4時間目算数「単位量あたりの大きさ」第1時。
今日から「単位量あたり」の学習に入った。
僕が子どものとき,この「単位量あたり」がまるで理解できなかった。
それまで算数は好きじゃなかったけど「まるでわからない」ということはなかった。
それがこの「単位量あたり」は「まるでわからない」だった。
何がわからないではなくて何が何だかまるでわからなかった。
そのときのショックは今でも覚えている。
そしてこのときを境に「わからない」がどんどん現れてきた。
「単位量あたり」の概念がははーんなるほど,
と実感を伴って持てたのは中学校ぐらいではないのだろうか。
今思えばこの「単位量あたり」というネーミングもどうかと思う。
「単位量」も「あたり」もわかりにくい。
せめて「1あたり」や「1につき」の方がまだよかった。
とにかくそんな怨念,無念,後悔,傷心,遺憾の念が交錯する「単位量あたり」の学習に入った。
そして今年はこれを「面積図」で教えることに挑戦。
面積図についてはその便利さ,万能さ,重宝さについて
いろいろな人や本から教えられてきた。
興味も大きかった。
が,自分がそれを使ってきた経験がないものだから,今ひとつその良さが実感を伴っていない。
また大人となった今でも十分使いこなせない。
なので教えることに躊躇してきた。
そんな僕が扱っていいものかどうか,不安もあるのだけど,
それほどみんなが言うのなら良いことに間違いはないのだろう,
今年は「エイヤ!」と面積図で教えることに決めた。
今日はその第1時。
これがよかったのかどうなのか,まだよくわからない。
子どもの反応も今は微妙。
とにかく僕自身が「面積図」についてしっかり勉強することだ。
今日から「単位量あたり」の学習に入った。
僕が子どものとき,この「単位量あたり」がまるで理解できなかった。
それまで算数は好きじゃなかったけど「まるでわからない」ということはなかった。
それがこの「単位量あたり」は「まるでわからない」だった。
何がわからないではなくて何が何だかまるでわからなかった。
そのときのショックは今でも覚えている。
そしてこのときを境に「わからない」がどんどん現れてきた。
「単位量あたり」の概念がははーんなるほど,
と実感を伴って持てたのは中学校ぐらいではないのだろうか。
今思えばこの「単位量あたり」というネーミングもどうかと思う。
「単位量」も「あたり」もわかりにくい。
せめて「1あたり」や「1につき」の方がまだよかった。
とにかくそんな怨念,無念,後悔,傷心,遺憾の念が交錯する「単位量あたり」の学習に入った。
そして今年はこれを「面積図」で教えることに挑戦。
面積図についてはその便利さ,万能さ,重宝さについて
いろいろな人や本から教えられてきた。
興味も大きかった。
が,自分がそれを使ってきた経験がないものだから,今ひとつその良さが実感を伴っていない。
また大人となった今でも十分使いこなせない。
なので教えることに躊躇してきた。
そんな僕が扱っていいものかどうか,不安もあるのだけど,
それほどみんなが言うのなら良いことに間違いはないのだろう,
今年は「エイヤ!」と面積図で教えることに決めた。
今日はその第1時。
これがよかったのかどうなのか,まだよくわからない。
子どもの反応も今は微妙。
とにかく僕自身が「面積図」についてしっかり勉強することだ。