三つのグループに属して、一応、どのグループでも言いたいことは言い尽くして、できる限りの頭使って、燃え尽きました。
もちろん、最終的に提出された訳に、必ずしも私の出した訳が使われた訳ではないけど、
1. なかなかいいんじゃない?
2. 受け取り方が様々ありすぎて、もはやどんな訳が来てもOK、うまくまとまったからよし!
という二つのグループの訳もあれば、
3. 私の訳したものが使われてる箇所はある、が、私の主張は全く受け入れられなかった
というのがある。
いや、私の主張が受け入れられなかった、てのは、最終的にまとめたリーダーたちの主張と合わなかったからだろうというのは想像がつく。
だからそれは仕方ないことだとも思える。
でも、理解し難いのは、
最終案です、みなさんの意見を聞かせてください、
と意見を聞いたくせに、そこに寄せられた多数の意見をほとんど汲んでくれなかった、という点。
じゃあ、なんでみんなの意見を聞いたの?!
自分たちの主張を曲げないつもりなら、きかなかったら良かったのに!
原文の味を残す方がいい、あんまりな意訳はフランス語を勉強してる身分としては嬉しくない、そういう意見の方が多かったと思うのに、
全くの意訳で、原文にある単語がでてこず(問題になった部分について)、作詞者へのインタビューで初めて分かった内容から歌詞を作ったようなものになってしまった。
だから私は完成した時、
お疲れ様でしたとコメントしたかったけども、
うまい歌詞が出来上がりましたね、とか、
雰囲気はよく伝わる訳になりましたね、
とか、皮肉るようなコメントになりそうでやめた。
クレジットのせますか、ときかれていたけど、
これを良しとできないのに、クレジット載せてこれを訳しました、と言いたくなかった。
いや、本当は、そこに名前載せたくて頑張ってたんだけど。だからなんかすごい葛藤をしてる。自分の中で。
確かに訳したし、考えた、ああでもないこうでもないと、なかなか盛り上がらない場を盛り上げようと(余計なお世話ででしゃばりだったかもしれないけど)、あれこれやってみた。
他のことしないで、これでもか!て力注いだ。
だから、余計、ものすごくガッカリで。
で、全然違う方向性で訳してた人が、素晴らしい!と褒めちぎるのを読んで、
大人だなあとか思ったりして。
私はそこまで大人になれない。
自分の意見を取り入れられなかったことより、なんか何を言っても意味がないような気がして、参加してるのがすごく、なんていうかすごく、悲しいというか寂しいというか。
相性の問題?
でも私はその歌詞をものすごく訳したかったのだ。
一番思い入れがあったのかな、だから余計思うところがあるのに、
誰の意見も取り入れられなかったのが、届かなかったのが悲しい、んだと思う。
ここにこんなことを書いてしまうのは、吐き出さないとやりきれないから。
自分が間違ってるのかもしれない。
みんな同じようにがんばったと思ってるし、
頑張ったから必ずしも報われるわけじゃないのは分かるし、
大勢訳者がいたら当然だし、
だけど、やり切れないのは、
最後まで議論に顔を出さなかった人たちが、
みんなの意見にいいとも悪いとも言わず、
自分の意見(方向性)を言わなかった人たちが、
最後の最後にみんなを裏切るようなことをした、
と私が思ってしまってるから。
受け止め方の問題?
あの歌詞はいいと思う。雰囲気はすごく伝わる。
カミーユの原文そのままだと全然さっぱり意味が分からなかったから。
でも雰囲気を伝える歌詞だから抽象的だ。
私に言わせれば訳詞じゃない。
だから、補助的な言葉を足して、カミーユの言葉の世界と雰囲気を同時に味わって欲しかったのにな。
暴言吐いてごめんなさい。
提出された歌詞が再提出って添削されて戻ってきたらいいのに、とか思っててごめんなさい。
吐き出したらスッキリするかな。
もやもやなくなるかな。
あんなに毎日毎日FBに投稿してたのに、
まだ、完成しました、の投稿にコメントできないの、不自然だよねーと思いつつ、まだできない。
もちろん、最終的に提出された訳に、必ずしも私の出した訳が使われた訳ではないけど、
1. なかなかいいんじゃない?
2. 受け取り方が様々ありすぎて、もはやどんな訳が来てもOK、うまくまとまったからよし!
という二つのグループの訳もあれば、
3. 私の訳したものが使われてる箇所はある、が、私の主張は全く受け入れられなかった
というのがある。
いや、私の主張が受け入れられなかった、てのは、最終的にまとめたリーダーたちの主張と合わなかったからだろうというのは想像がつく。
だからそれは仕方ないことだとも思える。
でも、理解し難いのは、
最終案です、みなさんの意見を聞かせてください、
と意見を聞いたくせに、そこに寄せられた多数の意見をほとんど汲んでくれなかった、という点。
じゃあ、なんでみんなの意見を聞いたの?!
自分たちの主張を曲げないつもりなら、きかなかったら良かったのに!
原文の味を残す方がいい、あんまりな意訳はフランス語を勉強してる身分としては嬉しくない、そういう意見の方が多かったと思うのに、
全くの意訳で、原文にある単語がでてこず(問題になった部分について)、作詞者へのインタビューで初めて分かった内容から歌詞を作ったようなものになってしまった。
だから私は完成した時、
お疲れ様でしたとコメントしたかったけども、
うまい歌詞が出来上がりましたね、とか、
雰囲気はよく伝わる訳になりましたね、
とか、皮肉るようなコメントになりそうでやめた。
クレジットのせますか、ときかれていたけど、
これを良しとできないのに、クレジット載せてこれを訳しました、と言いたくなかった。
いや、本当は、そこに名前載せたくて頑張ってたんだけど。だからなんかすごい葛藤をしてる。自分の中で。
確かに訳したし、考えた、ああでもないこうでもないと、なかなか盛り上がらない場を盛り上げようと(余計なお世話ででしゃばりだったかもしれないけど)、あれこれやってみた。
他のことしないで、これでもか!て力注いだ。
だから、余計、ものすごくガッカリで。
で、全然違う方向性で訳してた人が、素晴らしい!と褒めちぎるのを読んで、
大人だなあとか思ったりして。
私はそこまで大人になれない。
自分の意見を取り入れられなかったことより、なんか何を言っても意味がないような気がして、参加してるのがすごく、なんていうかすごく、悲しいというか寂しいというか。
相性の問題?
でも私はその歌詞をものすごく訳したかったのだ。
一番思い入れがあったのかな、だから余計思うところがあるのに、
誰の意見も取り入れられなかったのが、届かなかったのが悲しい、んだと思う。
ここにこんなことを書いてしまうのは、吐き出さないとやりきれないから。
自分が間違ってるのかもしれない。
みんな同じようにがんばったと思ってるし、
頑張ったから必ずしも報われるわけじゃないのは分かるし、
大勢訳者がいたら当然だし、
だけど、やり切れないのは、
最後まで議論に顔を出さなかった人たちが、
みんなの意見にいいとも悪いとも言わず、
自分の意見(方向性)を言わなかった人たちが、
最後の最後にみんなを裏切るようなことをした、
と私が思ってしまってるから。
受け止め方の問題?
あの歌詞はいいと思う。雰囲気はすごく伝わる。
カミーユの原文そのままだと全然さっぱり意味が分からなかったから。
でも雰囲気を伝える歌詞だから抽象的だ。
私に言わせれば訳詞じゃない。
だから、補助的な言葉を足して、カミーユの言葉の世界と雰囲気を同時に味わって欲しかったのにな。
暴言吐いてごめんなさい。
提出された歌詞が再提出って添削されて戻ってきたらいいのに、とか思っててごめんなさい。
吐き出したらスッキリするかな。
もやもやなくなるかな。
あんなに毎日毎日FBに投稿してたのに、
まだ、完成しました、の投稿にコメントできないの、不自然だよねーと思いつつ、まだできない。