吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

コウライ男の随想 五

2005年10月26日 09時22分19秒 | Weblog
カウライ男の随想 五

 女子生徒逹はみな同じ大畑井に住む子供逹で離れてはいるが各自の家から徒歩で五、六分の距離である。月夜はべつとして夜は提灯なしでは歩けない。傾斜地の小道には崖あり、沢あり竹藪ありで転落すると大怪我をする。懐中電灯などもつ家庭はほとんどいない。「お父が先生にって!…」
 級長の芳香が差し出した徳利はドブロクの香りがした。
…今度赴任した先生は若いけんど、しょう(たいへん)酒に強いそうな…こんな噂は最初に校長と挨拶に行った大畑井の村会議員で学務委員の永森国盛の口から西峰全体にひろがるのに二日とかからなかった。
 そこで夜学にことかけてこうして集団でやってきたのだ。
 ドブロク攻勢は週に一度、男女生徒がかわるがわる夜にやってきた。
 昭和十七年には戦時統制令で主食は配給、酒類も同じで国民は食べるのにきゅうきゅうとしていた。
 高知市の市民はどの家も食料を求めて目の色変えて確保に夢中の暮らしを余儀なくされていた。農村も同じであるが主食は確保されていたので食べる心配はなかったし、酒類は違反だが密造酒にたよるほかなかった。
 土佐人気質というか、密造酒殺人事件も起きている。ある郡の間税調査に訪れた税務官が情報をもとにある農家を突然調査した所、奥座敷に大掛かりの醸造桶を発見、慌てた農民が梯子で上った税務官の梯子をひっくり返して、税務官は深さ二米ほどの醸造桶に転落死する事件が起きた。
 西峰ではそんな大掛かりの密造はなく、各自が自宅で飲む程度゛のドブロクは畑の小屋などでどの農家も作っていた。
 ただし生きた菌の変化も激しく、頃合の飲みぐあいは微妙らしい。 私は完成のドブロクを飲む立場でその苦労をしらなかった。

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