遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

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西谷墳墓群(出雲市)その1

2012-01-28 15:58:01 | 日記
ジャジャーン!
写真は大型四隅突出型墳丘墓群。西谷墳墓群です。
四隅突出型墳丘墓は、弥生時代後期に盛んに築造された墳丘墓であり、古墳時代直前まで続きます。
1月4日にご紹介した青木4号墓のような初期の形態を経て、弥生時代後期に巨大化します。
まずは1号墓

「1号墓」の標識が立っています、木がじゃまになって少し見えにくいですが、手前方向に突出部が伸びています。

これは1号墓の解説です。立石(墳丘の一番外側に立てて並べてある石)と敷石(立石の内側の平面部分に平らに敷いてある石)の状況がよくわかります。2世紀後半に作られたもののようです。

次に2号墓

おお~っ!大変立派な墳丘ですが、当然復元です。というか2号墓はすでに大きく破壊されており、墳丘もほとんど残っていなかったようでしてわずかに残った墳丘に土をかぶせて保護しているようです。

これは南西方向の突出部。

これは北西方向の突出部。

さらにこれはお隣の3号簿から見たお姿。築造当時はこんな感じだったのでしょうか?

この2号墓は、発掘調査の結果南北36メートル、東西24メートル、突出部を含めると50メートルに及ぶ巨大な墳丘墓であり、墳丘斜面には貼石がびっしりと貼り付けられています。貼石は墳丘の崩壊を予防するためだったと思いますが、こうしてみると貼り石をつけたことによって見栄えもかなりよくなりますね。
わずかに残された埋葬施設から朱が発見され、木棺に朱が敷き詰められていたようです。また、すでに破壊されていましたが、中心的な埋葬施設があったらしき場所からガラス釧(くしろ。腕輪のこと。)やガラス管玉(マカロニのように穴が開いたガラス玉)、吉備(岡山)で作られた特殊土器(壺や壺を乗せる器台が実用品としての性格を失い、非常に巨大化、装飾化したもの。首長の死に際した祭りで使われていたようです。)などが発見されています。
2号墓を復元した方の偉いところは、2号墓の内部に展示室を設けたところでしょう。ただ単に土を盛り返しても考古学的な意味はないですからね。
2号墓内部展示室は、2号墓や3号墓の発掘調査の結果を展示しています。

これは2号墓発掘前の写真。この左下の方に、残された墳丘部分と復元部分を図にしています。
こっ、こんなに復元!?これでよく元の形がわかりましたね。墳丘以外のもの(立石とか敷石とか)も残っていたのでしょうか。

これは、2号墓の中心的な埋葬施設(中心主体)の想像図です。中心主体はすでに失われているから、ほかの墳丘墓から想像したものです。
その中心主体の模型も展示されていました。そこにあるスイッチを押すと

こんなふうに首飾りを着けた当時の被葬者の立体映像がぼ~っと浮かび上がります。一人っきりで見に行くと結構怖いかもしれません。

四隅突出型墳丘墓の形を初めて知ったとき「かっこわる!」とか「ヒトデ?」とか「四隅から飛び出た部分が不格好だから切り取れ!」と思ったのは私だけではないでしょう(自信あり)。
しかし、それは平面図形を見ているからであって、実際のものを見るとこんなに整った姿をしています。前方後円墳よりかっこいいかもしれません。

長くなってしまいました。次回は3号墓です。




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