花師のここだけの話し

花師がお届けする熱い想い。気ままに気まぐれに、ぼちぼち更新。ええ塩梅でお届けします。

粋に父の日

2007-06-08 18:31:28 | Weblog
6月の第3週日曜日は、「父の日」と相場が決まってる。

「母の日」がアメリカ合衆国ではじまった翌1909年。
「父の日も作って下さい」と、南北戦争後母を亡くし、
軍人であった父に、男手で一つで育てられた6人兄弟の末っ子が、父への感謝を込めて嘆願したことが始まり・・・
そして7年後。
1916年に「父の日」が認知され、1972年にアメリカでは国民の祝日となったそうな・・・

それが父の日の始まり。

母の日と比べて、父の日ってのは迫力にも、パンチ力にも欠けて
なんだか男としては、寂しい限りなんだが・・・
花屋としては一応、やるだけのことはやっておかなくてはいけない。
実際問題、花=女性という方程式にはめこみがちだが
以外や以外!男性の方が深くディープな世界に入ってしまう傾向がある。

料理の世界にしてみても、お菓子の世界にしてみても、美容の世界にしてみても
トップの顔を見渡せば、男性の顔がずらりと並ぶ。
当然花の世界だって例外ではない。

ほなどうするか・・・

照れも含めて、さり気なく感謝を伝えればいい。
「なるほど!」って、小膝を思わずポンと行くような・・・
落語で言う所の「考えオチ」。

どうも昨日の「しゃべれども しゃべれども」の余韻から抜けれない。
落語の呪縛に心縛られ、頭の中を「火炎太鼓」がリフレインする。
繁盛亭のおかげで、落語が世間にまた認知されてきている。
小さな落語ブームで終らずに、浅く広く長続きしてくれればうれしい。
ただ・・・気になることがひとつある。
漫才やコントと違って落語は、少々知識がないと笑えない事もシバシバある。
落語用語で「考えオチ」。
これが粋なもんなのだが、厄介な代物でもあるのも確かなのだ。
「考えオチ」という名前まであるくらいだから、瞬間的に笑うものでなく、頭で考えて、鼻で「クスッ」ってな具合である。

「火炎太鼓」にしても、その考えオチがある。
調子に乗った女房が、散々馬鹿にした亭主にこう言うのだ。
「あんた!音の出るのがいいんだよ」
お調子者の夫婦と来てる、亭主も一緒になってこう答える。
「おう!これからは音の出るのを売るよ!半鐘だ半鐘!半鐘を売ろう」
「馬鹿だねお前さん!半鐘なんか売ったら、全部おじゃんになっしまう」
見事な考えオチであるのだが・・・皆さんお分かり頂けただろうか?
ヒントは半鐘の音にある。
ココは一つ考えて頂きたい。

調子に乗った所で、簡単なものをもうひとつ。
人間国宝桂米朝師匠の「皿屋敷」の枕に登場するもので、見事な考えオチが飛び出す。
お化けのかくし芸大会でのひとコマ。
三つ目小僧が用を足しに厠に行く。
扉を開けようとするものの、中から鍵が掛かっていて開かない。
「おい!誰や誰や!」と扉を叩く。
すると中から幽霊が「ハイわたし」と答える。
考えオチである。
幽霊は足がない。足がないさかいに下駄がない。
とまぁこんな感じで、「クス」っとさせられる。

考えオチがわかれば、落語の世界も横に奥に広がりを見せる。
今の世の中、ハッキリとした答えを求めがちだ。
もっともっとアバウトに、「なるほど!」と、ポンと小膝叩いてニッコリ笑う。
これくらいの余裕があれば、毎日テレビで流れる、恐ろしい事件も減る事だろう。
即ち落語は娯楽の範疇を越した、教育にも教養になっているってことだ。
落語を知って粋を学べなのだ。

母の日はダイレクトにありがとう。を・・・
父の日は落語の考えオチのように、粋に感謝を伝えればいいのではないか?

あとでジ~ンと来るような。
それでいてあっさりした粋なものを。

花師がお届けする父の日は、ちょっと粋な感謝の気持ち。

とうちゃんあんがと。

それくらい言うても、決して罰はあたらない。


*火炎太鼓の考えオチがわからない人は、そっとお聞きになってください。

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