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普光寺と素盞嗚神社 (宝塚市長谷)・伊和志津神社、清荒神清澄寺(宝塚市)

2017-02-22 21:14:07 | 伊丹・宝塚
2017年2月20日、お参りしました。20日、21日と阪神の宝塚、伊丹、川西、猪名川そして大阪府池田市周辺と観光しました。
普光寺と素盞嗚神社は同じ境内で並んでいます。
普光寺
兵庫県宝塚市長谷字門畑25
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「養老年間(717年 - 724年)に法道の開山により創建されたと伝えられる。本尊は奈良県の長谷寺本尊と同体で、故に当地を「長谷」と称した、と伝えられている。中世には5坊と多くの寺領を有したが、弘治年間(1555年 - 1557年)に焼失。その後、牛頭天王社(現素盞嗚神社)の別当寺となった。



仁王門







本堂









鐘楼











素盞嗚神社
「素盞嗚命(すさのおのみこと)を主祭神とする祇園信仰の神社で、旧川辺郡長谷(ながたに)村の村社である。弘治年間(1555年 - 1557年)に現在地へ遷座したと伝えられ、普光寺と同じ境内にあり、神仏習合の典型的な配置である。」









長床
「本殿前にある舞台で、農村歌舞伎が行われていた。長床の床下をくぐって参拝する、珍しい参道になっている。」

赤いコーンの左からくぐって入ります。境内からの写したもの。

本殿(兵庫県指定重要有形文化財)
「近畿地方で数少ない、三間社切妻造平入(一間向拝付)で、江戸時代初期の建立。細部には八阪神社 (宝塚市)と同一の様式が見られる。」

覆屋で囲まれています。







宝篋印塔(兵庫県指定重要有形文化財)
『南北時代の観応元年(1350年)の銘がある。「波豆石」と呼ばれる流紋岩製での宝篋印塔としては、現在のところ最も古いものである。塔身の月輪は一般には線刻だが、本例のように一段低く彫りくぼめ、その中に種子(梵字)を刻むのは、波豆に所在する宝篋印塔に同じような例が見られ一つの地方的特徴である。』



末社





伊和志津神社
宝塚市伊孑志1-4-3
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『醍醐天皇の延長5年にまとめられた「延喜式神名帳」にその名を残す由緒深い神社です。祭神の須佐男命は和歌・学問・開発・縁結びの神で、境内神社に安産・水商売の宝塚水天宮もあります。本殿は市の文化財で、3,000坪の広さの境内は憩いの森として市民に愛されています。』











拝殿

















清荒神清澄寺
宝塚市米谷清1
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『「荒神さん」の名で親しまれる真言三宝宗の古刹で、寛平8年(896年)宇多天皇の勅願によって建立されました。同天皇から「日本第一清荒神」の称号を受けたことから「かまど(台所)の神様」「火の神様」として厚い信仰を集め、境内には大小さまざまの火箸が奉納されています。毎月27日・28日例祭日、1月の初荒神、年末の納荒神には、多数の参詣者が境内はもちろんのこと多種多様な店が軒を連ねる参道まで埋め尽くします。本尊の大日如来坐像は国の重要文化財となっています。』
土産物店







山門











境内図

説明書
『清荒神清澄寺は、今をさかのぼること千百十余年-平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万人豊楽の世界を開く勅願所の一つとして創建されました。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。まず伊勢内宮・外宮など15神を勧請し鎮守神として、三宝荒神社を祀り、蓬莱山七嶺七渓に荘厳な伽藍を造営しました。そして宇多天皇より「日本第一清荒神」の称号を賜り、蓬莱山清澄寺として栄えました。およそ300年の後、源平の兵火により灰燼と帰しましたが、勅令により建久4年(1193)、源頼朝の手によって再興されました。それよりおよそ400年の後の戦国時代、再び兵火により荒神社を除く諸堂尽く焼亡しました。江戸時代末期、一代の名僧浄界和上(号露庵)の諸堂再興。』

講堂



なぜか狛犬







護牛神堂
『本尊「矢頭天王」はインド祇園精舎の守護神であり、厄除けの神・恵方神として知られています。」





寺院ですが鳥居もあります。



鐘楼

天堂





誉属堂・受付所

売店

護法堂







眼神祠
「古くここは霊水が湧き出て、眼の悪い人たちが目を洗って病を癒したとされます。」

龍王堂
「すべての生命を守る水神社で、古くから酒造・農業・火防の神として信仰をあつめています。」



納札所

火箸納所

行者洞
「岩壁をくりぬいた祠は、修験道の開祖で病気、災難等を取り除くといわれる役行者をお祀りしています。」



宝稲荷社
「明治時代、当時の忍随和上と光浄和上がある夜、同じ稲荷明神の夢をみたことからここに新しく祀られたといわれています。」



本堂
「天堂とならぶ重要な建物。内部は密教寺院の伝統を継承したつくりで、大聖不動明王の秘法が毎日修行されています。」













池苑













一願地蔵尊

寺務所

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