引き続き、帰省先での古墳見学です。
鬼ヶ城古墳です。これも、行き方がわかりにくい古墳です。玖珠町立森中央小学校の裏の川を渡って、集落内を抜けると、はずれに武内神社への階段があります。
これを上ると、鳥居があり、
さらに石畳の道を上ると武内神社があります。こんなのです。
さらに武内神社を背にして、竹と杉の林の中を進みます。この日はかなり寒かったのですが、この辺まで上ると汗をかいてきました。
すると突然おもしろいものが現れます。
????
こんな山の尾根上に水田?? 当たり前ですが、水利がよいはずがないし、大体田んぼにするんでしたら、尾根の面積はもっとあるから、もっと広い水田を作ってもよいはずです。
ひょっとして、これが伝え聞いた隠田(かくした。年貢米を逃れるために隠れて作った田のこと。)なのでしょうか?
だとしたら結構スゴイものを見つけたかも。
さらに、上ると道に突き当たります。それを左に曲がると数メートル先に古墳への案内があります。
これに従って上るとあからさまに怪しい穴を発見!
中を覗いても、
これ違いますね。近隣の方が古墳をまねて作ったのでしょうか?ヒマですね。
そこから、ほんの30メートルほど進むと、
ありました。
早速中へ。
巨大な鏡石!上にあるのは・・
石棚ですね!
左側壁の腰石です。2メートルくらいあるそうです。巨大です。
これは左側壁の上部。
右側壁です。
その上部。
石棚の上を覗くと、
それから、天井石です。
最後に本日のメインディッシュ、線刻画です。線刻画は前室と玄室の境目の右袖石に彫られています。
先を下にした、大きな葉っぱの模様が分かりますでしょうか?葉脈も描かれていますね。
アップ。葉脈の様子が分かりますね。
この古墳は、現状で直径約14メートル、高さ約5メートルです。以前は杉林で覆われていたそうですが、昭和63年の19号台風によりすべてなぎ倒されてしまったとのこと。だから、現在ずいぶん見通しのよい所にあるわけですね。
玄室と前室の複室構造ですが、すでに羨道部は失われています。全長は約5,7メートルです。
写真では、葉の写真を見ました。実は人物や、群鳥、船の線刻も確認されていたそうですが、現在は失われてしまったとのこと。
ものすごーく残念です!!
築造時期は、7世紀初頭ころと見られています。
鬼ヶ城古墳です。これも、行き方がわかりにくい古墳です。玖珠町立森中央小学校の裏の川を渡って、集落内を抜けると、はずれに武内神社への階段があります。
これを上ると、鳥居があり、
さらに石畳の道を上ると武内神社があります。こんなのです。
さらに武内神社を背にして、竹と杉の林の中を進みます。この日はかなり寒かったのですが、この辺まで上ると汗をかいてきました。
すると突然おもしろいものが現れます。
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こんな山の尾根上に水田?? 当たり前ですが、水利がよいはずがないし、大体田んぼにするんでしたら、尾根の面積はもっとあるから、もっと広い水田を作ってもよいはずです。
ひょっとして、これが伝え聞いた隠田(かくした。年貢米を逃れるために隠れて作った田のこと。)なのでしょうか?
だとしたら結構スゴイものを見つけたかも。
さらに、上ると道に突き当たります。それを左に曲がると数メートル先に古墳への案内があります。
これに従って上るとあからさまに怪しい穴を発見!
中を覗いても、
これ違いますね。近隣の方が古墳をまねて作ったのでしょうか?ヒマですね。
そこから、ほんの30メートルほど進むと、
ありました。
早速中へ。
巨大な鏡石!上にあるのは・・
石棚ですね!
左側壁の腰石です。2メートルくらいあるそうです。巨大です。
これは左側壁の上部。
右側壁です。
その上部。
石棚の上を覗くと、
それから、天井石です。
最後に本日のメインディッシュ、線刻画です。線刻画は前室と玄室の境目の右袖石に彫られています。
先を下にした、大きな葉っぱの模様が分かりますでしょうか?葉脈も描かれていますね。
アップ。葉脈の様子が分かりますね。
この古墳は、現状で直径約14メートル、高さ約5メートルです。以前は杉林で覆われていたそうですが、昭和63年の19号台風によりすべてなぎ倒されてしまったとのこと。だから、現在ずいぶん見通しのよい所にあるわけですね。
玄室と前室の複室構造ですが、すでに羨道部は失われています。全長は約5,7メートルです。
写真では、葉の写真を見ました。実は人物や、群鳥、船の線刻も確認されていたそうですが、現在は失われてしまったとのこと。
ものすごーく残念です!!
築造時期は、7世紀初頭ころと見られています。