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金剛城寺

2023-07-10 17:30:25 | 東播磨
2023年7月9日、お参りしました。
説明書より「推古天皇の御宇聖徳太子日本三論宗の開祖高麗の恵灌法師を講じて開山せしめ給い、本尊十一面観世音は一刀三禮の御作、其後伽藍焼失十数度に及びしも、本尊灰燼なく茲に一千三百有余年を経たり。嵯峨天皇の御代、弘法大師留錫あり護摩秘密の修法の時より真言宗となり其後作門寺と称せられること四百年に及んでいたが昭和三年金剛城寺の寺號復古となれり。明治初年七種山中より現地に移転伽藍の復興成り現在の寺観を見るに至る。」

「当時、七種山には慈岡川人という修行僧がこもっていた。この地方が大旱魃におそわれ、餓死者が出た時、川人が、モミ、麦、粟など七穀の種を与えて農耕をすすめ、人々を飢えから救った。(七種山)の名もここからおこったという伝承があり、寺号も川人の名をとってつけられたという。その後、弘法大師の巡錫の途中に滞在し、真言密教の秘法を伝えてから、真言宗に移った。数十の僧坊がいらかを連ね、荘厳な密教同乗の趣を伝えていたが、天平4年焼失、聖武天皇の命によって再建。観応元年兵火によって再び炎上、足利尊氏の帰依があって伽藍再興。更に文明11年(室町中期)三度目の兵火により炎上、衰微の一途をたどったが、慶長6年、台胞明覚承認が堂塔を旧観に復した。当寺では明覚上人を中興の祖として尊崇している。滋岡寺から金剛城寺、更に作門手世と寺号は移りかわったが、明治の神仏分離令かの折、廃仏棄釈の難をまぬがれることができず、寺領は国家に没収、伽藍は破壊されようとしたので檀信徒が急ぎ、阿弥陀堂と庫裏一棟を田口へ移築した。」
兵庫県福崎町田口236
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寺標

仁王門











灯籠

鐘楼







手水舎



地蔵尊

本坊







弁天堂

宝篋印塔

本堂









阿弥陀堂

権現堂





護摩堂





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