花師のここだけの話し

花師がお届けする熱い想い。気ままに気まぐれに、ぼちぼち更新。ええ塩梅でお届けします。

わが生涯に一辺の悔いなし

2007-04-21 17:46:47 | Weblog
ゴジラが逝った。

ゴジラと言っても、ニューヨークヤンキースの松井選手ではなく、ずっとずっとその昔・・・まるでスターウォーズの始まりのような、遠い遙か彼方のお話しの事。
花師の小学4年生にまで遡る・・・

誰からも恐れられた先生のあだ名がゴジラ。
誰がつけたのかは知らないが、体型はキングコングに似ているが、吠えまくる姿はまさにゴジラ。
そんなゴジラに再会したのは、一昨年の2月の事。
我母校に、卒業式の花の打ち合わせに行った際に、20数年ぶりにゴジラを見た。
記憶とは程遠い程に、笑顔で腰が低く、教え子である花師に対しても敬語を使ってくれた。
物腰が柔らかく、荒れていた中学校を沈めたゴジラ。
暴れるでなく、吠えるでなく、ただただ大きな懐で子供達を抱きしめたと聞く。
定年を間時かに控えて、元の中学校への帰って来るはずだったのに、3月30日に救急車に運ばれたと聞く。

卒業式でも入学式でも、あいさつをすることなく、ゴジラはひとり天に召された。

「わが生涯に一辺の悔いなし」

そう拳を天に突き上げた、北斗神拳伝承者長兄ラオウ。
そのラオウの告別式と同じ日、ゴジラも逝った。

雨が降る冷たい夜。
ゴジラは多くの先生、生徒に見送られて逝ったそうだ。
・・・そうだとは、残念ながら花師の元には連絡が入ってこなかった。
理由はわからない。
ただただそれを無念に思う。

ラオウは強敵(友)の腕の中で、笑いながら逝った。
「弟よ・・・顔を見せてくれ」
言葉どおり、ラオウの生涯に一辺の悔いもなかったのだろう。
ゴジラはどうだ?
まだまだ遣り残したことが多かったのではないか?
もし・・・もし今、死と直面したら、後悔だらけで化けて出てきそうだ。
先日倒れた時に、心の底からそう思った。
「死にたくない」
ゴジラもきっと・・・無念だっただろう。

ラオウのように悔いなく生きられたら素晴らしい。
でも・・・幾ら本人に悔いがなくても、残された者は悲しみと悔いが残る。
ラオウもまた、心から愛する者がいた。
死してまでもどうして、ラオウは天を望んだのか?
先は長いようで短い。
瞬く間に年老いていく。
昨今の通り魔殺人なんて、人生のイレギュラーがあるかもしれない。
だから悔いを残さないように、日々を懸命に生きなければならないのに・・・
誰もが死を人事だと考えているだろう。

人の涙の大半は、後悔の涙だそうだ。

後悔なくやり切っていれば、流す涙はないと言う。
実際に看病に明け暮れたおじいちゃんは、おばあちゃんの死に対して涙は零さなかった。
それは人前だということもあったかもしれない。
でも誰が見ても完璧に看病をこなしたおじいちゃん。
ただ運命の神様がいるのなら、どうして死に目に合わせてやら無かったのか?
それだけが悔いの残る事だっただろうに・・・

人生を生ききったラオウ。
死して天を掴もうとしたラオウ。
残された教師生活を、出身校に捧げようとしてたゴジラ。
何も出来ずに天に逝ったゴジラ。

今はただただご冥福を祈ります。

花師の恩師がまた逝ったら・・・

そう思うととても怖くなる。
死を意識し出したこの頃、数えてみれば約40年生きてきた。

「わが生涯に一辺の悔いなし」

そう言い切って天に昇れるように
今はただ・・・日々を懸命に生きようと思う。

愛する者の為に・・・

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