吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

カウライ男の随想 十

2005年10月28日 08時15分13秒 | Weblog
カウライ男の随想 十
 
 今日は天長節の祝日なので、イネさんにたのんで早朝から五右衛門風呂を沸かして貰った。西峰では古くからどの家でもこの風呂が厠の横にかまえてある。
 板囲いの小屋に径が八十センチ、深さは六十センチほどの五右衛門釜がどっしりと直接竃の上に据え付けてある。
 その名のとおり石川五右衛門が釜茹の刑に処せられた釜にちなんで名付けた。五右衛門は安土桃山時代の伝説に登場した盗賊で文禄年間に親子で釜茹での刑を受けたという。
 釜のそこは炎に接しているのでそのまま入ると足が火傷する。
 風呂にはそこの直径ほどの丸い板が浮いていてそれを踏みながら湯に身体を沈めるのだ。
 私はその日、朝日が格子戸の隙間からさしこむ湯につかりながら、ふと五右衛門はしだいに熱湯になる過程でまさに地獄の釜茹での苦しみを味わったまま絶命したのだろう…と妙に同情したのだ。
 …今日の佳き日は大君の生れ給いし…とオルガンにあわせて合唱する声がはるかに望む渓谷にきえてゆく。
 生徒達には何故か鼻たらしが多く、高学年にも数人はいた。
 校長が勅語を読むとよけいに鼻すすりが始まる。不謹慎ながら笑い上戸の私は死ぬ思いで笑いを堪える。
 ふだんからおどけ名人の千代喜は隣の生徒の手をとってなにやら悪戯を始める。肩をゆすって笑いだす信男、とにかく厳粛な時間は一触即発、笑い爆弾が炸裂する危機にあるのだ。
 笑い上戸の私を知っている四郎は朝礼の時間にあわせて兄にたのんで、校庭が見える坂道でわざと牛をとめ、鞭でモー!と鳴かせるのだ。
 私が丑年を知っていて笑い地獄におとしいれるべくそうしたのだ。 勿論、私はふきだすのを堪えきれず、用事を思い出すふりをして裏の泉まで逃げ出した。

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