いつの間にか閲覧者数が10000人を超えました。アクセス回数もあと少しで20000アクセスに到達します。
こんなに多くの方から見てもらえるとは思っていませんでした。
そういうわけで、今回も超有名な古墳をご紹介します。
言わずと知れた大仙古墳(伝仁徳天皇陵)です。
これまで、私は天皇陵に同定されている古墳についても可能な限り「●●天皇陵」という言い方は避けてきました。理由は、当該古墳が真実●●天皇の眠る古墳かどうかが分からないからです。それと、もともと情報の希少な古代の遺跡なので、その古墳が誰のものであるかに対してそれほど関心が持てないからです。
それはさておき、この古墳を見て思ったのは「思った通りこの古墳は上空からでないと分からない」でした。古墳の中に入っていけないし、周濠の周りに伸びている木々が生い茂っているので、墳丘の様子が全然分からないのですね(泣)
ですから、せめて解説板にあった写真を貼りますね。
大仙古墳は、全長約480メートル、前方部幅約305メートル、周濠を含めた東西の長さ656メートル、南北の長さ約793メートルという巨大さです。これに並ぶものはありません。三段築成で前方部の両脇に造り出しがあり、周濠は三重です。
試算によると、この古墳を造るために毎日1000人を動員しても4年かかるという。
陪塚(ばいちょう)は、周囲に15基あるそうです。
江戸時代に後円部の墳頂で石が露出していたようで、盗掘を受けているそうです。明治時代に風雨によって前方部斜面が崩落し、そのときに竪穴式石室の一部が露出したそうです。そのときに庇付の兜や短甲、刀が出土しているそうです。また、ボストン美術館にこの古墳から出土したとされる銅鏡や環頭太刀が保管されているそうな。
築造時期は5世紀前半とされています。しかし、上記ボストン美術館に保管されているものはもっと後のものらしいので、確実なことは言えなさそうです。これも発掘どころか立ち入り調査もできないせいですね。
この古墳は周囲を巡ると数キロになるようでして、周囲を走っている方がいました。これはいい運動になりそうですね。
こんなに多くの方から見てもらえるとは思っていませんでした。
そういうわけで、今回も超有名な古墳をご紹介します。
言わずと知れた大仙古墳(伝仁徳天皇陵)です。
これまで、私は天皇陵に同定されている古墳についても可能な限り「●●天皇陵」という言い方は避けてきました。理由は、当該古墳が真実●●天皇の眠る古墳かどうかが分からないからです。それと、もともと情報の希少な古代の遺跡なので、その古墳が誰のものであるかに対してそれほど関心が持てないからです。
それはさておき、この古墳を見て思ったのは「思った通りこの古墳は上空からでないと分からない」でした。古墳の中に入っていけないし、周濠の周りに伸びている木々が生い茂っているので、墳丘の様子が全然分からないのですね(泣)
ですから、せめて解説板にあった写真を貼りますね。
大仙古墳は、全長約480メートル、前方部幅約305メートル、周濠を含めた東西の長さ656メートル、南北の長さ約793メートルという巨大さです。これに並ぶものはありません。三段築成で前方部の両脇に造り出しがあり、周濠は三重です。
試算によると、この古墳を造るために毎日1000人を動員しても4年かかるという。
陪塚(ばいちょう)は、周囲に15基あるそうです。
江戸時代に後円部の墳頂で石が露出していたようで、盗掘を受けているそうです。明治時代に風雨によって前方部斜面が崩落し、そのときに竪穴式石室の一部が露出したそうです。そのときに庇付の兜や短甲、刀が出土しているそうです。また、ボストン美術館にこの古墳から出土したとされる銅鏡や環頭太刀が保管されているそうな。
築造時期は5世紀前半とされています。しかし、上記ボストン美術館に保管されているものはもっと後のものらしいので、確実なことは言えなさそうです。これも発掘どころか立ち入り調査もできないせいですね。
この古墳は周囲を巡ると数キロになるようでして、周囲を走っている方がいました。これはいい運動になりそうですね。