須磨観光ハウス~花月と猫の物語

1937年(昭和12年)に神戸市迎賓館として誕生した須磨観光ハウス「花月」と猫ちゃんたちを応援するブログです。

須磨浦公園(1)~ 昭和の歴史

2020-08-05 09:17:08 | 日記
須磨観光ハウス花月には昭和天皇もお越しになったといわれています。
それもそのはず、ウィキペディアを読んでいてピンと来たのですが、須磨浦公園はそもそも御料林(旧憲法下での皇室所有の森林 )であった場所。昭和天皇のご成婚により有償払い下げを受けた土地だからです。


この時すでに、一ノ谷御料林の一部を借り受けて明治23年頃から営業していた旅館「須磨花壇」ら(払い下げについても内定済みであったという)と神戸市の間で、所有権に関わる訴訟が起きました。

昭和10年の新聞記事によると、平家の末裔である「須磨花壇」の関係者は、神戸市よりも有償払い下げ順位の上位にいて、同地での営業続行を希望しており、宮内省とも既に契約が成立、後は支払いのみだったようです。

そして、当初は神戸市も「須磨花壇」ら民間人への有償払い下げに同意していたそうです。歴史的に見れば当然ですね。キチンと歴史的景勝地を守ってきた人々が立ち退く必要はありません。

私は神戸の郷土史を勉強しているのですが、そもそも須磨浦公園は長田神社の飛地の御旅所であるため、民間人がダメなら、長田神社のほうが神戸市より払い下げに対する上位の順位を有していたという理屈も納得です。古来から須磨浦公園は長田神社ゆかりの土地なんです。

結果、神戸市は横やり(?)を入れて、昭和10年に神戸市立の須磨浦公園が完成します。「須磨花壇」の末裔さんたちはどうなったのでしょう、とても悔しかったでしょうね。強制立退きさせずとも、共存できたのではないでしょうか。

その後、2~3年をかけて「須磨観光ハウス」が完成します。これまでの経緯をみると、観光ハウスには神戸市の威信がかかっていますので、名建築なのは当たり前ですね。当時の営業は「みかど食堂」でした。詳細は以前のブログの新聞記事をご覧ください。それからまもなく戦争に入り、戦後は進駐軍に接収されます。

そして、戦後昭和22年(1947年)、金井一族の創業者、マネちゃんのお祖父さまが「須磨観光ハウス」で「花月」を立ち上げ、営業を始めます。終戦後わずか2年です。
それから73年間、マネちゃん一族はこの地を守り続けてきました。マネちゃんご兄妹は定期券をぶら下げて、小学校には山陽電車で通ったそうです。西須磨小学校出身とのこと。小学生には遠い!

そんな須磨浦公園、現在は神戸市公園協会が保全しているようです。

近年、不況からなのか地方公共団体は土地を売却したり、施設を民間委託したりすることも多いようですね。
都市部の小学校などは合併すると、跡地は民間に売却されてすぐにマンション等が建ちますよね。日本の歴史的建築遺産はどんどん変化しています。
それどころか、公園などは、維持管理に費用がかかるだけだった広大な空間を、逆に収益施設も誘致して「儲かる観光資源」として積極的に稼いでもらうように方向転換がなされているようです。

新しいマンションになったり、近代的なビルに改築して不自然にエントランスだけを残したり、いつの間にか安っぽい店舗が立地して風情を損ねたり・・・非常に残念なことです。神戸市はこの場所を無理してまで欲しかったのですから、まさか手放すことはないでしょうが、もし民間に売却したり委託したりすると、風光明媚であるがゆえに、また海辺にマンションが建つかもしれません。原風景、心の風景はみんなものにしておいてほしいです。

日本の人口は減っています。戦後ずっと新しいマンションや郊外の家を作ってきた日本、外国のように歴史的建造物を大事に100年以上リノベーションしながら保存する手段もあります。パリの街並み、我らが京都の街並みにも規制があります。街だけでなく「風景」も文化遺産として残してほしい。

神戸市の持ち物である須磨浦公園、せっかく官営なんだから、今後も経済効果だけに走らない手段を模索してほしいと願っています。

そして、「人の歴史」も大事に大事にしてほしい。代々受け継がれ、受け継ごうとしている想いは時代を作ります。日本の転換期は既に来ています。経済効果だけで物事を計る時代はもう終わったと思うのです。