ネットでよく見る古墳です。
この「艸」という文字がインパクト強くて印象に残りますね。
なんかこんな感じ (^艸^) で絵文字で使われていますね。
以前ご紹介しましたが、「コロコロ山古墳」も比較的近くにあるのです。
同じ桜井市のホケノ山もそうですが、変わった名前の古墳は割と多いですね。
しかし、この古墳はこんなつまらない前置きとは無関係に大変大変立派な古墳です。
艸墓古墳は、安倍文殊院の北側に位置する住宅地内にひっそりとたたずんでおります。
こうやって見ますと円墳のようですが、実際は平面図形としては長方形の方墳です。
長辺が約27メートル、短辺が約21メートルです。
横穴式石室が南東方面に開口しています。それでは中に入ってみましょう。
羨道部の側壁が入り口側で二段、玄門側で一段になっているのが分かります。
正面に大きな家形石棺が見えますが、どうも羨道部と同じかそれ以上のサイズです。羨道部を通して玄室に安置するのは難しそうですね。実際かなり大きく、石棺の高さは私の身長(179センチメートル)と同じくらいかそれ以上です。
解説によると、石棺を安置した後、石室を構築して墳丘を築いたと考えられています。
石棺の両脇です。
結構玄室ぎりぎりのサイズとなっています。
天井石です。
石棺の屋根です。誠に美しい稜線です。
わずかしか見えませんが、奥壁は一枚岩です。しかも、奥壁と天井石ははめ込み式になっていますね!
縄掛突起も美しい・・・・
奥壁側には盗掘抗が・・・罰当たりなことです(-_-)
しかし、おかげで(?)石棺内部を覗けます。
床に小礫が敷き詰められていますね。
例によって石棺内部も家形に整形されていて、実に見事です。
奥壁側から縄掛突起を改めて確認。
美しい・・・
うーんやっぱり美しい・・・
石室は、全長13.16メートル、玄室幅2.71メートル、玄室長4.44メートル、玄室高2.0メートル、羨道長8.72メートル、玄門部付近幅1.9メートル、同高さ1.5メートルの堂々としたサイズです。
側壁、天井石の隙間には漆喰を充填しています。
盗掘のため、遺物は発見されていないようです。
残念ですな~
築造時期は、7世紀中頃とのこと。
いずれにせよ終末期古墳の大変きれいな例ですね。
艸墓古墳は、自動車で来ても安倍文殊院の駐車場に駐めれば、安倍文殊院古墳や谷首古墳とセットで見れてとっても便利です。
この「艸」という文字がインパクト強くて印象に残りますね。
なんかこんな感じ (^艸^) で絵文字で使われていますね。
以前ご紹介しましたが、「コロコロ山古墳」も比較的近くにあるのです。
同じ桜井市のホケノ山もそうですが、変わった名前の古墳は割と多いですね。
しかし、この古墳はこんなつまらない前置きとは無関係に大変大変立派な古墳です。
艸墓古墳は、安倍文殊院の北側に位置する住宅地内にひっそりとたたずんでおります。
こうやって見ますと円墳のようですが、実際は平面図形としては長方形の方墳です。
長辺が約27メートル、短辺が約21メートルです。
横穴式石室が南東方面に開口しています。それでは中に入ってみましょう。
羨道部の側壁が入り口側で二段、玄門側で一段になっているのが分かります。
正面に大きな家形石棺が見えますが、どうも羨道部と同じかそれ以上のサイズです。羨道部を通して玄室に安置するのは難しそうですね。実際かなり大きく、石棺の高さは私の身長(179センチメートル)と同じくらいかそれ以上です。
解説によると、石棺を安置した後、石室を構築して墳丘を築いたと考えられています。
石棺の両脇です。
結構玄室ぎりぎりのサイズとなっています。
天井石です。
石棺の屋根です。誠に美しい稜線です。
わずかしか見えませんが、奥壁は一枚岩です。しかも、奥壁と天井石ははめ込み式になっていますね!
縄掛突起も美しい・・・・
奥壁側には盗掘抗が・・・罰当たりなことです(-_-)
しかし、おかげで(?)石棺内部を覗けます。
床に小礫が敷き詰められていますね。
例によって石棺内部も家形に整形されていて、実に見事です。
奥壁側から縄掛突起を改めて確認。
美しい・・・
うーんやっぱり美しい・・・
石室は、全長13.16メートル、玄室幅2.71メートル、玄室長4.44メートル、玄室高2.0メートル、羨道長8.72メートル、玄門部付近幅1.9メートル、同高さ1.5メートルの堂々としたサイズです。
側壁、天井石の隙間には漆喰を充填しています。
盗掘のため、遺物は発見されていないようです。
残念ですな~
築造時期は、7世紀中頃とのこと。
いずれにせよ終末期古墳の大変きれいな例ですね。
艸墓古墳は、自動車で来ても安倍文殊院の駐車場に駐めれば、安倍文殊院古墳や谷首古墳とセットで見れてとっても便利です。