吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

韓国旅の風景 八十二

2006年06月27日 05時31分43秒 | Weblog
韓国旅の風景 八十二                           

 韓国の食べ物 その八
 ビビンパブはキムチと冷麺と並んで三大料理と言って良い。しかし個人的な好みからすればキムチ以外はそれほど魅力を感じないのは私の体質がまだヤマト食文化に染付けられてこの不思議な食べ物…それは栄養的に満点の優れものなのに…に拒絶反応をしめしているにほかならない。
 そもそもビビンパブとは混ぜ御飯の事である。
 昔、日本でも米の炊飯は釜を使ったものである。当然、お焦げが釜の底にこびりつく。 子供の頃、ミシン工場をやっていたわが家では女子工員のために朝、五升炊きの大釜でご飯を炊いた。
 香ばしいご飯の湯気と香りに誘われて炊事場に行くと、竈の薪は燃え尽くして星空のように竈の煤がちらちら点滅している。母はお櫃に大箆でご飯を移している。待ちどうしいお焦の香りでおなかがぐっと鳴る。
 やっと狐色のお焦がそぎとられると小さくにぎって塩をまぶして…ほんとにこの子は、ホレ!…と母は言いながら私の手に乗せる。 
 石鍋のビビンパブも同じである。色とりどりの具をかき混ぜながら鍋底にこびりついた香ばしいお焦が堪らないのだ。
 そもそもこの料理は李氏朝鮮王朝の昔、農村で副食を小皿に分けて並べる手間を省く為に、ご飯の上にごちゃごちゃ副食を盛ったものだった。
 なんでもご飯の上にするところから骨董飯となった経緯があると聞いた。
 骨董屋にはなんでもごちゃごちゃ日常の品々がおいてあるのでそう名ずけたのである。 全羅道全州(チョルラドチョンジュ)はビビンパブのメッカの地である。全羅道の北部にある道庁所在地のこのあたり一帯は韓半島の米所で慶尚道の学問の盛んな地域に比べ農業条件に恵まれた肥沃の地、そして渓谷の水が全州境界に流れ込んで昔から気候も清涼の地だった。全州を始め全羅一帯は百濟の地であり、ほかの道に比べて昔から、その性格がずるがしこいと言われ差別されてきた。しかし全州から李尚真(イサンシン)と言う宰相(議政府…首相)も出ている。
 さてビビンパブは全州最大の名物料理で韓国政府お墨付きの会館まである。
 日本の混ぜご飯に使う味付けスーブとビビンパブとでは大きな違いがある。
 牛のあばら骨を徹底的に煮込んでとったスープで炊くご飯のおいしさの秘密がそこにある。

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2 コメント

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お釜 (並木)
2006-06-27 08:50:02
ビビンバと直接関係ありませんがお釜のお焦げと聞くと無くなった母のご飯を思い出します。母は満州引き上げ者で彼の地では豪奢な生活を送っていたと良くききました。母は最後まで鉄釜でご飯を炊いてくれましたので25歳まで釜のご飯を食べていました。

お焦げで作ったおにぎりに醤油をたらす・・・・

みんなそうだったんですね。

ビビンバのお焦げを見るとそんな時代を思い出してしまいます。やっぱり食べ物は文化なんですね。

今の子ども達はマクドナルドのハンバーガーに思い出が刻まれるのでしょうか。
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満州 (吉松ひろむ)
2006-06-27 16:57:04
この名前にとてつもなく郷愁を私は感じる。私の戦争中、勤務したのは鹿児島だった。飛行機乗りの試験に落ちて今こうして生きていられる。多分貴君のい両親は満鉄におられたのでしょう。満鉄の社員だったら肩で風を切って歩いたと思います。暮らしも外地で最高だったはずです。大連で商社を経営している

shibuさんとコメントのやり取りしてますが病の治療と静養で会津高田に戻った人とpc交流をしていますが,旧満州の写真スナップがふんだんに見られます。
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