八女古墳群最後のご紹介は石人山古墳です。
岩戸山古墳の被葬者と目されている磐井の祖父ないし曾祖父の墓ではないかとみられていますが、当然分かりません。
見学したときは、春で桜が咲いていましたが、平日だったためひっそりしていました。
後円部に回り込むと石人を保存した建物があります。
どうしても扉にピントが合ってしまって中が見えにくいですね。
中に手を突っ込んで撮影しました。
顔の部分はほとんど消えていますが、よく見ると目の部分がくぼんでいます。
また、腰の左側がへこんでいることが分かるでしょうか?
石で作った剣を刷いた跡のようです。
腰のくびれの部分に赤い顔料が残っていますね。
元々は全体が赤かったのでしょうか。
背後に靫(ゆぎ)を背負っています。
足下は円筒状になっています。こうやってみると確かにこれは人物埴輪を石で作った物であることがわかります。
これは後ろから見たところ。多分靫の形になっていたのでしょうが、取れてしまっています。
この石人は身長約2メートル、阿蘇溶結凝灰岩を使用しています。
石人の裏には石室を保存した建物があります。
当然、中には入れませんから扉の隙間から手とカメラを差入れて撮影します。
周囲の煉瓦みたいな壁は石室ではありませんよね。
実際は緑泥片岩の平積みで築造された初期の横穴式石室だったようです。
おそらく、写真下の方に写っている平積みの石が石室の一部だったのでしょう。
このように寄棟造の屋根を有しております。左側にも石室の側壁の名残らしきものが見えます。どうやら石棺とぴったりサイズだったようですね。
横口式で小口部分に縄掛突起です。
中には土が詰まっていますね。
棺身は組み立て式です。
しかし、話題なのは石棺の装飾です。
直弧文のレリーフです。すばらしい!!
弧と×文様が複雑に混ざり合っています。
直弧文の上には同心円文が彫られています。
建物の裏に回ると上から覗けました。
上から見ると石棺の見事さがさらによく分かります。できればもっと明るくして欲しい。
直弧文の起源は、特殊器台や弧文円板に施された文様で、さらに遡ると楯築遺跡の弧帯文になります。しかし、さらに遡るとなんだろうと以前から思っていました。
近くにある「こふんピア広川」にあった直弧文のパンフレットによると、縄文の頃から人々に施されていた入れ墨の文様と想定されています。
確かに、人物埴輪の中には弧帯文に似た入れ墨のあるものがありますので、そういう文様が古くから引き継がれていたのでしょう。
呪術的な意味を持っていたのだと思いますが、もともとは何をモデルにしてこのような文様ができたのだろうとやはり疑問はつきません。
この石室は、解説板によると幅約2メートル、奥行約3.9メートルのようです。
江戸時代には開口していたようで、盗掘のため遺物は発見されていないようです。
古墳の全長は約107メートル(他の説明では約120メートル)、後円部径約53メートル、高さ約12メートル、前方部幅約63メートル、前方部高さ約11メートルというサイズになっています。
5世紀前半築造らしいですが、前方部の発達具合からするともっと後でもいい気がします。
九州は横穴式石室の採用も早いですね。
岩戸山古墳の被葬者と目されている磐井の祖父ないし曾祖父の墓ではないかとみられていますが、当然分かりません。
見学したときは、春で桜が咲いていましたが、平日だったためひっそりしていました。
後円部に回り込むと石人を保存した建物があります。
どうしても扉にピントが合ってしまって中が見えにくいですね。
中に手を突っ込んで撮影しました。
顔の部分はほとんど消えていますが、よく見ると目の部分がくぼんでいます。
また、腰の左側がへこんでいることが分かるでしょうか?
石で作った剣を刷いた跡のようです。
腰のくびれの部分に赤い顔料が残っていますね。
元々は全体が赤かったのでしょうか。
背後に靫(ゆぎ)を背負っています。
足下は円筒状になっています。こうやってみると確かにこれは人物埴輪を石で作った物であることがわかります。
これは後ろから見たところ。多分靫の形になっていたのでしょうが、取れてしまっています。
この石人は身長約2メートル、阿蘇溶結凝灰岩を使用しています。
石人の裏には石室を保存した建物があります。
当然、中には入れませんから扉の隙間から手とカメラを差入れて撮影します。
周囲の煉瓦みたいな壁は石室ではありませんよね。
実際は緑泥片岩の平積みで築造された初期の横穴式石室だったようです。
おそらく、写真下の方に写っている平積みの石が石室の一部だったのでしょう。
このように寄棟造の屋根を有しております。左側にも石室の側壁の名残らしきものが見えます。どうやら石棺とぴったりサイズだったようですね。
横口式で小口部分に縄掛突起です。
中には土が詰まっていますね。
棺身は組み立て式です。
しかし、話題なのは石棺の装飾です。
直弧文のレリーフです。すばらしい!!
弧と×文様が複雑に混ざり合っています。
直弧文の上には同心円文が彫られています。
建物の裏に回ると上から覗けました。
上から見ると石棺の見事さがさらによく分かります。できればもっと明るくして欲しい。
直弧文の起源は、特殊器台や弧文円板に施された文様で、さらに遡ると楯築遺跡の弧帯文になります。しかし、さらに遡るとなんだろうと以前から思っていました。
近くにある「こふんピア広川」にあった直弧文のパンフレットによると、縄文の頃から人々に施されていた入れ墨の文様と想定されています。
確かに、人物埴輪の中には弧帯文に似た入れ墨のあるものがありますので、そういう文様が古くから引き継がれていたのでしょう。
呪術的な意味を持っていたのだと思いますが、もともとは何をモデルにしてこのような文様ができたのだろうとやはり疑問はつきません。
この石室は、解説板によると幅約2メートル、奥行約3.9メートルのようです。
江戸時代には開口していたようで、盗掘のため遺物は発見されていないようです。
古墳の全長は約107メートル(他の説明では約120メートル)、後円部径約53メートル、高さ約12メートル、前方部幅約63メートル、前方部高さ約11メートルというサイズになっています。
5世紀前半築造らしいですが、前方部の発達具合からするともっと後でもいい気がします。
九州は横穴式石室の採用も早いですね。