旅行に夢中です

今までの楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、困ったことを誰かに聞いて欲しいです。

いつもの、出発前のハプニング

2011年09月30日 | 旅行
 この時のハプニングは、ちょっと嬉しいハプニング。 
 オーストラリアへ出かけることを決め、出発直前に、「懸賞が当たり、グアムへご招待」のお知らせが来ました。一人だけ招待で、同行者は正規のツアー料金を負担しなければなりません。その料金と来たら、5月の平日に最低のプ○ザホテルに宿泊の3泊4日、しかも深夜出発早朝帰国にもかかわらず、69800円ときたもんだ(@_@)!旅行会社のカタログを見ても39800円で行けるツアーなので、とても誰かを誘える値段ではありません。まだ海外デビューが出来ていない私は、懸賞の権利を保留したままオーストラリアに出かけ、初めての娘と二人旅の自己評価を待つことにしまいた。
 家族以外の周囲の反応は「懸賞なんて当たるはずがない」だの「旅行の懸賞が当たるなんてインチキくさい」だの「一人でグアム?とんでもない」とマイナスの反応ばかりで、「よかったね~、行っておいで」と言う人は皆無でした。懸賞に当たることもあり得ないと思っている人ばかりですし、一人で海外旅行も心配を通り越して無理と思えたようです。この頃は私も、一人の海外旅行は心配でした。老人の母が海外旅行をしていても、添乗員付きの旅行でしたし、私の懸賞グアムは、ほったらかしの航空券とホテルだけのツアーでしたから。
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次の海外

2011年09月28日 | 旅行
 宮古島から1年半後、娘の最後の学費を払った直後に、それは訪れました。専門学校(3年制)二年の学年末の事でした。
 エアーズロックに行きたかった私。その頃はまだ1人で行くなど考えられなくて、何とか娘に行ってもらおうとあの手この手で誘いました。「グレートバリアリーフのシュノーケルを2日行かせてあげるからさあ~」とカッパの娘を誘います。我が娘、「家は貧乏だ(現実だけど)」と言われて育ったせいか、海外旅行に誘われてもすぐには快諾しません。ウンウン、偉い偉い!けれども、私は行きたい。そこで、オーストラリアに娘の関心がありそうな事がないかと、調べました。何と、エアーズロックの周辺に「マウントオルガ」と言う「風の谷の○ウシカ」のモデルになったらしい山があるとか。へへへっ(^_^;)エアーズロックに行きたい割にはそんなことも知りませんでした。「風の谷の○ウシカ」は見たこと無かったし。
 「風の谷の○ウシカ」が大好きな娘には、「マウントオルガ」って「風の谷の○ウシカ」の山なんだって・・・、などと言って何とか一緒に行くことを承諾させました。出発まで1月くらいしかなかったので、ツアーの選択に制限があり、娘の学校の合間の休み7日間を合わせるのがやっと。私が、半ば強引に休みを埋めてしまったので、娘はおかんむり(-_-;)。しかも、私のパスポートが切れているので、戸籍謄本を実家の母に送ってもらいパスポートの申請をしたら、日程にギリギリです。パスポートを取りに行ったその足で、浜松町のイータスセンターに行きました。
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カッパ

2011年09月26日 | 旅行
 それまで、顔を洗うことさえ苦手なくらい水に顔を浸けるのが嫌いだったのに、その瞬間から別世界な海の中に夢中でした。
 「エンゼルフィッシュ」みたいな魚を見たときには大感動で、主人や娘に大騒ぎ。こんな魚ですが、本当のの名前は何でしょうか?
 あまりにも嬉しくて、それから帰るまでシュノーケルを放せなくて顔だけ水の中。かんかん照りなので、頭のてっぺんがじりじり言って日に焼けているのを感じても、かまわずひたすら水の中。案の定、家に帰ってからの頭は最悪状態です。毛穴の跡くっきりと、ぺろっ、ぺろっと何回も頭の皮が剥けました。帽子はかぶっていませんでしたが、髪の毛もあることだし、そんなに日焼けはしないと甘く見てました。頭皮の皮が剥けるなんて初めてでした。あんなに日焼けに気を遣っていたにもかかわらず、頭の事まで考えが及ばない大馬鹿者。
 それ以来、どんなに変だと言われようが、邪魔になってマスクに海水が入ると言われようが、しっかり帽子をかぶっています。
それにしてもこの時以来今まで、こんなに海に行くようになるとは、この時さえも夢にも思っていませんでした。私の人生をすっかり変えてしまった旅行です。詳細は、おいおい・・・・。
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私がカッパになった日 11/9/24

2011年09月24日 | 旅行
 2000年夏、私は宮古島でカッパになりました。泳げません。宮古島へ出発する前日、田舎からやって来た義母のお守りと4人分(主人と娘と義母の分も)の出発準備、更に注文していた家具の組み立てを主人と二人でしていたら、義母が自分の息子にそれをさせている私に嫌みをちらり。 出発は早朝で、羽田までは主人が運転していましたが、機内から眠くて眠くて。
 宮古島に着いたら、私が調べておいたマリングッズレンタル店へ寄り、体調が悪かったこともあり、ホテルに着いて4人でビーチに出たらビーチチェアで爆睡。あんなに日焼けをしたくなかった私が、足にタオルが斜めに掛かっているのにも気付かず、これが冬になるまで斜めの日焼け跡が消えず、せっかく懸賞で当たったエステで断られてしまったくらいくっきりと。(@_@)
 夕方には復活したものの、海には腰までしか浸かれず、ただビーチに座っているだけの義母の顔色伺いつつ、海とビーチを行ったり来たり。
 そして、運命の日が宮古島2日目。朝から島を一周しながら、主人はシュノーケルが出来る場所を探していました。来間島、池間島、東平安名崎などうろうろしつつ、保良川ビーチに着いた時はお昼を過ぎていました。娘は十分海水浴を堪能していましたが、夕方頃になると、海にも入らずただビーチに座っていた義母の機嫌は最悪でした。私はハラハラして、娘に「帰るよ」と促しに行くわけですが、「ウン、わかった」と言いながら、思わずまた海の方へ戻っていく娘。これを何回繰り返したでしょう。やっと明るいうちにホテルに戻ったのですが、それからまたホテルのプライベートビーチに入っていました。
この日から、娘は競泳用のゴーグルで素潜りになっていました。せっかくレンタルしたシュノーケルセットは、寂しくビーチにほったらかされているので、試しにマスクとパイプをくわえ、海底に立ったまま海中を覗きました。その時私の人生観が変わったのです。
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台風が私達を避けた?(*^_^*)  11/9/23

2011年09月23日 | 旅行
 この宮古島旅行、義母を誘いました。主人は初めから宮古島へ行くつもりでしたが、私は、義母を誘ったので沖縄本島にしようと言っても宮古島を譲りませんでした。だから「海しか行かない旅行だけど、それでもよければ」と義母には念を押しました。グアムへ行ったときの水着を持ってくれば、と言いましたが、太ったから着られないとのことで、ただ「行きたい」と一緒に行くことになりました。
 ただ、台風が来てしまい、出発が危ぶまれていました。JTBに確認に行きましたが、直行便なので飛行機が飛べば行けますよ、って。飛行機が飛ぶのに私が行かないと決めればキャンセル料が掛かるそうで、台風予報とにらめっこの日々でした。私達が行く頃に、宮古島を過ぎそうだとの事だったので、暑い羽田を飛び立ちました。宮古島に着くと、台風は沖縄本島に向かい直撃だったらしく、沖縄経由で宮古島に来るはずの観光客は那覇で足止めされていたようです。レンタカーのラジオは、本島の台風対策で県庁や市役所の職員を招集する放送がされていました。そんなローカルな放送を聞いたのは初めてで、沖縄の台風の多さを実感しました。 
 申し訳ないことに、那覇経由のお客が来ないので、宮古島は夏休みにもかかわらず閑散としていて、波は少し高いものの、どのビーチもちょっとした貸し切り状態でした。何とラッキー!(^^)!。更に驚きはこの台風、私達が3泊4日の旅行を終え、羽田に帰る頃には台湾にいました。そして家に着いて数日後、宮古島に戻ってきたのです。やっぱり台風に嫌われていたとしか思えません。この時から、主人は「究極の晴れ男」として私と娘に尊敬されていますが、最近もしかしたら「晴れ女」は私だったのではないこと思う今日この頃です。
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