遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

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佐紀石塚山古墳

2013-01-17 22:52:31 | 日記
平城京から佐紀陵山古墳ときて、その隣の佐紀石塚山古墳です。
これは佐紀陵山古墳と隣り合っているというか、くっついている感じの古墳です。ちょうど、佐紀石塚山古墳の東側のくびれ部分に、佐紀陵山古墳の後円部が食い込んでいる感じです。

全長約218.5メートル、前方部幅約121メートル、後円部径約132メートル、後円部高さ約19メートル、前方部高さ約16メートル、三段築成の巨大古墳です。葺石が多用されていたために石塚山と名付けられているようです。
この古墳も周濠が極端に狭いですね。佐紀陵山古墳に接近しすぎているので。

これは、東側の後円部から前方部方向を撮影したものです。ほとんど後円部の縁に沿って周濠が作られています。

この古墳は、成務天皇の墓とされていまして、例によって宮内庁が管理しています。立ち入ることもできません。さらに古墳についての解説板もありません。したがって、今回もネット情報を前提にお話ししています。
ああ、もったいない。もう少しサービス精神を発揮して欲しいものです。

私は、隣の佐紀陵山古墳を見た後、この古墳に前方部の方向から近づきます。

これは前方部。

これは後円部。
後円部の先端付近では、「これ以上回り込むな」と柵が立てられていました。


この古墳は、江戸時代の調査によると後円部に竪穴式石室があり、中に長持ち形石棺が安置されているようです。また、平安時代と江戸時代にそれぞれ盗掘を受けており、勾玉などが持ち出されたとのこと。

この古墳の築造時期は、古墳時代前半末とのことですが、これは周囲の古墳の築造時期や古墳の墳形からの推測のようです。埴輪などの調査ができていないようですから、よく分からないのでしょう。

この古墳と隣の佐紀陵山古墳を航空写真で見ると、箸墓古墳などと比べると前方部が太くなっており、先端がバチ形にはなっていません。

写真で見ると、なんだか二匹のサンショウウオの上半身(?)が並んでいるようで、ほのぼのしますね。

次回は、自分的にはかなり注目度の高い古墳をご紹介します。

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