吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

茶の湯と縮み文化

2005年05月17日 08時13分39秒 | Weblog
 韓国きっての文化論客、李御寧の『縮み志向の日本人』を読み返してみた。
 二十年前にこの著作を読んだ時と今では茶に関しては当時と異なった感慨をもっている。 氏は日本の茶の湯は縮み文化の最たるものとしている。
 申すまでもなく、日本の侘び茶は村田珠光(一四二三~一五〇二)に始まり、武野紹鴎、千利休によって完成された。紹鴎と利休は堺の豪商で、市中の「閑居」を茶室とした。
 さかのぼって『方丈記』(鴨長明)の世俗を離れた閑居を理想とし、禅を背景にした茶の湯のきまりを作った。
 禅の開祖は達磨である。西域から来て梁の武帝と問答して…余の寺院や僧を育成した功徳如何?にたいし、「功徳ナシ!」と返答した達磨は葦舟に乗り、河北に至って崖石に向かい、七年間の座禅をしたが、眠気を防ぐため朦朧となった瞼をえぐって投げ捨て、それが芽を出し、木になったのが茶の木だと言われている。茶の湯も迷妄を覚まし、無心になるせかいを志向している。
 『喫茶養生記』の栄西(一一四一~一二一五)は酒の害から守ろうと、三代将軍、実朝のためにこの著作をしたと言われる。
 茶を喫するのに、日本では狭い茶室や、露地、蹲踞(つくばい)狭い躙口、(にじりぐち)中にはいれば狭い部屋にふさわしい正座をしなければならない。
 李御寧は縮み志向の茶の湯のみならず、昔噺も日本は一寸法師、親指姫のほか、桃太郎、金太郎、牛若丸、は子供、小さな豆を愛した日本人の縮み志向と指摘した。これに対して、韓国では済州島の民話に、風の神、パラマがでてくるが、その放つ矢で三千の兵士が湧くと言う。善聞台のばあさんは巨女で、漢拏山に横になると足が海に届いたという。
 民話で縮みと拡大が比較され、茶の湯では徹底して縮みだが、反対に無心の心のせかいは無限の宇宙にまで広がってゆく。
 狭い茶室にあっても、精神せかいは禅の『空』に広がって、その意味では縮みの拡大とも言える。
 達磨の眼と茶の湯には意味の多い含みがある。
 茶樹はツバキ科の小木である。中国原産の茶は世界中に南方系と北方系に広がってそれぞれチャとティとよばれるようになったが、茶を飲むのにこれほど、作法化され、魂の昇華を意識した国は日本だけであろう。
 縮み文化のなかに大いなる拡大精神を研磨したいものである。
 ちなみに、李御寧が指摘した縮みの啄木の歌。
 東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる…。
 東海から蟹と涙の滴まで、の、を重ねて縮ませたと表現したが、じつはこの歌の真意は別の所にあったらしい。
 私は盛岡高校出身の友人から…これは性の歌と聞いたがなるほどと思った。

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