
私の好きな詩人の一人に石垣りんさんがいます。石垣りんの詩に出会ったのは大人になってからなので、それまで詩というと、美しい言葉で美しい感情を訴えるものだと思っていた私にはちょっとした衝撃でした。
「生活派」などと呼ばれる彼女ですが、その飾り気のない言葉に秘められた強烈な思いはどんなシュールな言葉もかなわないと思います。
その彼女の詩に「崖」という詩があります。「バンザイクリフ」を歌ったものです。国語の教科書などにも取り上げられたことがあるようですから知っている方も多いのでは・・・。
-崖-
戦争の終わり、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねぇ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
(石垣りん「表札など」)
戦争はもちろん、事件などでも理不尽な亡くなり方をされた人はその届かない思いをどうしたらよいのでしょう。
和歌山のカレー事件で犠牲になった方のお母様が「娘を返して!」と泣いたという記事もありました。どうにもやりきれません。




亡くなった方の無念がずっとその場にとどまっているのかもしれませんね。
身を投げた人たちの気持ちを思うと、本当に胸が痛みます。
学生時代に、友人とサイパンに観光に行ったことがあります。
実は、サイパンに行くまで、サイパンでの戦争のこと、知らなかったんです・・・。
世間しらずでおはずかしいですが。
サイパンに観光気分満々で行ったものの、
海の浅瀬に戦車が頭をのぞかせて沈んでいたり、道の片隅にぼろぼろの大砲?がころがっていたり、60年も経つというのに、戦争の跡がはっきりと残っていたのです。
それには、本当に衝撃を受けました。
あと、サイパンの町のお年寄りの方が日本語がとても上手なことにも、驚きました。
バンザイクリフにも行きました。
とても高いところで、ここからたくさんの人々が飛びこんだと思うと足がすくみました。
なんかまとまりがつかない話を長々と書いてしまってすいません
なんでみんな自分の家族が殺されたらイヤなくせに、人の家族を殺すような戦争や事件をするんやろ???って思います。
戦争はいけないと分かっているつもりでも
実際にどうだったのかを知らないと
やっぱり分かったことにはならないと思います。それが、たとえ、バンザイクリフひとつの話でもです。
サイパンといえば、今はリゾート地のイメージですが、実際はすごくむごいことがあった場所なんですね。
なんか『ゆき場のないゆき場』って
せつない表現です
「娘を返して」くれれば、ほんと
それだけであとはなんにも望まないのに
それが無理なことだっていうのは
ほんとつらすぎます
私の母は、戦争経験者です。
生々しい体験談をよく聞かさせれ、
子供のころから、戦争とは、決してあってはならないと
自然に思って来ました。
今、自分も親になり、祖母になり・・
できる範囲で、若い世代に伝えて
行きたいと思っています・・
今も戦闘のさなかという地域があります。
でも、戦争の悲惨さを語り継ぐしかなすすべはありません。
皆さんの真摯な言葉に改めてそんな思いをかみ締めています。
ですからサイパン・グアム・フィリッピン等戦争の傷跡の有る所には観光旅行なぞとんでもない事と言う意識があり、上手く云えませんが亡くなった方に申し訳ない気持ちを今でも引きずっています。
語って伝えていくって大事なことですから・・。
僕も戦争は知らないし、知りたいとも思わないと言うか、なるべく避けて通りたいとずっと思ってきました。
実を言うと今でもその気持ちが残っています。
広島の恐いくらいの凝視出来ない惨状。
知覧の特攻隊や廻転の方達の作文や詩、など見れば見るほど心は重くなって逃げ出したくなります。
戦争も、その戦争があるために起きた痛ましい過去の惨状は、出来たら逃げ出したい気持ちで一杯です。
この間も第二福竜丸の事をブログに書きましたが、最近です。まともに見ることが出来たのは。
そう考えると、HANAさん始めみなさん立派だと思いますよ。
また、第五福竜丸は地元といってもよいのでいろいろな話を聞く機会があります。
母は戦争中、横浜だか川崎だかににいたということで空襲の話をよくしていました。
戦争がないまま平和に暮らしていければこんなによいことはありませんが、世界に目を向けると考えてしまいます。
重すぎるテーマでここでは語りつくせません。ただ、それぞれの人の心に平和への祈りが消えずにいてくれることを望むのみです。