2023年7月9日、お参りしました。
説明書より「この寺は991(正暦2)年慶芳上人によって開基されたと伝えられ、七堂伽藍と52ケ寺を有する大きな寺で、書写山法華山と並ぶ播磨六山の中に加えられていました。一条天皇、三条天皇の勅願寺として栄えたが、その後1309(延暦2)年の火災で全部焼失してしまい、1587(天正15)年に本堂が再建されました。」
兵庫県福崎町東田原1891
map
寺標
仁王門
塔頭・悟真院
唐門(福崎町指定文化財)
「唐門とは、四脚門の一種で、屋根の切妻に反曲した曲線状の破風がついている門のことをいいます。この門は、総高4.5mで本瓦葺きです。唐風の建築様式の随所に和風の建築技術が取り入れられていることが特徴としてあげられます。四脚門と曲線状の破風は唐風、破風が庇の上に構築されているところが和風で、創建当時のようすをよく残しています。1741(元文6)年建立の、意匠的に優れたものである。」
塔頭・本寿院
水琴窟
弁天堂
長寿地蔵尊
石灯籠(福崎町指定文化財)
「現在、町内の神社・寺院・墓地・路傍などに130基あまりの石灯籠があります。神積寺の石灯籠は、竿が円柱で中ほどに節があり、笠・火袋・中台と基礎の平面形が四角という特徴があり、古いタイプに属します。石灯籠として、神崎郡内最古の1683(天和3)年の紀年銘をもち、江戸時代前期に造立されたものとわかります。神積寺の石灯籠は、2基どちらにも竿部分に同じ銘文が刻まれています。『奉寄進薬師如来 御宝前為二親菩提也』『天和三葵亥年 三月十七日』『神東郡北山田村 施主助左衛門』とあり。北山田村(現姫路市)の助左衛門が両親の菩提をと弔うために寄進したことがわかります。」
宝篋印塔
平和観音
手水舎
本堂
行者堂
鐘楼堂
奥の院
説明書より「この寺は991(正暦2)年慶芳上人によって開基されたと伝えられ、七堂伽藍と52ケ寺を有する大きな寺で、書写山法華山と並ぶ播磨六山の中に加えられていました。一条天皇、三条天皇の勅願寺として栄えたが、その後1309(延暦2)年の火災で全部焼失してしまい、1587(天正15)年に本堂が再建されました。」
兵庫県福崎町東田原1891
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寺標
仁王門
塔頭・悟真院
唐門(福崎町指定文化財)
「唐門とは、四脚門の一種で、屋根の切妻に反曲した曲線状の破風がついている門のことをいいます。この門は、総高4.5mで本瓦葺きです。唐風の建築様式の随所に和風の建築技術が取り入れられていることが特徴としてあげられます。四脚門と曲線状の破風は唐風、破風が庇の上に構築されているところが和風で、創建当時のようすをよく残しています。1741(元文6)年建立の、意匠的に優れたものである。」
塔頭・本寿院
水琴窟
弁天堂
長寿地蔵尊
石灯籠(福崎町指定文化財)
「現在、町内の神社・寺院・墓地・路傍などに130基あまりの石灯籠があります。神積寺の石灯籠は、竿が円柱で中ほどに節があり、笠・火袋・中台と基礎の平面形が四角という特徴があり、古いタイプに属します。石灯籠として、神崎郡内最古の1683(天和3)年の紀年銘をもち、江戸時代前期に造立されたものとわかります。神積寺の石灯籠は、2基どちらにも竿部分に同じ銘文が刻まれています。『奉寄進薬師如来 御宝前為二親菩提也』『天和三葵亥年 三月十七日』『神東郡北山田村 施主助左衛門』とあり。北山田村(現姫路市)の助左衛門が両親の菩提をと弔うために寄進したことがわかります。」
宝篋印塔
平和観音
手水舎
本堂
行者堂
鐘楼堂
奥の院
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