龍田 樹(たつた たつき) の 【 徒然ブツブツ日記 】

目についたこと気になることをブツブツと語っていきます。たまぁ~に神霊的情報も有り。更新はかなり気ままですので悪しからず。

大〇〇日神

2011-07-23 15:36:47 | 神々さまと神界・幽界の基礎知識

Rさん、コメントありがとうございました。Rさんは、そちらの地域で神様の大事なお仕事をされていらっしゃる由、これからもよろしくお願い致します。

さきほどの地震で、岩手県遠野市が震度5強と聞いて、先般投稿したブログのことを思い出して、少しゾッとしています・・・。

八十〇〇日神の通名と、大〇〇日神の通名は一緒ですが、同一の神様でもないようです。伊邪那岐大神が中瀬に入り禊をなされた際には、八十〇〇日神が先に、次に大〇〇日神がお生まれになったと古事記には記されていますし、『禊祓詞』にはその場面そのものが記されています。

遠野の早池峰山に祀られた〇〇〇姫神とは、八十〇〇日神と大〇〇日神の両方の神格をお持ちになっている祓戸の大神(はらえどのおおかみ)なのかもしれません・・・。

大〇〇日神は、世の中に凶事をもたらす原因となる“穢れ”を支配し、元々は祝詞などの呪いの言葉と関係する神であり、神祀りの際に神に対して間違った言葉を奉じると災厄をもたらし、正しく祀れば凶時の災厄から守護するという、言霊的な神ではないかといわれています。

『古事記』では、八十〇〇日神と大〇〇日神という禍(まが)の神がお生まれになった直後、『次にその禍を直さむとして』、神直日神(かむなおいのかみ)と大直日神(おおなおいのかみ)がお生まれになります。このことは人間界では、おそらく、62回式年遷宮によって直日(ナオイ)が行われるのではないでしょうか?

 


鎮魂の旅

2011-07-23 10:45:07 | “スピ”コラム

先週はいろいろなことがありました。

木曜日、体調を崩して一ヶ月ほど入院していた祖母が98歳で亡くなりました。金曜日、土曜日と通夜や葬儀のために、実家とこちらを往復しました。大正2年生まれの祖母は、57回式年遷宮のその年に生まれたことになります。62回式年遷宮を迎えるのに一年半足りませんでした・・・。ボケもせず入院するまでは元気に暮らしていましたから大往生だと思います。おばあちゃん子で一番可愛がられた孫でしたが、なんの恩返しもできぬまま祖母を見送ることになりました。

日曜日は、Sさんを車に乗せて被災地である福島県と宮城県の三陸海岸の町々まで行きました。Sさんが被災で亡くなった方々の“魂上げ(たましいあげ)”をするためです。

震災後、被災したSさんと会ったときから、Sさんから「被災地を全部回って魂上げしなくちゃいけない。そのときは協力してくれ」と言われていました。岩手県の三陸海岸の町々は、家内が運転して二度の“魂上げ”を行い終了していました。今回は、福島の国見峠まで行き、そこで福島全体の“魂上げ”をし、そこから三陸海岸に向かい、石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市と北上しながら“魂上げ”をするという計画で、走行距離が長いので今回は私が参加して運転することにしました。

国見峠は福島盆地を一望できる場所です。高速道路の上りサービスアリアに、絶好のビューポイントがありますので、Sさんをそこに案内しました。その場所にSさんが立ち“魂上げ”を始めると、Sさんに向かってくる霊体のエネルギーが凄まじく、それが風圧のような圧迫感に感じられました。20分ほどの“魂上げ”を終えたSさんは、疲労困憊して「腰が抜けそうだ」と言っていました。

石巻~女川~南三陸町~気仙沼のルートは、その惨状に絶句する状況でした・・・。空襲を受けた街はこうなるのだろう・・・という灰色の光景がどこまでも広がっています。テレビで見る光景と実際に見る光景ではリアリティがまったく違いました・・・。どの町も、動かせる瓦礫をかろうじて片付けただけで、建物や鉄橋にバスや車が乗り上げている状態はそのままで、復興はおろか復旧にさえ程遠いような状況でした。

女川から南三陸町に向かう、海沿いの国道398号線は被害がひどく、地盤が崩壊して一車線になっていたり流されて架設の橋がかかったりしてました。石巻市の北上川河口にかかる新北上橋が通行止になっていて、大迂回してようやく45号線に入ると崩落のため通行止になっていたりと、かなり迂回や遠回りしながらも、三陸高速道に乗って南三陸町に入ることができました。南三陸町では“山際さんの物資支援”で私もわずかばかり物資を送った歌津の前を通ることができて嬉しかったです。(今度は車で直接物資を届けてみたいと思いました)

その日、朝8時に出発して夜12時近くに帰着しましたが、7月17日をもって、三陸沿岸全域の被災地の“魂上げ”を無事終了することができました。4月のはじめにSさんから、「なるべく早く被災地全域の“魂上げ”をしたいから協力してくれ」と言われたとき、「Sさん自身も被災しているのにがそんなに早くやれるのかな?」と思いましたが、Sさんの強い意志でそれは実行されました。

“鎮魂の旅”を実行するために、自らが被災者であるSさんが、どれほどのお金を使ったかを私たちは知っています。それはけっして少ない金額ではありません。それは、Sさんにとって、まず今後の生活にとって必要な大切なお金でしょう・・・。普通の人間ならそう考えます。しかし、Sさんはそういうことに一切関心や執着を見せません。「今与えられた使命を果たす」それだけに集中しています。

“鎮魂の旅”を終えて、Sさんの“使命感”というものに感銘を受けた私でした。