行きたいと思いつつ行けなかった古墳です。
古墳時代初期の古墳で、築造間もない頃に地震によって石室が破壊され、却って盗掘を免れた幸運な古墳です。
全長約130メートル、後円部径約72メートル、同高さ約11メートルで古墳時代初期にしては大きめの古墳だと思います。
この古墳は長大な竪穴式石室から合計34面もの銅鏡が出土したことで有名です。
竪穴式石室は、長さ約8.3メートル、北小口幅約1.3メートル、南小口幅約0.9メートル、高さ約1.7メートルという巨大さです。
これです。
近くにある黒塚古墳展示館での実物大のレプリカです。
すごいですね!
正面から見ると
例の三角縁神獣鏡の様子は
ま~贅沢!
後円部頂に上ってみました。
石室の向きは古墳の長軸に直行するように作られています。やっぱり大きいですね。
後円部頂から前方部を見たところです。
先端がバチ形に広がっています。
逆に前方部から後円部を見ます。
後円部が前方部に比べて高いですね。
周濠の横の道路から古墳を見ると全景が見えます。
写真は前方部が切れてしまいました。
写真のへたくそさはどうしようもない・・・orz
黒塚古墳は、立派な周濠、長大な竪穴式石室と割竹形木棺、豪華な朱塗りの石室、34枚の銅鏡の出土など大変重要な古墳なのですが、他方で葺石や埴輪が認められないところから、必ずしも当時最高クラスの権力者だった人の墓とは言えないのかもしれません。
古墳を見た後、隣にある黒塚古墳展示館を見ました。
展示館と公園の敷地が若干いびつな前方後円形になっていることに改めて気付きました。
展示館のかなりの面積を竪穴式石室のレプリカが占めています。
再度
石室内部は水銀朱で塗られ、粘土床の形から割竹形木棺が安置されていたようです。
真ん中辺りに丸い物が立てられていますが、これは画文帯神獣鏡で、木棺内に安置されていたようです。奇跡的な感じで立った状態で発見されたそうです。
画文帯神獣鏡の両隣にはそれぞれ刀が副葬されています。
石室は、下部が大きめの石で上部は平石が積み上げられています。上に行くほど内側に持ち送られており、三角屋根みたいになっています。
三角縁神獣鏡は、たくさんあるのですが、見てのとおり全部棺の外に置かれてあり、この点で本当は大事な鏡ではなかったのでは?国産の鏡では?などという意見もあります。
2階は鏡の展示場です。
これだけたくさんあると、やっぱりすごいなという気分になります。
このうち3号鏡には、銅の産地が中国の徐州、制作者は魏の都洛陽出身という説明文が鋳だされています。景初三年と同じく、三角縁神獣鏡が当時の魏で制作されたものであることの裏付けになるものです。
最後に私的にもっとも刺激的だった遺物はこれ。
Y字形鉄製品だそうで、私的には「バ●タン星人形鉄製品」としていただきたいところです。
何に使ったのでしょうか?
大変わくわくする形です。
さらには、
これはU字型鉄製品だそうです。
もっと大きかったら馬飾りみたいですがね。当時は馬はいないか・・・
久々の新しい記事でした。
次はやっぱり1ヶ月くらい後か・・・・
古墳時代初期の古墳で、築造間もない頃に地震によって石室が破壊され、却って盗掘を免れた幸運な古墳です。
全長約130メートル、後円部径約72メートル、同高さ約11メートルで古墳時代初期にしては大きめの古墳だと思います。
この古墳は長大な竪穴式石室から合計34面もの銅鏡が出土したことで有名です。
竪穴式石室は、長さ約8.3メートル、北小口幅約1.3メートル、南小口幅約0.9メートル、高さ約1.7メートルという巨大さです。
これです。
近くにある黒塚古墳展示館での実物大のレプリカです。
すごいですね!
正面から見ると
例の三角縁神獣鏡の様子は
ま~贅沢!
後円部頂に上ってみました。
石室の向きは古墳の長軸に直行するように作られています。やっぱり大きいですね。
後円部頂から前方部を見たところです。
先端がバチ形に広がっています。
逆に前方部から後円部を見ます。
後円部が前方部に比べて高いですね。
周濠の横の道路から古墳を見ると全景が見えます。
写真は前方部が切れてしまいました。
写真のへたくそさはどうしようもない・・・orz
黒塚古墳は、立派な周濠、長大な竪穴式石室と割竹形木棺、豪華な朱塗りの石室、34枚の銅鏡の出土など大変重要な古墳なのですが、他方で葺石や埴輪が認められないところから、必ずしも当時最高クラスの権力者だった人の墓とは言えないのかもしれません。
古墳を見た後、隣にある黒塚古墳展示館を見ました。
展示館と公園の敷地が若干いびつな前方後円形になっていることに改めて気付きました。
展示館のかなりの面積を竪穴式石室のレプリカが占めています。
再度
石室内部は水銀朱で塗られ、粘土床の形から割竹形木棺が安置されていたようです。
真ん中辺りに丸い物が立てられていますが、これは画文帯神獣鏡で、木棺内に安置されていたようです。奇跡的な感じで立った状態で発見されたそうです。
画文帯神獣鏡の両隣にはそれぞれ刀が副葬されています。
石室は、下部が大きめの石で上部は平石が積み上げられています。上に行くほど内側に持ち送られており、三角屋根みたいになっています。
三角縁神獣鏡は、たくさんあるのですが、見てのとおり全部棺の外に置かれてあり、この点で本当は大事な鏡ではなかったのでは?国産の鏡では?などという意見もあります。
2階は鏡の展示場です。
これだけたくさんあると、やっぱりすごいなという気分になります。
このうち3号鏡には、銅の産地が中国の徐州、制作者は魏の都洛陽出身という説明文が鋳だされています。景初三年と同じく、三角縁神獣鏡が当時の魏で制作されたものであることの裏付けになるものです。
最後に私的にもっとも刺激的だった遺物はこれ。
Y字形鉄製品だそうで、私的には「バ●タン星人形鉄製品」としていただきたいところです。
何に使ったのでしょうか?
大変わくわくする形です。
さらには、
これはU字型鉄製品だそうです。
もっと大きかったら馬飾りみたいですがね。当時は馬はいないか・・・
久々の新しい記事でした。
次はやっぱり1ヶ月くらい後か・・・・