かなり涼しくなってきました。
今回はマルコ山古墳です。マルコは、なぜ「丸子」なんかではなく「マルコ」なんでしょうか?
私などは、カタカナで「マルコ」なんて書かれると、母親を訪ねて南米大陸を旅する子どもをイメージしてしまいますが、当然それとは関係ないんでしょう。
明日香村のホームページには、大正12年に刊行されたの高市郡古墳誌に「マルコ山塚」と記載されているとのこと。やっぱり歴史のある名前なんですね。
マルコ山古墳は、飛鳥駅前を水路沿いに南に進み、高取国際高校の手前を西方向へ山に上る感じで進んで、櫛山神社の横を通り、300~400メートル進むとあります。
飛鳥巡りは自転車で回ったのですが、マルコ山古墳は山沿いに上っていくので、汗だくだく・・・
着いたらこんな感じです。
段築の向こうに少しだけ墳頂が見えますね。
この古墳は一見して円墳に見えるのですが、実は発掘調査の結果、二段築成の一辺24メートルの六角墳である可能性が高くなっています。
到着して、とりあえず段築の様子を撮影します。
1段目の上が、平らになっている様子が分かるでしょうか?
それから、頂上に登って、本当に六角形なのかどうか見てみました。円墳でなくて、多角形墳であれば墳丘の外縁が曲線ではなく、直線的になっているはずです。
どうです?段築の縁が何となく直線的ですよね?そう見えませんか?気のせいかな?
埋葬主体も発掘されていまして、凝灰岩製の横口式石槨です。こんな感じ。
非常に精緻ですね。
そのほか、中からは漆塗りの木棺や金銅製の飾り金具、30歳くらいの男性の人骨が発見されています。
墳丘の北側にはバラス敷きが発見されており、バラスの下には岩盤を彫り込んだ暗渠(地上からは見えないように作られた水路。)排水溝がありました。山沿いに作られた古墳なので、山からしみ出てくる地下水を効率よく排水する必要があったのですね。
最後に、マルコ山古墳の頂上から飛鳥駅方面を撮影してみました。
明日香村巡りはもう少し続きます。
今回はマルコ山古墳です。マルコは、なぜ「丸子」なんかではなく「マルコ」なんでしょうか?
私などは、カタカナで「マルコ」なんて書かれると、母親を訪ねて南米大陸を旅する子どもをイメージしてしまいますが、当然それとは関係ないんでしょう。
明日香村のホームページには、大正12年に刊行されたの高市郡古墳誌に「マルコ山塚」と記載されているとのこと。やっぱり歴史のある名前なんですね。
マルコ山古墳は、飛鳥駅前を水路沿いに南に進み、高取国際高校の手前を西方向へ山に上る感じで進んで、櫛山神社の横を通り、300~400メートル進むとあります。
飛鳥巡りは自転車で回ったのですが、マルコ山古墳は山沿いに上っていくので、汗だくだく・・・
着いたらこんな感じです。
段築の向こうに少しだけ墳頂が見えますね。
この古墳は一見して円墳に見えるのですが、実は発掘調査の結果、二段築成の一辺24メートルの六角墳である可能性が高くなっています。
到着して、とりあえず段築の様子を撮影します。
1段目の上が、平らになっている様子が分かるでしょうか?
それから、頂上に登って、本当に六角形なのかどうか見てみました。円墳でなくて、多角形墳であれば墳丘の外縁が曲線ではなく、直線的になっているはずです。
どうです?段築の縁が何となく直線的ですよね?そう見えませんか?気のせいかな?
埋葬主体も発掘されていまして、凝灰岩製の横口式石槨です。こんな感じ。
非常に精緻ですね。
そのほか、中からは漆塗りの木棺や金銅製の飾り金具、30歳くらいの男性の人骨が発見されています。
墳丘の北側にはバラス敷きが発見されており、バラスの下には岩盤を彫り込んだ暗渠(地上からは見えないように作られた水路。)排水溝がありました。山沿いに作られた古墳なので、山からしみ出てくる地下水を効率よく排水する必要があったのですね。
最後に、マルコ山古墳の頂上から飛鳥駅方面を撮影してみました。
明日香村巡りはもう少し続きます。