本当に久しぶりの更新となりました。夏風邪をこじらせてしまって、この2週間ほどはまともにブログに手を着けることができませんでした。
ところで、今回も明日香村で、野口王墓です。これはいわゆる天武・持統合葬陵でして、被葬者が明確になっている珍しい古墳です。
東西約58メートル、南北約45メートル、高さ約9メートルの円墳状をなしていますが、築造当時は5段築成の八角墳で周囲に石談を巡らせていたようです。きれいですね。
埋葬主体は、切石製の横口式石槨で、2室あり、天武天皇は石棺に納められ、持統天皇は火葬されて金銅製の骨壺に納められていたとのこと。
しかしながら、1235年に盗掘されてしまいました。そのときの記録に「阿不幾及山陵記」というものがあり、当時の石室の様子が記されているようです。
この古墳は、高松塚古墳から県道209号線を少し北に進んだところの左側にあります。丘陵上にありまして、冒頭写真にある階段を上っていけば、陵墓特有の鳥居があります。
それを通り過ぎて、何とか八角墳らしいシルエットを捕らえたいと墳丘の周囲をぐるぐると回ります。
しかし、うまくいきませんね
この写真の手前にある盛り上がりは、墳丘周囲の石段の名残でしょうかね?
そうやって、ぐるぐる回っているとおもしろいものが
宮内庁もこんなにやわらかい表現ができるのですね。
ここも陵墓指定されていますから、例によってこんな看板がありましたが、
こんないかつい書き方をしなくてもいいんですよね。
・・・・・いや~しかし、この数週間はきつかったですね。季節の変わり目ってやつでしょうか?
仕事に支障がものすごく生じました。今も病み上がりで、ちょっと無理するとまた悪化しそうです。
みなさんも体調を崩さないように、バランスのよい食事と、十分な睡眠で健康にお過ごし下さい。
ところで、今回も明日香村で、野口王墓です。これはいわゆる天武・持統合葬陵でして、被葬者が明確になっている珍しい古墳です。
東西約58メートル、南北約45メートル、高さ約9メートルの円墳状をなしていますが、築造当時は5段築成の八角墳で周囲に石談を巡らせていたようです。きれいですね。
埋葬主体は、切石製の横口式石槨で、2室あり、天武天皇は石棺に納められ、持統天皇は火葬されて金銅製の骨壺に納められていたとのこと。
しかしながら、1235年に盗掘されてしまいました。そのときの記録に「阿不幾及山陵記」というものがあり、当時の石室の様子が記されているようです。
この古墳は、高松塚古墳から県道209号線を少し北に進んだところの左側にあります。丘陵上にありまして、冒頭写真にある階段を上っていけば、陵墓特有の鳥居があります。
それを通り過ぎて、何とか八角墳らしいシルエットを捕らえたいと墳丘の周囲をぐるぐると回ります。
しかし、うまくいきませんね
この写真の手前にある盛り上がりは、墳丘周囲の石段の名残でしょうかね?
そうやって、ぐるぐる回っているとおもしろいものが
宮内庁もこんなにやわらかい表現ができるのですね。
ここも陵墓指定されていますから、例によってこんな看板がありましたが、
こんないかつい書き方をしなくてもいいんですよね。
・・・・・いや~しかし、この数週間はきつかったですね。季節の変わり目ってやつでしょうか?
仕事に支障がものすごく生じました。今も病み上がりで、ちょっと無理するとまた悪化しそうです。
みなさんも体調を崩さないように、バランスのよい食事と、十分な睡眠で健康にお過ごし下さい。