吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

論山まで

2005年05月28日 08時18分05秒 | Weblog
 ソウル駅は朝鮮総督府時代に開業した幹線駅で戦前は北の新義州を経て旧満洲にいたる全長七百キロに及ぶ幹線鉄道の中心駅である。 東京駅と同じく落ち着いた煉瓦建築で、今もそのまま保存され、ホームも旧上野駅を彷彿させる。
朝の八時三十分発の急行列車(特室)に乗った。
 目的地の論山(ノンサン)までの途中、大田(テーチョン)で釜山行きと南端の麗水(ヨースイ)行きに分かれる。
 駅のホームでうろうろしてると、いち早く日本人と知った駅員が私を指定車両まで案内してくれた。
 私は気動車の発車合図の警笛の音を聞いて一人笑いをした。   のんびりした韓国の赤牛の鳴く声に似ていたからだ。
 忠清道庁のある公州を経て論山まで約、一時間半の旅である。
 日本の旧急行列車と同じく向かい合った四人がけの座席に、故郷の麗水へ帰る女の親子連れが…失礼します…と会釈して乗り込んできた。
 発車して間もなく、社内販売がやってきたので、ガムとスナックを求め、そっと五才くらいの女の子の手ににぎらせた。
 驚いたのはその時だった。
 恥ずかしそうな小さな声で…コマヨ!(ありがとう)と言った途端、突然、イチ、ニィ、サン、シィ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、ク、ジュ、と早い日本語の数がとびだしたのだ。
「銀行勤めの主人が教えたんです…」と若い母親は微笑みながら言った。
 それにしてもどうしてまだ五才くらいなのに私を日本人と見破ったのか、ソウルの繁華街で群衆に混じって歩く私に…社長さん!安い時計アルヨ!とよく声をかけられたが、韓国人が日本人を見分ける能力は凄いと思っていたら、子供まで…この感覚は民俗本能としか思えない。
 窓外の風景は平坦で田園が美しくひろがり、昔から都に近いので、両班逹の田畑、住いが多く、まもなく錦江にさしかかると伽耶山が見えてきた。昔からこの山の周囲は土地が肥沃で、多くの邑があり、地勢から戦乱を免れたため、士大夫逹の理想郷だった。
 女の子はすぐ慣れて、通路を往復して私と隠れんぼ遊びをした。 扶余行きのバスに乗り継ぐため論山で私が降りるといつまでも親子が手をふっていた。


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