2017年11月27日、お参りしました。
「この社は京都市・愛宕山頂の愛宕神社がこの場所から遷座していったと伝え、元愛宕とも呼ばれる。しかし背後の山は牛松山と呼ばれ、ここから愛宕山を望むことはできない。『日本三大実録』等によると、愛当護神(あたごのかみ)と鎮座地である『愛当護山』は、古代において丹波国に属していたことが記録されている。この事実から、愛宕山は現在のように京都市(山城)側を表とするのではなく、本来は亀岡市(丹波)側からみた風景が本来の姿であったと考えられよう。そうであるならば山麓に元愛宕が鎮座する牛松山までが、古代の愛宕山に含まれた可能性がある。いくつもの山襞が重なった『愛宕山塊』とでも言うべき雄大な姿が、丹波の神のすまう霊山であったかもしれない。平安遷都によって山城側の人口が増加したことにより次第に信仰の中心が移動し、古代における丹波の神としての性格は、忘れ去られていったようである。古代の愛宕山が神体山であったとすれば、元愛宕は本来拝殿、あるいは里宮のような役割を果たした存在であったと考えられる。丹波の神であった愛当護神の原初的な形態を、現在に伝える貴重な史跡と言えよう。」
京都府亀岡市千歳町国分南山ノ口1
map
大スギ(亀岡市指定名木)
大イヌマキ(亀岡市指定名木)
拝殿
舞殿
八幡宮神社
本殿(重要文化財)
「覆屋で囲まれている。鎌倉後期(1275-1332)比較的大規模な一間社流造で、木割が太く、手法は簡潔で、力強い。庇廻りは大正年間に一新されているが、当初材がほとんど一式別途保存されている。 鎌倉時代に溯る貴重な遺構。」
境内の紅葉
モミ(亀岡市指定名木)
紅葉が素敵でした。
「この社は京都市・愛宕山頂の愛宕神社がこの場所から遷座していったと伝え、元愛宕とも呼ばれる。しかし背後の山は牛松山と呼ばれ、ここから愛宕山を望むことはできない。『日本三大実録』等によると、愛当護神(あたごのかみ)と鎮座地である『愛当護山』は、古代において丹波国に属していたことが記録されている。この事実から、愛宕山は現在のように京都市(山城)側を表とするのではなく、本来は亀岡市(丹波)側からみた風景が本来の姿であったと考えられよう。そうであるならば山麓に元愛宕が鎮座する牛松山までが、古代の愛宕山に含まれた可能性がある。いくつもの山襞が重なった『愛宕山塊』とでも言うべき雄大な姿が、丹波の神のすまう霊山であったかもしれない。平安遷都によって山城側の人口が増加したことにより次第に信仰の中心が移動し、古代における丹波の神としての性格は、忘れ去られていったようである。古代の愛宕山が神体山であったとすれば、元愛宕は本来拝殿、あるいは里宮のような役割を果たした存在であったと考えられる。丹波の神であった愛当護神の原初的な形態を、現在に伝える貴重な史跡と言えよう。」
京都府亀岡市千歳町国分南山ノ口1
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大スギ(亀岡市指定名木)
大イヌマキ(亀岡市指定名木)
拝殿
舞殿
八幡宮神社
本殿(重要文化財)
「覆屋で囲まれている。鎌倉後期(1275-1332)比較的大規模な一間社流造で、木割が太く、手法は簡潔で、力強い。庇廻りは大正年間に一新されているが、当初材がほとんど一式別途保存されている。 鎌倉時代に溯る貴重な遺構。」
境内の紅葉
モミ(亀岡市指定名木)
紅葉が素敵でした。
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