旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

添御縣坐神社(奈良市)、根聖院

2021-11-20 23:24:53 | 奈良
2021年11月19日、お参りしました。
説明書より「添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)の名称は、『大和の国の添郡に設置された縣に鎮座する神社』を意味する。鎮座の年代は詳らかではないが、およそ1400年前に遡ると推定される。明確になるのは平安時代初期で、朝廷が編纂した全国神社名鑑である『延喜式神名帳』に大社の格式を認められた神社として記載されている。本殿は、山を背に西を向いて建っており、様式は五間社流造、正面三箇所に千鳥破風付き、屋根は桧皮葺で、覆屋によって保護されているため、状態は良好である。昭和41年の解体修理の際、内部の壁板面に1383」(水徳3)年11月9日寛政した旨の墨書が発見された。本殿は、神社建築としては全国的に希少な、南北朝時代の袞竜であることが確認された。」
奈良県奈良市三碓3丁目5−8
map
社標

鳥居





倉庫

恵美須神社



英霊殿



舞台

拝殿







本殿(重要文化財)
「室町前期の1383(永徳3)年建立、五間社流造、正面三個所千鳥破風付、檜皮葺。」







末社







子授石



根聖院
地名の由来「この土地一帯を三碓(みつがらす)と言うのは、遡ること1300年前、奈良時代に小野福麿がこの地域を治めていました。住居とは別にこの場所に三ツ碓をおき、米を搗かせていましたが、鳥狩りに御幸された聖武天皇が御覧になり、この土地を『三碓』と名付けられました。この碓は搗き碓で、朝鮮半島と戦った後に、米を搗く文化と共に大和に渡って来たと考えられています。『古事記』には播磨の国でもこのような石碓が使用されていたと伝えられています。」
神社に隣接しているので神宮寺であったのだろうか。















コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宝山寺(生駒市) | トップ | 性海寺と塔頭寺院の龍華院、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

奈良」カテゴリの最新記事