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天王寺区の寺町①、生國魂神社・齢延寺・源聖寺・稱念寺

2017-03-17 20:19:30 | 大阪
2017年3月13日、地下鉄谷町9丁目駅から南へ一心寺に向かって、歩いてみました。駅を出て谷町筋を南に200mほど進み、2つ目の筋を西に曲がると生國魂神社の参道です。
生國魂神社(いくたまじんじゃ)
大阪市天王寺区生玉町13-9
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パンフレツトより『御由緒は、社伝によれば、第一代・神武天皇が九州より日本統一の旅に出発され、難波津(大阪湾)にお着きになった際、現在の大阪城を含む一帯(のちの石山﨑)に、日本国の御霊である生島大神・足島大神を祀られたのが当社の創祀と伝えられています。そののち、相殿神として大物主大神をお祀りされています。当社について正史上の初見は、「日本書紀」孝徳天皇(7世紀中頃)の条に「生國魂社」と記されており、平安時代の「延喜式」には「難波坐生國咲魂神社」二坐と記され、御祭神は特別に生島坐によって祀られるなど、国家の祭祀「八十島祭」の社として知られています。中世には当社の神域に「石山本願寺」が建てられ、天正11年(1583)に豊臣秀吉公が大坂城築城のため、社領を寄進して社殿を造営し、同13年(1585)に現在の鎮座地に遷座しました。そののちも豊臣・徳川と時代の変遷がありましたが、両家の尊崇のもとに神域は守られ、以来「難波大社」の尊称をもって広く朝野の信仰を集め、明治には官弊大社に列せられるなど、国土の守護神・大阪の総鎮守として人々に崇敬されています。』



狛犬



境内案内図

手水舎

境内







拝殿

本殿
『本殿は、「生國魂造」と呼ばれる他に類をみない建築様式であり、本殿と弊殿は一つの巨大な流造りでふきおろし、上から千鳥破風・すがり唐破風・さらに千鳥破風の順に三破風をすえたものになっています。」社殿は明治45年の「南の大火」、昭和20年の大阪大空襲による焼失、同25年の「ジェーン台風」による倒壊など、長い歴史の中で幾度も被災しますが、その都度氏子崇敬者の赤誠により再建され、現在の社殿は昭和31年に建てられました。」

天満宮
「学問の神として菅原道真公をお祀りしています。」



住吉神社
「航路平安・航海安全の神であり、また和歌文学の神として崇敬されています。」



皇大神宮
「伊勢神宮(内宮)の天照皇大御神の御分霊をお祀りしています。」



境内社の案内図











精鎮社
「表参道蓮池(今の生玉公園)に祀られていた弁財天社(明治初年に精鎮社と改称)で、漁師や釣人、鮮魚を扱う商人から崇敬を集めています。」



城方向(しろむき)八幡宮
「大坂城鬼門の守護神として鎮祭されたことから城方向(北向)と称します。」







稲荷神社
「佐賀県の祐徳稲荷の御分霊で、鍋島藩とその蔵屋敷出入りの商家が篤く崇敬しました。」





源九郎稲荷神社
「奈良県吉野郡の源九郎稲荷神社の御分祀で、歯痛封じの神としても知られています。尚、道頓堀中座に祀られていた八兵衛大明神が合祀されており、歌舞伎役者や松竹新喜劇の人達から崇められています。」



鴫野神社
「女性の守護神として崇められ縁結・悪縁切など心願成就の霊験あらたかです。太閤秀吉夫人の淀君が篤く崇敬したと伝えられています。」





御神木
『神の使いとそれる「巳さん」の住む御神木は、鴫野神社と併せて崇められています。』



鞴神社
『「鞴」とは火起こしの道具で、製鉄・製鋼・鍛冶の守護神として、また火の用心のカマド神として崇敬されています。」



家造祖神社
「家造の祖神である手置帆負神・彦狭知神を土木建築の守護神としてお祀りしています。」



浄瑠璃神社
「近松門左衛門ほか人形浄瑠璃(文楽)の成立に功のあった「浄瑠璃七功神」をはじめ文楽および女義太夫の物故者を祭神としてお祀りしています。ちなみに近松門左衛門の「曽根崎心中」の発端は、この生國魂神社境内が舞台です。」



浄瑠璃記念塔と八雲琴の碑

米澤彦八の碑
「京都で露五郎兵衛によって始められた上方落語は、大阪では当社境内を舞台に米澤彦八が広めたと言われています。」















井原西鶴座象
『「好色一代女」や「世間胸算用」を著した井原西鶴は俳人としても有名で、延宝8年(1680)に当社境内の南坊にて一昼夜四千句の独吟矢数俳諧の新記録を達成しました。』



社務所

勤皇烈士島男也の旧宅跡
「水戸藩士、川崎孫四郎、萬延元年3月3日の水戸浪士による大老井伊直弼を天誅の桜田門外の変後、大阪挙兵を図り幕吏に追われ23日この地で自刃す。笠間藩士、島男也、大阪挙兵の謀議のため幕吏に捕われ江戸伝馬町獄にて死没。」

神社を出て南側、西側に少し歩きます。
齢延寺
「曹洞宗の寺院で、山号は生魂山です。」
仁王門



















庫裏

玄関











本堂



彫刻の素敵な寺院でした。齢延寺を出て、西に進みます。
源聖寺坂









坂を下って北側に源聖寺があります。
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源聖寺
山門(登録有形文化)
「江戸末期の1830-1867年に建造、松屋町筋に西面する一間薬医門。間口3.2mで、潜り付の袖塀を両脇に付ける。男梁上に三斗組を置き、虹梁及び桁を高くし、鏡天井を張る。妻は虹梁蟇股、軒は二軒繁垂木で、屋根は切妻造本瓦葺とする。大型の薬医門で、蟇股や虹梁など彫りの深い絵様になる。」







本殿

庫裏(登録有形文化)
「江戸後期の1751-1829年に建造、松屋町筋東側に占める境内地の通り寄りに南面して建つ。南面入母屋造北面切妻造の本瓦葺で、大棟南寄りに切妻造の煙出を付ける。正面中央東寄りに庇を掛け、戸口とする。方柱で、柱上に舟肘木を載せ、妻は虹梁大瓶束。簡明ながら重厚な庫裏外観を構成する。」



北側隣に浄國寺があります。
浄國寺
山門

さらに北側の隣に稱念寺があります。
稱念寺
山門(登録有形文化)
「江戸中期の1661-1750年に建造、松屋町筋に西面して建つ一間薬医門。間口2.9m幅に本柱を建て、女梁、冠木、男梁を架し、妻及び中備には蟇股を置く。一軒疎垂木で、屋根を切妻造本瓦葺とする。装飾を抑えるが、木鼻など細部に、江戸中期らしい意匠を示す。」



本堂









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