーガ」ト短調もそんな感じがする)、それはそれでいいのだけど、今回の平均律第一巻第八番のフーガは、もっと人間的な、実際の人間の感情に根ざした響きがする。それは、古語で言うところの「あはれなり」という印象に近いと僕には思われる。

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これから、ときどきこちらのブログには、好きなバッハの曲について書いていきたいと思っています。イギリス文学についてはもう一方のブログを見てください。