昨夜、携帯で図書館の予約をしていて、ブログの方もチラッと見てみたら、閲覧人員数はいつも通りなのに、閲覧回数が900ヒットを越えていたのでビックリしました。
「おのおの方、過去ログをこれほどまでに読んで下さっているとは…うううっ。この健龍嬉し涙でござる」
これは、これまでの、めんどくさい内容の過去ログをじっくり読んで頂くにはいい機会だと思いまして、お蔵入りさせていた“Roots”の方も、今日公開しましたんでお暇なおりに読んで下さい。
“Roots”はネットで入手出来る資料だけを元にして、その資料の比較検討と分析を元にして推論を組み立てたものですが、自分でもかなりイイ線いってると思ってまして、しかし、それをこのままブログで公表していると小説のネタばらししちゃうことになるんで、ブログでの“Roots”のエントリーは止めて、過去ログもお蔵入りにして置いた訳です。
が、しかし、地元研究家が25年程前に出していた研究書を読む機会が日曜日にありまして、少ない時間で斜め読みしたところ、「な~んだ、この本に書いてあるじゃない」ってことも判明したので、「それじゃ、俺の推論もあんまりオリジナリティのあることでもないから、しまって置く必要もないな」と思っておりました。
例えば、僕はブログの中で南部氏の糠部の領地について櫛引八幡宮の遷宮から推定してみましたが、その研究書に同じことが書いてあったので、「やっぱ人間考えることは一緒だな」と思いました。
(その研究書とは、とらねこ氏がH市の湊文庫で入手したという例の本であります。とらねこ様、その○万○千円もした本が、某所のブックオフで100円の値がつけられ、しかもそれが半額セールで50円で販売され、なんと50円で購入された方がいるのです・・・。そんなこともあるのですねぇ)
残念ながらその研究書は僕の手元にはないので、昨日、図書館に行って、その研究書と県史の資料である“遠野南部家文書”を調べてノートして来ました。
朝10時から昼3時まで休憩もせずに5時間びっしり書き写しましたが焼け石に水で全然書ききれません。
「こりゃソックリそのままコピーするしかないな」と観念して、研究書の方は貸し出し予約をしてきました。借りたら全部コピーするつもりです。
県史資料の「遠野南部家文書」の方は貸し出ししていなくて閲覧しか出来ません。分館の方では貸し出していることが判りましたが、ものすごくデカイ本で、縦30cmもあるのでコピー出来るかどうか判りませんので、昨日はとにかくその“遠野南武家文書”の方を中心にひたすら書き写して来ましたのです。おかげで右手にペンだこが出来そうな案配です。
今日はとらねこ氏のブログに出てくる、湊文庫に早速行ってきたのです。湊文庫は僕の店の比較的近くにあるのです。
以前、1.2度行ったことがあって確か歴史関係の古書が多かったので、もしかしたら例の研究書があるかな?(あったとしても○万○千円だと買えはしないのですが)と思って昼休みに行って見ました。
その本はありませんでしたが、工藤貞行の津軽の合戦での活躍を書こうとしている僕には、福音というべき本が見つかりました。
「津軽諸城の研究」という本で、中世から近世にかけて津軽に存在した城や舘や砦を網羅し、その歴史と合戦について詳細に書かれた本です。これはH図書館にも草稿版しか所蔵されていないので、完全版が手に入ったのはかなりラッキーでした。
その他、県内の新聞社の社長さんだった方が書かれた、「工藤物語」という工藤祐経以降の工藤氏の歴史を書いたものも見つけ、二冊買って端下をまけてもらいました(笑)
工藤祐経を祖とする伊藤家伝来の筋兜
(いつも匿名非公開希望様、「庵木瓜」紋の付いておりますご先祖様の兜にございますぞ)
現在、私の「工藤貞行」はプロローグでして、南部師行が、工藤兵衛尉三郎の居城である八戸ノ城(はちのへのじょう)を攻めようと合戦準備をしている場面を書いています。
史料上空白で想像するしかないところが、小説では自由に設定できて面白く書けるところです。史料は綿密に考証して、それで不明な点は大胆に想像、推論して大方のプロットは決定しました。
あやふやだったところも明確になって、逆に、師行や貞行の北条方残党討伐についての戦略や、後の十三湊の安東氏に対する戦略も判って来たような気がします。
これからはとにかく書くだけです。ではみなさん、ブログはたまに書きま~す。