旅行に夢中です

今までの楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、困ったことを誰かに聞いて欲しいです。

韓国で初めて乗ったバス

2012年05月16日 | 旅行
 水原の民俗村の食堂で、韓国の義姪家族に放り出された私。身軽になって!(^^)!気楽に出口までの建物を、遠足の小学生に混じって見て回りました。3度目ソウルの時に娘と言った景福宮はチンプンカンプン(@_@)でしたが、この頃は韓国時代劇も見慣れていましたから、解説がなくてもそれなりに理解も出来、義姪家族が一緒ではないので結構楽しく歩きました。
 さて、帰りです。幸い出口にいたスタッフ(そう言えば韓服を着ていました)が日本語を話せたので、ソウルまで行きたいと話したら、水原行きのバス乗り場を教えてくれました。出発まで時間もあり、周りの韓国人が珍しそうに私を見ているのを感じましたが、話しかけて来ないし(当たり前か)、特に不安な態度もとらず(ホントは内心ビクビクだったの)ベンチで出発を待ちました。 ←これが乗ったバス。
 そして、韓国で初めて乗ったバスの中で、図々しくも寝てしまったのでした。水原駅までどのくらいの時間が掛かるのかわからなかったので、途中までは停留所を注意深く見ていたのですが、気付いたら大勢の人が降りていたので、そこがどこか確認しないまま思わず降りました。
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私と義姪の金銭感覚

2012年05月15日 | 旅行
 私には会いに来ないけど、主人には家族で醴泉(イエチョン)からソウルに会いに来るのは、実の叔父だから当然と言えば当然。欲しい物はあるかと聞いたら、ご主人が野球が趣味でファイテインのネックレス?を欲しがっているとのこと。私には全くなじみのない物で、しかも当時は売っているお店も商品も今と比べたら少なく、ネットで調べたり遠くのお店まで探しに行ったり本当に苦労しました。それでも彼が欲しがっている物と量は手に入りませんでした。そして、これの代金は結構な金額でしたから、「払います」と義姪は言ったのです。ですから、両替はこの代金を受け取れることを前提でしたのです。
 お土産はカレールー(韓国のカレーはおいしくないと、当時は言っていました)と子供のお菓子くらいでしたから、叔父として私の金銭感覚に見合う金額を、義姪と子供3人にを用意していました。ソウルに到着した日は食事に行きましたが、もちろん叔父(我が家のだんな)持ち。そして翌日は私を水原(スウォン)の民俗村に連れて行ってくれるはずでしたが、私はホテルの前で1時間待ちぼうけ(-_-;)。まあ、子供3人もいて時間通りに行動できないのは仕方ない(T_T)。
 私の金銭感覚では、民俗村までの高速料金も入村料もカルクッス(そうめん?)の代金も財布は開けませんでした。だって、韓国語わかりませんし、韓国人の義甥夫婦が付いているのに私がいちいち財布を開けてられませんから。彼にとっては「お金を出さない日本人のケチな義叔母」と思ったことでしょう。でも、子供達と一緒に歩いていましたから、風船やアイスクリームを買うときは財布を開けましたよ。 ←模擬結婚式   
 そして、彼のお母さんの家に行くので帰ると言います。私は一人でソウルに帰らなくてはなりません。もう少し民俗村にいたかったし、5回目の韓国ですから何とかなるだろうと義姪家族は帰す事にしました。義姪にファイテインのネックレス代を請求すると「払わなければならないの?と主人が言っている」と言うではありませんか。「ああ、そういうこと?」と逆らえませんでした。別れ際に、用意していたお小遣いを全部渡しました。私から離れて歩いていた彼は、初めて私の前にわざわざ来て、日本語で「ありがとうございます。気を付けて」と言いました。それまでは一言も話さなかったのに。
 実は義姪の家族がまだ4人だった頃に、日本の主人の実家で会ったことがありました。その頃は誰も韓国語を話せませんし、彼は居心地悪そうにしていましたが、私が韓国へ行けるようになったのだから、少しくらい愛想笑いくらいすればいいのに、怒っているみたいに見えました。
 身内のことですが、ドラマ以外で「韓国人の金銭感覚」を目の当たりにした気がしています。義姪はもちろん日本人です。ただ、元々主人と私の実家は親戚の付き合いや金銭感覚は違いましたから、彼女が独身の時はそれなりに理解出来ました。それが韓国に嫁いでから拍車を掛けたようで、感覚的には「財布の隅までひっくり返された」感じ。実際、財布はほとんど空でした。

 和○ちゃん、「お義叔母さんには無理だけど、叔父さんにはお小遣いはたくさんもらえると思ったのかと思うけれど、残念ながらあなたの叔父さんは、私が全部お膳立てしなければ、そんなことに気が利くタイプではないのよね~(^_^)v。叔父さんが結婚するまでお年玉ももらえなかったの、忘れたの?」あっかんべ~----。
 それ以来会っていません。
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韓国に嫁いだ義姪の話

2012年05月14日 | 旅行
 実は主人の姪が韓国に嫁いでいます。主人とさえも交流がなかったのですっかり忘れていましたが、「冬のソナタ」にはまった時に私から連絡しました。ところが、ドラマの結末を聞いてもはっきり答えません。彼女は韓国語があまりわからないので、テレビもドラマも見ていなかったのです。ご主人に聞いて伝言してくれたのは「ハッピーエンド」という事だけ。詳しいあらすじは全く不明のままでした。それでも結末を知らないと安心してドラマも見られない私にとって、彼女は心強い韓国の親戚の様に思えました。
 そんなにハマるつもりもなかった韓国ドラマでしたが、初めて韓国に行き、ドラマの話をする連れが出来たために、すっかりどっぷり韓国ドラマ漬けになりました。そうなると、身近になるのが韓国語。語学はそばに話せる人がいないと上達はしないとの私の考えから、義姪を先生にしようと考え、物も送りましたし、FAXを購入できる金額のお金も送りました。
 でも、所詮は主人の姪、全くFAXは役に立たず、子供のおもちゃになってしまいました。
 4回の訪韓では、私には一度も会いに来なかった(ツアーだから来られても困ったけど)義姪でしたが、主人の出張に合わせては家族総出5人で会いに来ました。
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5回目ソウル

2012年05月11日 | 旅行
 4度目ソウルの新羅免税店で「冬のソナタ」キャンバス地トートバッグ(写真は後日アップします)を買いました。見本ではわかりませんでしたが、買った商品を見せられたとき「あれっ?縫い目から糸が出ているな~」とは思いました。3度目ソウルで悪徳眼鏡屋の経験がありましたが、よもや新羅ですから故意ではないと信じたい。お土産だし、韓国だし(失礼(*_*))、雑でも仕方ないかなぁ~と納得して日本で使い始めました。
 ところが、使うたびに1本2本と縫い目から糸が出てきて、とうとう何回も使わないうちに破けてしまいました。それでも韓国で買ってきた物を交換できるはずもなく、泣き寝入りすべく諦めたんです。
 そんな時、主人が韓国へ出張に行くと言いました。日程を聞くと最終日に「アンドレリュウ」(ちょっと変わったオランダのクラシックの楽団)の東京公演に行くことになっていたので、初めは主人の出張に同行するのは断りました。主人の航空券が届くと、お昼頃に羽田に到着するとのこと、(^_^;)・・・帰国してから東京フォーラムに直行すれば十分間に合います。
 9月、韓国に行くことに決めJTBで航空券の予約をしました。4回目ソウルから4ヶ月後の事です。この旅行は個人旅行なので、JAL航空券の単品は結構高く、ホテル付きのツアーの方が安かったかも知れません。現在29回の外旅行で、個人旅行はこれが最初で最後です。
 そして金浦空港に到着してびっくり。(@_@) 2度目ソウルでお世話になったガイドの安さんと会いました。名前を初ソウルのガイド閔さんと間違えてしまいましたが、声を掛けると私のことは記憶にあってようで、気軽に写真を撮ってくれました。
 主人が空港で写真はまずい、と言っていましたが、安さんが「大丈夫です」と言ってくれたので、OKでした。彼女は私の時と同じようにKNTのお客さんを迎えに来たそうです。
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いっちゃん海外デビュー

2012年05月10日 | 旅行
 初めて海外に出るというのに、いっちゃんは羽田空港からの出国でした。当時の羽田空港は地方の空港のようで、免税店はあるもののまるで売店。ゆっくりお茶をする場所もありませんでした。搭乗口ったらあっという間に着いてしまいます。定刻の2時間前集合の旅行で、いったいどこで時間をつぶせばいいの?
 これでは海外旅行の興奮を味わえるわけもなく、デビューのいっちゃんには物足りなかったと思います。それでもヨンジュンファンのいっちゃんはBOFへ行ったときに鳥肌がたったと言ってくれたので、それだけで十分。 ←ガイドの金さんといっちゃん     
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